第37話 ゴミども死すべし慈悲はない

「へっ、へへへ……」


 手足を懸命に動かして俺は夜の歩道を走っていた。

 半笑いをしているのは頭がおかしくなったわけでなく、完全にブチ切れるのをどうにか抑えているんだ。


 まったく馬鹿な連中だ。停学中だというのに雨ケ崎をさらい、俺を高所から蹴り落とすとか信じられねえ。報道されてもおかしくない事件を起こして、まっとうな人生を歩めるなんて思うなよ。


「言っとくが俺は未成年に甘くねーぞ」


 などと呟きながらスマホの画面を睨む。

 馬鹿な連中だと思うのは、俺を単なる高校生だと思っていたことだ。数日前ならいざ知らず、いまはオズガルド家の一員なんだよ。

 手にしたスマホもまた特製で、雨ケ崎の位置情報を逐一教えてくれる。この時点で誘拐事件はジ・エンドだ。あいつらには頭を抱えるようなバッドエンドしか残されていない。


「警察に連絡したいがまだ車は移動中だし……先に東堂に伝えておこう」


 たぶんだけど、あいつのほうが警察よりずっと頼りになる。部下のグゼンさんは腕利きだし、俺よりもずっとうまい方法を思いつきそうな気がするしな。

 なので全力で駆けながら状況を伝えて、自宅に辿り着くやすぐさま準備を開始する。なんの準備かというと、あのゴミどもを掃除するための準備だ。


 汗だくでうまく革のツナギが着れないのをもどかしく思いつつ、不要となったカバンやスパイ道具をベッドに放る。それから昨夜特訓した得物を手にしてバイクに乗り込んだ。


 ふと思い出したのは「いざというときに足がなくて動けないのは論外」という東堂の教えだった。確かにその通りだったなと我ながら迫力のある笑みを浮かべながら呟く


 ドルドルと安定したトルク音を響かせて、そして俺は真っすぐに雨ケ崎の元に向かった。

 ブッ殺してやると不穏な言葉を吐き捨てながら。




 ぎゃーーっははは! と、雨ケ崎の耳が痛くなるほど男たちは笑う。大型バンには複数の男がおり、海岸沿いの道はだいぶ暗い。車の速度がかなり出ており、カーブのたびに雨ケ崎は冷汗を流していた。


 ぐっと頬を押さえつけられて、その雨ケ崎の顔を通り過ぎてゆく照明灯が照らす。


「怯えててかぁーわいいーっ! 野崎ぃ、お前んトコ、すげえ後輩がいるなっ!」

「他はブスばっかだけどな。このお嬢様みたいにツンとした顔、最初に見たときからどうにかしたかったんだ」


 二人の男が雨ケ崎の腕をつかんでおり、運転席の男はバックミラー越しにその様子を眺める。その目が不快そうに細められた。


「俺より先に手を出したら殺すからな」


 その言葉に最も動揺したのは雨ケ崎だった。

 ビクンッと両肩を震わせたのは、つい先ほどおかしな光景を見たからだ。かなりの高さから幼馴染である群青が落とされて、無事かどうかはっきりしない。そのときの光景が目に焼きついており、身体の震えが左右の男たちまで伝わった。


「んーー、震えててかわいいーーっ! 大丈夫だって。俺たち女の子相手だとすごく優しいから」

「あ、あなたね、あんな問題を起こしたら退学どころじゃ済まないわよ!」

「平気平気、問題なんて起きないし。それに……」


 ひたりと太ももに触れて、暗い車内で野崎が見つめてくる。じっとりとしたその目、そして太ももを優しく撫でる手つきに産毛が一斉にぞわりと逆立つ。

 しかし雨ケ崎を最も動揺させたのは、この言葉だった。


「雨ケ崎ちゃんもまず告げ口なんてできなくなるから」


 不穏にすぎる言葉だ。また自信で溢れた声に、はっはっと呼吸が早く浅くなる。酸素を吸い過ぎて頭がくらむ。

 相手がまるで同じ人間とは思えなくて、その恐怖が頭の思考能力を失わせていく。これはあまり良くない傾向だ。打開策を生み出せず、相手の思うまま、好きなように事が運んでしまう。


 あの校舎裏に呼び出されたとき、幼馴染はなにかを警告していた。なんだっけ、と混乱しきっている思考で雨ケ崎はどうにか思い出そうとする。


――でも怖いと思ってくれたなら次からちゃんとできるだろ。大きな声で助けを求めたりとかさ。


 唐突に浮かんだのは群青の言葉だった。続いて「いつだって俺が駆けつけられるか分からないんだから」という声も脳裏に響く。

 そのときの言葉を思い出したなら、もうすべきことは決まっている。


 おかしそうに笑っている男のことなど気にせずに、何度か深呼吸をして己を落ち着かせてから息をたくさん吸う。

 すううっと肺一杯に酸素を送り届けると、雨ケ崎はようやく口を開く。


「せいいちろおおおおーーーーっ!」


 車内がビリビリするほどの大声だ。男たちは一斉に目を丸くして、狭い車内に反響する音に耳をふさぐ。しかし助けを求める声で叫び続けており、運転手の男が「黙らせろ!」と命じたとき……。


――ガララッ、ガンッ!


 なんの音だと思う間もなく、ぶわっと風が車内に流れ込む。

 慌てて野崎が背後を振り返ると、そこにはこじ開けられたスライドドアと、照明をつけた一台のバイクがあった。


 革のツナギを着た男であり、メット越しなのでどんな顔をしているか分からない。唐突に闖入ちんにゅうしてきた男は、スッと車内に片手を向けてきた。


――バシッ、バシッ、バシッ!


 ガスに似た音を響かせているのはまさか銃だろうか。しかし火花や弾痕が穿たれることはなく、男たちが目を丸くしているあいだにバイクは後方に下がって視界から消えた。


「え、あ、なんだいまの? おい、あいつはどこいった」

「それよりもドアを閉めろ! また来るかもしんねえ!」


 そう言う男に野崎が視線を向けると、ふと違和感があった。肩や腹に金属製の円盤がくっついており、こんなアクセサリーをつけていたかなと思う。


 直後、車の後方に下がったバイクの男は、手にした金属筒のツマミを回す。クリクリと動かして、やがて中央のボタンを押すとバヂヂヂッという音と共にかすかな雷光が車内に走った。

 それを見てバイクの男はほくそ笑む。


「まず一人だ」


 ヘルメット越しに男はそう呟いた。

 これは日本という地域性を考慮した武器であり、円盤を相手に着けること、そしてスタンさせる対象を選択してから実行という手順を踏む。


 あえて面倒にしてあるのは安全面を考慮してのものだが、もうひとつ考慮しなければならないのはスタンガンの遠隔版、ティーザー銃なども日本では所有を禁じられている点だろう。

 そのためもうひとつのロック機能も施されているのだが……今回は気にせずとも良いだろう。銃身には「認可」という表示がすでに灯っているのだ。


 一方、車内では混乱が生じていた。

 仲間の一人がビグビグと痙攣して倒れており、普通の状況ではないとようやく気づいたからだ。

 車の後方ではバイクの照明が車内を照らしており、それを見た運転席の男はチッと舌を鳴らす。


「あのバイク野郎、殺してやる」


 不穏な言葉をつぶやくと、男は迷いもせずサイドブレーキをめいっぱい引く。後部タイヤがきしむほど白煙を上げ、ブレーキランプをまったく着けないその急減速は相手の意表をついただろう。

 直後、バンッ!と激しい衝突音がして、後部ガラスが白く染まる。再び急加速をしたとき……先ほどのバイクが追いかけてくることはなかった。


 車内はしばし静かになり、エンジン音しか響かない。

 人を轢いてしまったのではという嫌な気配の漂うなかで、運転席の男が振り返る。急ブレーキ、急加速をしたあとなので、後部座席の全員がおかしな格好になっていた。


「おい、なんだったんだ、いまのは?」

「あ、いや、ぜんぜん分からん。おい、起きれるか……ああ、こいつ気絶してら」


 先ほどの電気ショックでノビたらしく、仲間の頬をぺちぺち叩くも起きる気配はない。

 また雨ケ崎は肩を押さえてうずくまっており、だいぶ参っている様子だった。


 そのときに車内で聞きなれない声が響いた。


『あ、あー、テステス。聞こえてんのかなー、これ。まあいいや。野崎せんぱーい、聞こえてますぅー?』


「群青……?」


 ぽつりと野崎はそう漏らす。

 人を馬鹿にしたこの声は忘れようにも忘れられないが、いったいどこから響いているのだと車内を見回す。音の発生源は車の隅のほうであり、また肉声というよりもマイク越しの響きをしている。

 そう周囲を観察しているあいだも、青年の声が車内に響く。


『もー、停学中にこんな事件起こしちゃってー。知らないっスよー。家庭裁判所行きじゃないっスかー。ヤダー。留年も確定したし、来年は同級生じゃないですかー。野崎君って今度から呼んでいい?』


 ぽかんとしたあとに、野崎はわなわなと震えだす。

 発生源は窓の近くに刺さった円盤だった。マイクの機能を果たしているらしく、顔を近づけてみると「あ、どうせ退学だしもう関係無いか」という言葉を聞いて、プツンと野崎は切れた。


「群青オオオッ!!」

『はーい、群青でぇーっす』

「お前、いますぐ殺してやるからなあああッ!!」

『うっせえ、バカ死ね。そんなの俺のセリフに決まってんだろ? 気持ち悪い日焼けゴリラ。臭い飯を食わせてやるからこっち来いよ。だっせえ、こいつビビってら。ウケるぅー』


 真っ暗な山道に向かう一台の大型バン。

 やがてその車は減速をして、正反対の方向に行き先を変えた。



     §



 はぁーあ、と息を吐く。

 身体の鈍痛がひどくて、おまけに腕の関節がおかしい。うまく曲がらないし、ミシミシと変な音がする。

 目をやると借りたばかりなのに破片を撒き散らしたバイクがあり、また手にしたスタンガンはすでに弾を使い果たしている。それらをしばらく見て、だめだこりゃ、とつぶやく。


 だけどさ、こういうときこそ頑張らないと。


 冗談みたいに満身創痍だし、点々とある照明灯と静まり返った林道が物悲しさを助長する。アスファルトにうずくまりたいけれど、男というのはつらいときにつらいと言ってはいけないらしい。


「さて、そう教えてくれたのはだれだったかな」


 ガードレールで腰を支えて、再び大きく息を吐く。

 痛みで朦朧とする頭で思うのは、ずっとずっと昔のことだった。

 共働きの親が出かけているあいだ、面倒を見てくれた祖母のことだ。

 厳しいけれど優しい人で、花火大会や和菓子屋さんとかに連れて行ってくれた人だ。


「なんだっけ、ばあちゃんはなんて言ってたっけ」


 しばらく目を閉じていると、だんだん思い出してきた。

 真っ白な髪をして、年老いているのに背筋がしゃんとしている人だった。まだ幼い俺に無茶なことを言う人だった。


 真っすぐに俺を見て、そして祖母はこう言ったんだ。


「意地を張りな、誠一郎。軟弱だなんだと若いやつを批判する大人は多い。だから意地を張れ。悔しくても辛くてもうつむかず、ずぅっとお天道様を見るんだ。そうしたらちゃんといいことがある。たとえば好きな子を絶対に守れたりさ」


 へっ、と力なく笑う。

 好きな子なんていないよと言いたいし、だけど守りたい子ならいるかなぁ、と思い直す。


 やがて近づいてくるのは一台の車で、俺はまぶしいほどのライトの照明に包まれる。急停車をして飛び出してきた見覚えのある奴に、へっと再び笑った。


「意地を張れ、か。古臭い考え方だけど、俺は嫌いじゃないぜ」

「なにをブツブツ言ってんだ、群青ッ!」


 そう吠えてズカズカと近寄ってくる姿を見て、俺はようやくガードレールから身を起こす。それから言いつけの通り背筋を正して、ごきんと首を鳴らす。


「知りたいか? ばあちゃんの遺言だ」


 弾の切れたスタンガン。それのスイッチを押すと、運転席の男は外に出ることなく痙攣を起こす。ここまで雨ケ崎を運んでくれたなら、運転手はもう用済みだ。そこでチワワみたいにブルってろ。


 その直後、怒声と共に野崎が襲いかかってきた。

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