第8話 趣味

 風呂に入る時や着替える時、ふと我に帰ってしまう。この前までは足だけだった透明化が今はもう爪先から溝内あたりまで進んでいた。

 「もう、長くないな。」

 死ぬ前にひとつだけ、親友を安心させたい。


 行き慣れた道、乗り慣れた電車、見慣れた駅、もう何回目かもわからないほど来たこの場所。

 今日俺は、4年に渡り戦ってきた海斗の為に決着をつける。

 

 「あれ?武瑠?」

 聞き覚えのある声、海斗の母親だ。

 ちょうど海斗の家の前で鉢合わせになった。買い物の帰りのようでそのまま家にお邪魔することにした。

 玄関にはまだボロボロになった運動靴が2足残っていた。捨てられないんだろうな。

 当然そこに海斗はいないのだが、この場所にだけはずっといる気がしてたまらなかった。

 「線香、焚いてあげてくれない?あの子きっと喜ぶから。」

 線香立てと海斗の好きだったどら焼きが台に並んでいて、ニッコリと笑った顔をした海斗が写真の中から俺のことを見ていた。

 すっと目を閉じてあの時電話に出なかったことを悔み、謝った。もう喧嘩することも許されることもない、結局自分と会話するだけなのに、心が軽くなっていく。

 自然と涙が出てしまった。

 絶対に周りに心配かけたくないから泣かないでおこうと決めていたのに、塞き止めていた何かが崩れて涙が止まなかった。

 悔しみ、惜しみ、辛いんじゃない。

 ただ、悲しくて悲しくて、しかたないんだ。


 「今日は来てくれてありがとうね、暑いから車で送って行ってあげるわ。」

 今日、海斗のお参りに来たというのもあるが、本命は違う。

 義父と話すことだ。

 2人だけで話がしたいと頼むと2階の仕事部屋に連れて行かれた。この中で今仕事中なのだと、呑気な奴だ。

 母親に「ありがとう」と言い、1階へ降りていくのを確認してからノックもせずに勢いよくドアを開けた。

 部屋の明かりの差で少ししてから目の焦点があう。

 窓の位置、棚の位置、ベッドの位置、見覚えがあった。

 「あの写真の場所だ…。」

 机に向かい座っていた海斗の義父はゆっくりとこちらを見、そして「君か」と呟き仕事に戻った。

 「今、忙しくてね。この書類明後日までなんだよ、すまないが話があるなら後日にしてくれ。」

 あまりに普通を装い、海斗の死なんてなかったように振る舞う義父の態度に呆れ、呆然と立ち尽くしているとあいつが薄ら笑ったことに気づいた。

 「は?…お前!」

 怒りがその場で溢れ出し制御できず、そいつの座っている椅子を回転させ正面を俺の方にし、目を合わせて肩を思いっきり強く掴み声を荒げた。

 「お前が死ねばのかったのに!」

 海斗の母親はこんな猛暑の中ずっと長袖を着ていた、外なら日焼け防止で筋が通るがまだクーラーで冷えきっていない家の中でも汗を垂らしながら袖をめくりもせずにいた。それは何かを隠しているように。母親はDVを受けていると考えて妥当だ、仕事部屋まで連れてくる時も明らかに挙動がおかしかったからな。

 海斗の笑顔の写真は6年前、まだ中1の時の写真で違和感があった。なぜ最近の写真を使わなかったのだろうか。いや、使えなかったんだ。あの時から海斗は写真に笑顔を写されることなんてなかったのだから。

 俺は相当酷い形相で睨みつけていたのだがそいつは表情を何一つ変えずため息をした。

 「これで君の鬱憤は晴れたかい?じゃあ帰ってくれ、そしてもう俺の前に現れるな。」

 あまりにも冷酷な瞳に冷静になり、足がたじろぎ後退してしまったが仕事に戻ったそいつの後ろ姿に話し続けた。

 「お前、海斗が警察を目指した理由知ってるか?本当の父親を殺したクソ野郎を牢獄にぶち込む為だよ。本当の父親を殺したのはお前なんだろ、母親に暴力してるだろ、海斗を自殺に追いやったのはお前だろ、お前がサイトにあげてる写真も見たよ、あれ売って金にしてるだろ、クソ野郎ってのはお前だよ!さっさと自首しろ!」

 するとそいつは手を止めゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいて来た。

 「あぁ確かに海斗の父親を殺した。俺が家族になって海斗を好き勝手するためにな!DVだってしてる、恐怖で縛り付けて周りに話すようなことをさせないために。サイトで写真を売っているのも事実だ!」

 息遣いがだんだん荒くなってる、やっぱり正常じゃないんだ、この人。人間としての精神を失ってる。

 「でも証拠が無いんだよ!あの時楽しい川遊びの中俺が沈めて殺したけど何も残ってないんだよ!海斗が自殺した理由だってあまり詮索されなかったよ、受験生がいきなり命を絶つなんてありえる話しだからなぁ!」

 俺のことを壁まで追い詰め、耳元で囁いた。

 「だから俺は側から見りゃかわいそうな悲劇の主人公なんだよ?」

 そう言って高笑いをするそいつに殺意が湧いて止まらなかった。

 今ここで殺すとする、でも俺だってもう長くない命なんだ。

 何も…困ることなんてないよな?

 首に手をかけようとしたその瞬間だった。

 階段の陰から何者かが飛び出し、何かが飛び散った。

 それと共に義父の叫び声が家に反響する。

 「ぎゃぁぁああああ!!!!」

 白い壁に赤い液体がついたことでやっと現状を理解できた。

 義父の首は何者かによって刃物で刺されていた。

 「ありがとう武瑠。」

 フードを深く被っていたそいつの声は聞き覚えのある、優しい声だった。

 「圭…悟…?」

 俺の肩をぽんと叩き、うずくまりもがいている義父にもう一度刃物を刺し、俺にもそいつが死んだことがわかった。

 「武瑠、ごめんな、お前のこと利用してしまったよ。俺がこいつを殺すために。」

 圭悟が俺だけに海斗のことを話した理由がやっとわかった。

 俺と仲が良かった圭悟は、俺が警察になんか相談せずに自ら説得しにいくとわかっていた。そして俺が海斗の家にいくことを確認し、そっと侵入していた。

 「この前話したのは憶測にすぎなかった。だからしっかりこいつが犯人だと言うことをお前に明かしてもらってから殺そうと考えていたんだ。」

 俺は上手く使われたってわけだ。

 でも、なんだか嫌な気分になれなかった。目の前で人が死んだのだというのに、達成感に浸っていた。

 「武瑠、お前はもう行きな、俺は自首するつもりでここまでやってきたから。最後は巻き込みたくない。」

 1階に降りて玄関までいくと海斗の母親が待っていて、「私も武瑠を送ってから自首するわ」と言った。グルだった。圭悟との共犯だったんだ。

 「結構です」と丁重に断り、家に帰った。


 こんなので本当に良かったのだろうか。

 こんなので本当に海斗は報われるのだろうか。

 

 誰も教えてくれやしない。

 

 

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