第54話 ジンとセトロベイーナ王国の誤算

 リベッネの舌打ちに、俺は同情せざるを得なかった。


 自分が守るべきであるジェノニアの住民達は若い女性以外は殺され、ネグレリアの手によって、ネグレリア・ワームに寄生され、まるでゾンビ型モンスターとなってしまっていた。

 

 そして仲間であるセトロベイーナ軍の人間は、若い女兵士以外、フィスフェレムに操られて自我を失い、本来敵であるフィスフェレムの護衛をさせられている状態。


 更に自分と同じような若い女性は、フィスフェレムのいる屋敷の中でフィスフェレムの部下であるインキュバスに種付けされている可能性があり、悪魔を産んでしまうかもしれない。

 よく、舌打ち程度で済んでいる。


 俺だったら発狂しているよ。

 仲間がこんな状態になっていたら。


 しかしリベッネはすぐに。


 「勇者様、申し訳ありませんが勇者様の魔法で彼らを正気に戻しては頂けませんか?」


 と、冷静にいつも通りの笑顔を浮かべ、仲間達を助けるよう俺に求めた。


 ……流石のリベッネも目は全く笑っていなかったが。


 「エクスチェンジ。女神の藍イーリス・インディゴ。ディサイド」


 操られているセトロベイーナ軍の人間に襲われても面倒なので、さっさとディサイドを使った。

 宮殿にいた騎士達が、ディサイドはフィスフェレムやサキュバス、インキュバスの誘惑を無効化出来るって言っていたから正気に戻るはず。

 ……はずだった。


 「……フィスフェレムもそんなバカな訳ないか」

 「……そ、そんな……」


 ディサイドを使った結果、目の前にいた十数人の兵士達は、まるで死体のように倒れていった。

 リベッネは困惑しているが、リベッネの話と俺が自分の目で見たジェノニアの街の惨状、チェンツオーネの宮殿にいた騎士達から聞いた話、そしてフィスフェレムとネグレリアという存在。


 最悪の事態を想定してはいたが、正にその最悪の事態だった。


 「どうして! どうしてなの!?」


 リベッネは冷静さを欠いていた。

 周囲を警戒する事もなく、倒れた仲間の兵士達の元へ駆け寄る。


 ……ここまでは、想定していなかったか。

 ……いや、リベッネも人間なんだ。

 したくなかったんだろうな。

 代わりに俺が周囲を警戒する。

 

 敵は……俺が確認出来る範囲ではいないな。

 ん? 山の近くにも兵士がいるな?

 数十人くらいか?

 

 「ディサイド」


 ディサイドは異常状態じゃない人間には、害を与える魔法ではない。

 なので、フィスフェレムの屋敷がある山の方へ女神の藍を向け、ディサイドを放つ。


 あっ……山の近くにいた兵士達もバタバタ倒れだした。

 ……もしかして、山の中にいる兵士達も……。

 い……今は、考えないようにしよう。


 現実逃避するように、俺もリベッネの元へ行く。






 ◇






 「「…………」」

 「どうして……」


 ディサイドでフィスフェレムの誘惑の効果を消す事で兵士達は異常状態ではなくなり、正気に戻るとリベッネは思っていたのだろう。

 死んではいないが、倒れたままピクリともしない仲間達の惨状を見て茫然としていた。


 いや……実は俺もジェノニアに来るまではリベッネと同じように思っていた。

 ディサイドを使って誘惑の効果を消せば、セトロベイーナ軍の人間は正気に戻るので、俺達と一緒に戦える。

 そう思っていた。

 だが、それは。


 「甘かった……ディサイドは……女神の藍イーリス・インディゴは……万能じゃない」


 思わず、俺は自分の考えが甘かった事を口に出してしまった。

 

 「甘かった……? どういう事ですか……?」


 リベッネは俺が口にした弱音を聞いていたのだろう。

 動揺を隠せない様子で、どうしてこうなったのか聞いてくる。


 「……簡単な話ですよ。女神の藍は、チェンツオーネの宮殿にいた騎士達が言っていたように誘惑も魔力強化も、相手の能力上昇も味方の異常も無かった事にする。だけど、体力や魔力の回復、そして傷を治せる力がある訳じゃない」

 「で、でも! こちらに不都合な事は無かった事にするって!」

 「あー……それは、操られている人間が健康だった場合の話ですよ、恐らく。……ああ、やっぱり。長い間、満足に食事とか休養とか与えられて無かったんじゃないですか? 誘惑で操られていたせいで」

 「え……まさか……そんな」


 リベッネも気付き始めたか。

 女神の藍の落とし穴に。

 そして、仲間である軍の人間がどういう状態なのかという事に。


 「大関おおぜき……じゃなかったオーゼキがフィスフェレムに負けて王都のチェンツオーネに戻ってきて、どれくらいの時間が経ってます?」

 「た、多分ですけど三週間……いや、もしかしたら一ヶ月近く……かもしれません」

 「……という事は最低でも三週間以上、セトロベイーナ軍の人間は、満足に食事も休養も与えられていないって事ですね。そりゃ、倒れますよ」

 「それどころか、このままじゃ死んじゃう……。で、でもフィスフェレムは死んだ人間は操れないから、兵士達の事は死なせたくないはずなのに……どうして、こんなになるま……あ」


 ようやく、リベッネももう一個の俺達の間違いに気付いたようだ。


 俺もそう思っていた。

 フィスフェレムは死んだ人間は操れない。

 しかも、部下であるサキュバスとインキュバスはほとんど殺された。


 そのため、セトロベイーナ軍の人間を操らないと、他の女神の剣イーリス・ブレイドを持った勇者に討伐される可能性が高まるから、セトロベイーナ軍の人間はほとんど殺さないはずだと。


 だから、女神の藍を使えば、兵士達を元通りに出来る。

 俺もそう踏んでいたし、王都にいた女王様や騎士達もそう考えていたはず。


 だが、その考えは間違いだったんだ。

 何故なら、新たな魔王軍幹部。

 ネグレリアの協力もフィスフェレムは受けているのだから。


 つまり、フィスフェレムは死ぬまでセトロベイーナ軍の人間を操り、死んだら、ネグレリアの操るネグレリア・ワームを寄生させ、動く死体として手駒にする。

 仮に女神の藍の力で、セトロベイーナ軍の人間が死ぬ前に誘惑の効果を消されても、セトロベイーナ軍の人間は、食事も休養も満足に与えられていないので兵士達も含め戦闘不能状態に出来る。


 チッ……フィスフェレムめ……。

 女神の藍対策を打っていやがったのか。

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