秋の音色

@Sumika365

第1話 ピアノの森

 人にはみな、安心する場所がある。森の中、海の隣の別荘、あるいは、大切な人が座っているソファの隣、色々とある。人はその安心する場所でいると、なぜか世界の苦しみから解放され、世の中から切り離された世界で、その先を見ることができる。

 そんな僕にも、安心する場所がある。9月中旬頃の黄色くなり、海苔の隙間から些細な光によって照らされる黒色のピアノ。ピアノを囲むのは、あたり一帯の幅広い紅葉。そう、「ピアノの森」が僕にとって最も安心できる場所なのだ。

 

 彼女と別れた以降、僕は常に心の安心というやらを探していた。元カノは可愛くて、コミュニケーションもうまいため、彼女は僕と別れてからすぐに新しいパートナーができた。対して僕は静かで、コミュニケーションを取るのを嫌がり、一人でいるのが好きだ。当然、そんな僕に新しい出会いなんてそう簡単に訪れない。僕は毎日憂鬱な感情に心を支配されていた。

 そんなある日の事であった。久々に憂鬱な気分を変えようと僕は一人旅をすることにした。向かった先は日光。

 日光は何回も家族と友達と来たことがあるが、その日の日光はなぜか違った。一人旅のせいか、僕は全く楽しみを感じなかった。普段隣でゲラゲラと笑ってくれる友達、本を読んでいても興味津々に聞いてくる家族、それらがない僕には憂鬱しか感じなかった。なによりも、最も憂鬱を解除してくれる相手が私の隣にいない…そう、彼女である。

 そんな僕は、駅からバスに乗って、適当に「湯の森」という駅で降りた。その駅の周辺は空っぽで、道路の両辺の続く広大な紅葉の森林しかなった。普通、誰もこんな駅で降りないであろうが、僕はなぜかここで降りた。大自然に囲まれて、あの森林の中で夢を見ながら、自分の「居場所」を探したかった。自分の憂鬱、壊れかけた心、それらを治してくれる所。僕はこの駅にあると感じた…

 道がない森の中へと歩いた僕は視野に入ってくる景色に感動された。都会にない色とりどりの植物。その上で、楽しく大自然の曲を歌っている小鳥達。たまに聴こえてくる、風の囁き。森の中のあらゆる物が僕の心を癒してくれた。僕は森の中へと進んだ。

 すると、「〜〜」なぜかピアノの音が聞こえてきた。

 「おかしいな、ここにピアノなんてないのに」

 僕は奇妙に思いながら、音色が流れてくる方向へと向かった。

 森の中をしばらく歩いていくと、ある黒い物体が目に入ってきた。さらに目を狭めてみると、ピアノだ…黒くて、大きくて、所々緑の植物が絡んでいる古いピアノ。森の中に、この誰もいないはずなのに、大自然に溢れた場所に一台のピアノがあったのである。どうやら音はそこから流れているらしい…

 ピアノにさらに近づこうとすると、誰かが僕に話しかけてきた。と同時に、ピアノの音が途絶えた。

 「誰?」

 その声は思った以上に透明感があり。優しい声だった。都会の女性が商売の時、または合コンの時の発するような嘘っぽい声ではなかった。

 ピアノを弾いていたのは、僕と同年代に見える、若い女性だった。長くてさらさらとした髪の毛。その下にあるのは綺麗で整った顔。長いスカートの上に、茶色いシャツ。彼女はいわゆる「清楚」な子であった。

 僕を驚いている表情で見ている彼女に僕は聞いた。

 「なんで、こんなところでピアノ弾いているの?」

 それを聞いた彼女は一安心して微笑みながらピアノの鍵盤に触れている手に目線を落とした。

 「私にもわからないんだ。なんでこんな所でピアノを弾いているのか。」

 「ふーん」

 彼女は僕に笑顔で返事をした。

 「でもね、なぜか安心するんだよ!ここのピアノのを弾いているだけで、なぜか社会から切り離されたように感じて、心がポカポカするの!」

 僕は彼女が言っている事を完全に理解することができなかったが、彼女と僕に何か似ている所があると感じた。彼女も僕と同じで何かを探している、自分の居場所だろうか…もしくは心の支えなのか…僕にはわからなかった

 「で、なんで君はここにいるの?」

 気付かぬうちに彼女は僕の目の前でその大きな瞳を照らしながら僕に質問をしていた。

 「僕は、自分の居場所を探しているんだ」

 考えもせず、平然と僕は赤の他人にプライベート情報を流した。

 すると、

 「ふーん、そうなんだ!じゃー私と一緒だね!」

 彼女は大きかった目を閉ざして、両手を後ろに組んで、微笑みながら上目遣いで言ってきた。可愛かった。

 僕はなぜか心がドキっとして、苦笑いで返した。この人は都会で見てきた女子、いや、元カノとも全然違う…表面は陽気そうに見えるけど、何かを隠しているように感じる…

 僕達はピアノの下に座りながら会話を始めた。


 「私ね、実は人と会話するのが嫌いなんだ」

 会話していく内に僕とあかねは仲良くなった。会話が変に成り立つせいか、僕は彼女とスムーズに話せた。

 「俺にはそう見えないけど?結構都会じゃ好かれるタイプだと思うよ」

 「うーん、そうかなー、私こう見えてさ、都会じゃ全く話す人いないんだよね」

 意外だった。彼女の外見からしてそうは見えなかった。しかも、こんな話やすい女性に僕は会ったことがない。

 「なんか意外だな〜」

 「でもね、なんかまさき君と話してると落ち着く」

 彼女は微笑みながら言った。さっきのキュンとした感覚が一瞬で身体の隅々まで流れる。

 「俺も、こんなに話せた人は始めてだよ」

 僕達は互いを見つめ合って、心の底から笑った。僕が他人に向けて「本当」に笑ったのは、いつ以来か…




 それから、僕が平常の生活に戻っていった。以前まであった憂鬱な日々は感じなくなり、なぜかあの「ピアノの森」を思い出すと、心が安らかになる。あかねはまだあそこでピアノを弾いているだろうか…僕は彼女ともう一度会いたい気持ちがあった。

 高校三年生になる頃、僕はまた人生の「憂鬱」とやらに直面した。そう、「進路」である。

 元からあまり趣味を持ってなかった僕は、平然と普通の成績を取り、別に大学なんかは考えていなかった。ある意味、恋に惑わされて、1年間頭が空っぽだったのも原因である。先生は高校三年生の春に「希望したい大学決めとけよ」と言ったが、僕には手に負えない事であった。そこで、僕はまたあそこにいくことにした。あそこに行けば、何か答えが得られるのかもしれない。まや、あかねが動物と大自然に囲まれて、ピアノの弾いているのかもしれない。春休みの一日目、僕は日光へ向かった。


 道路の両辺に続く紅葉、今は寒いから葉っぱはないが、その景色はなぜか新鮮感があった。見慣れた高原、高原を囲む大きな山々、やっここが僕にとって一番落ち着く場所であった。

 「湯の森」駅を降りると、僕は真っ先に前訪ねた森へと歩いていった。相変わらずの広大な森林で、確かに葉っぱは生えてなかったが、道を探すのも苦労であった。

 地面に曖昧に残っている雪、秋の時とは違う寒い空気。動物の気配は以前に比べて少なくなったが、やはりあのピアノと一緒に歌を歌う独特な鳥は所々木の上にいた。

 森の奥へ進んでいくと、馴れ馴れとした音が聞こえてきた。

 「ピアノだ…」

 その音は秋の時と違ってなぜか悲しい音だった。どっかで聞いたことがあるようなないような、悲しいリズム。まるで自分がこの社会から隔離されたように、「孤独さ」を感じた。

 「あかね…」

 この音はあかねの音だ。僕はあかねがこのような悲しい音楽を弾かないと思って、おそるおそる奥から見えるピアノへと向かった。

 黒いピアノの前に座っているのは、僕と同年代の女性。彼女は目を瞑って、その綺麗な手でピアノを生きらせていた。「〜〜〜」と、なめならかな音は僕の耳の鼓膜を直接触れて、僕の脳に痺れを与えていた。あかねは…悲しい表情をしていた…


 「まさき…くん?」

 彼女はピアノに集中しすぎたか、僕の存在すら気付かなかったようだ。

 「久しぶり、あかね。」

 「まさきくんだ!!久しぶりだね!!」

 彼女は僕をみると、先程まで貯めていた悲しみを全て忘れたように、前の時に見せた天使みたいな笑顔で僕に微笑んだ。

 彼女は僕の方へと、手を後ろに組みながら歩いてきた。

 「あかね、大丈夫?なんか,悲しい表情をしていたよ?」

 何も考えずに、僕は自分が抱いた疑問を彼女に聞いた。この性格のせいで僕は社会に馴染めない。あ、やっちまった。

 対して、あかねは微塵も表情を変えずに近距離で、上目遣いで僕に言ってきた。

 「ふふん〜みたな、こら〜」

 デレデレした。

 「なんでもないよ、ちょっと自分の人生を考えてただけ。」

 彼女は改めてピアノの席に腰を落とし、鍵盤に手をつけた。

 「〜〜〜」

 秋で聞いた、楽しい音楽だった。あのあかねの性格を強調するような、楽しい音楽。

 「ほら、大丈夫でしょ?」

 彼女は僕に微笑んだ。


 やめてよ…そんな笑顔。嘘ってこと、バレバレなんだよ。

 彼女の微笑みは、秋の時と明らかに違っていた。

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