第35話 初デートはゲームセンターで

 尾行に気づかれないようにしよう、という心配なんていらなかった。


 そもそも待ち合わせ場所と時間をユウリから聞いているのだし、なんなら雨ケ崎の位置情報までスマホを通じて教えてくれる。


 だから心配する必要や、尾行をする必要さえまったくない。いわばストーカー界のゆとり世代だ。

 その代わりに異なる人物の相手をしなければいけないらしい。


「よし、開始10分前だ。それぞれ持ち場について、決して気づかれないようにしろ。絶対にぬかるなよ!」


 俺の目の前でパンパンと手を叩き、大声を出しているのは東堂だ。俺とそいつの2人きりの路上だというのに。

 辺りの通行人からジロジロ見られているし、いたたまれないったらない。正直なところ俺はビビった。大丈夫かよ、こいつの頭はという意味で。


「なんだ、群青?」

「いや、急に大声を出すから驚いただけで……」

「なにを言っているんだ? チームワークはまず掛け声から生まれると学校でも教えたろう。この俺が弱々しい態度をしていては話にならん。しっかり頼むぞ、お前ら!」


 そのあとの光景は少し……いや、だいぶビビった。

 周囲の通行人が一斉に足を止めて「はい!」と答えやがったんだ。まさかの通行人全員がグルという事態に「気持ち悪っ!」と思った。ハンパないな、お金持ちのすることは。


 ふとそのとき昨夜の人物が見当たらないことに俺は気づく。


「そういえばグゼンさんは?」

「いまは運転手としてユウリ様をお連れしている。そのあとに合流だな。しかしデート先として、まさかここを選ぶとは……」


 そう言って東堂が振り返ると、大型の建物があった。

 派手な電飾をつけており、流れる音楽もまた派手な通り、ここはゲームセンターだ。初のデートとして選ぶのはいかがなものかと眉をひそめる気持ちは分かるけど、雨ケ崎の趣味はちょっと特殊なんだよな。


 そう伝えると、はあーっと東堂はため息を吐く。


「雨ケ崎は大人しい生徒だと思ったんだがな」

「大人しい!? まさか、あいつは毒蛇ですよ。最初は大人しいかもしれませんが、気を許すと噛み癖が出てきます」

「慣れると噛む!? まったく、とんでもない生徒だ。いままでに出会ったことのない女性……と言いたいが、うちのグゼンも似たような性格だったな」

「まさか、あんなのがこの世に二人も解き放たれているんですか!?」


 ザザッと俺たちのつけていたイヤホンにノイズが走る。それから聞こえてきたのは、感情のまったく感じられない女性の声だった。


『東堂、ユウリ様をお連れしましたが?』

「お、おお、そうか! よくやってくれた! それでさっきの件だが、まさか聞いていたりは……」

『声、うるさいです。ほんと東堂って生徒相手にベラベラベラベラよく話しますこと。グゼンは感心しました。あまり騒がしいと踏みつぶしますよ、先生』

「…………すまん」


 ちょっと! 東堂が地面にうずくまっちゃったじゃん!

 あーあ、あの人は本当におっかないなぁ。アイスブルーの凍てついた瞳が目に浮かぶし、もしかしたらこの世界の美人はみんな性悪なんじゃないかとアホなことを思う。


 と、ちょうど向こうから歩いてきたのは、オズガルド家の長男ユウリだった。彼は当たり前のように俺に手を振り、それから「今日はよろしくね」と笑いかけてきた。

 

 


 通りを歩いている女性は長い黒髪を束ねており、強い陽射しによって地面には黒い影ができていた。

 伏せがちなまつげ、わずかに紺色混じりの瞳、そして影よりもずっと黒い髪を背中で揺らす。遠くからでも分かる。あの気配は雨ケ崎だ。


 通り過ぎてゆく横顔を見て、ふと昔のことを思い出す。


 彼女と出会ったのは小学生のころだった。

 すぐ隣の家に越してきて、たまたまその様子を眺めていた俺は、自分と歳の近そうな子だと気づいて少しだけ嬉しかった。


 しかし、母娘で玄関先にじっと立ち尽くす様子は子供心にも異様だと思い、とてもじゃないけど話しかけられなかった。なんというか単純に怖かったんだ。あのときはそそくさと離れた記憶がある。


 しばらくすると細かな雨が降り始めて、そっと窓から覗くと母娘はまだ玄関先に立っていた。雨ケ崎がなにかを母親に言い、懸命に手を引いていたが、しかし母親は動こうとしない。


 あれは一体なんだったんだろう。

 越してきたばかりのときは間取りを見たり、家具のことを考えたり、掃除をしたりと忙しくも楽しい時間を過ごすというのに。

 まるで離島に追いやられたようなあの雰囲気は……。


『群青、ぼうっとするな』


 ハッと我に返り、視線を戻すと雨ケ崎はユウリに話しかけていた。

 幼いころは遠くでなにを言っているのか聞き取れなかったけど、いまは文明の利器がある。


『おまたせ、ユウリ君』

『ううん、ちょうど来たところだから。今日はゲームセンターで遊ぼうと思うけど、雨ケ崎さんは賛成?』

『悔しいけれど賛成と言わざるを得ないわね。場所選びとしては悪くないし、あとはなるべく私に話しかけないでいてくれたら及第点だわ』

『雨ケ崎さんっ!?』


 なんでかな。いつも聞いているような会話なのに、あんまり俺は楽しくない。テレビの向こう側にあるドラマを眺めている気分だったし、あそこに俺がいないことがたぶん嫌なんだ。


『……群青、今日は無理しなくていいぞ。あとは俺が引き受けてもいい』


 もしかしたら俺の表情が見られていたのかもしれない。

 だけど「いや、問題ありませんよ」と言って東堂の提案を拒む。意地とか責任感とか、そういうのじゃない。ここで退いたりしたら、もう前に進めなくなる。それが嫌だ。


 通りを歩きながらこう思う。

 俺はずっと大人になりたかった。正しく言うと、大人に負けないくらい強くなりたかった。雨ケ崎の母親、夜子さんが怖いと感じなくなるくらいまで。

 その想いは、彼女と出会って十年経とうと変わらない。



 さて、時給五千円のお仕事が始まった。

 二人の会話についてはあらかじめ設置した集音器が拾い、それを聞きとりやすいように処理してからイヤホンに流れる。スマホを介して映像を見ることもできるので、物陰からじーっと覗くという必要もない。


 いまはちょうどカーレースをしているところで、ハンドルを握りながらユウリは悲鳴を上げていた。


『雨ケ崎さんっ、雨ケ崎さんっ、ボクの車が火を噴いてる!』

『ええ、あと少しね。全力で頑張るわ』

『あと少しってなにが!? さっきからずっとボクのエンジンに体当たりしてるよねっ!?』


 わっと俺は泣きそうな顔になったし、しゃがみこんでもいた。

 雨ケ崎ちゃんっ、もうちょっと手を抜いてあげようっ!? 相手は御曹司だし、君のターゲットじゃなかったの!?


 あー、こっちは若干シリアスぎみで真面目にやってるっていうのに、あいつは1ミリもブレねえなー。

 どうなっているんだよ、あいつの前世は。絶対にコモドオオトカゲみたいな噛んでじわじわ殺すタイプだったろ。


 そう思っていると、ピクンッと雨ケ崎はなにかに反応する。右、左、と周囲を見渡す様子にぎょっとして、俺は慌てて身を隠す。


『どうしたの、雨ケ崎さん?』

『ええ、なぜかあの男から小馬鹿にされた気がしたわ。コモドオオトカゲがどうとか……』


 あの女、ちょっと勘が良すぎませんっ?

 頼むよー、もうちょっと俺をのんびりさせてくれよー。違う意味でドキッとするし、ハイテク機器を使ってもぜんぜん安心できないんだよー。


 ユウリの車が大爆発をすると、雨ケ崎の警戒心も解けてくれた。ほっくりとした表情で車から降りる様子に「あいつには絶対に車の免許を取らせるなよ」と俺は心のなかで警告した。


 しかし問題はユウリだ。

 青い顔で降りる様子を心配しながら見守っていると、雨ケ崎はそれに構うことなくトイレに向かってゆく。案の定、へなへなとユウリは地面に座り込み、ポッケからスマホを取り出した。


『……群青君、デートってこういう感じだっけ? 違うよね?』

「安心しろ。あれはデートじゃなくて、ただの陰湿な妨害プレイだ』

『群青、さっさとユウリ様をお慰めしろ! 早く行けっ!』


 あーもー、監視や護衛なんかじゃなくて、なぐさめる係になっちゃったじゃん。頼むからもうちょっと常識的なデートをしてくれよー。

 などと悪態をつきながら近づくと、涙目になったユウリが勢いよくがばっと躊躇なく抱きついてきた。


 びっくりするほど身体が細いなと思いつつ、背中をぽんぽんと叩く。


「悪かったな、うちの幼馴染がひどいことをして」

「だ、大丈夫。それよりも群青君、今日は離れたら駄目だよ。夕方まで絶対そばにいてね」


 分かった分かったと答えながら背中をさすり、どうにか落ち着かせようとする。ああ、すっかりおびえてしまって可哀そうに。

 そのときふと気がついた。夕方までということは、たっぷり6時間近い勤務時間になるし、時給五千円となると……。


「よーし分かった。全力サポートをするから安心しろ。ユウリを不安になんて絶対にさせないからな」

「ありがとーー!」


 ぎゅっと正面から強く抱きついてから、ユウリはどうにか立ちあがる。金の力……いや、友情のおかげでだいぶ落ち着いたらしく、顔にはいつもの雰囲気が戻っていた。


 きっと音声が拾われているのを知っているのだろう。あるいは彼の不可思議な力で気づいたのかもしれない。

 耳元に唇を寄せると、俺にしか聞こえない声で囁いてきた。


「群青君、ボクに嫉妬した?」

「あん? 嫉妬って……」

「だから雨ケ崎さんと話しているとき、ボクに嫉妬した?」


 してないけど……と小さな声で返事をする。それを聞いたユウリはまたにっこりと笑い、離れ際にこう言った。


「可愛いね、群青君。前にも言ったけど、ボクは勘が鋭いんだ。あんまりぼんやりしていると、もう二度と君の元に雨ケ崎さんが戻らないかもしれない」


 真珠のような歯を覗かせてユウリはそう言う。

 そっちのほうこそ泣きかけていたじゃないかと反論したかったが、バイバイと手を振られては退かざるを得ない。

 やはり雨ケ崎はすぐに帰ってきた。



 さて、やはり雨ケ崎は容赦ない。


 銃でゾンビを撃つゲームではユウリのほうに敵を誘導したり、玉切れを起こしてガブガブ噛まれているのを見てニタァと冷酷な笑みを浮かべたりと……ほんとに容赦ないな、お前は!! どうなってんの、お前の超攻撃的なスタンスは!?


 あークソ、いますぐに突っ込みたい! 上等だよと言ってゾンビを駆逐してやりたい!

 でもね、今日はじっと隠れて辛抱しないといけないんだよね。こういう風に黙っていないといけない状況って初めてだから地味につらい。正面から堂々と突っ込みを入れてやりたいなぁ。


 もだえ苦しんでいると、しかし意外な言葉が聞こえてきた。


『ごめんなさい、ユウリ君。ついいつものクセで……』

『ううん、ぜんぜん。こうやって群青君と遊んでいるんだなと分かって、少し面白かったからね』


 は? あいつが謝った、だと?

 慌てて様子をうかがうと、二人はちょうどゲームを終えたらしく筐体から離れるところだった。


『雨ケ崎さん、はい』

『ありがとう』


 ジュースを手渡されて、素直に礼を言う様子にまた俺はぽかんとした。だって性悪な奴だし、妨害プレイを心から愛しているはずなのに。

 ははーん、こうして油断させたあとに相手を絶望させる毒を吐くつもりか。そう思って俺は耳を澄ます。


『あの男はいくら叩いてもめげないのよ。きっと潜在的なマゾね』

『まぞ? たぶんだけど、群青君はそうやって雨ケ崎さんを楽しませてあげたかったんじゃないかな』


 いや、知らんけど……?

 なんで俺が自虐プレイして雨ケ崎を楽しませていることになってんの? そういうのはユーチューバーとかブイチューバーの仕事だろう。


『まさか、あいつは本物のアホよ。そんなことをあの突っ込み依存症の男に言ったら「んなわけあるか」と叫ぶでしょうね。バカだから』


 だれが突っ込み依存症やねんな。


『たぶんだけど雨ケ崎さんはそれがすごく楽しかったんじゃないかな。群青君は優しいから、そうだと気づいたら雨ケ崎さんのために準備をしてくれていたと思う。雨ケ崎さんと同じくらい強情だから、絶対にそうだと言わないだろうけど』


 思わず無言になった。俺と雨ケ崎の両方ともが。

 俺は「このお坊ちゃまはなにを言ってんだ」というふてくされた顔つきで、雨ケ崎はうまく言葉を発せられずわずかにうつむく。


『今日、ここのゲームセンターを選んで良かった。雨ケ崎さんが元気になってくれたし、それ以外のことでも。ボク、二人のことを知りたかったから』


 ちらりとカメラ目線になってからユウリは微笑む。

 あの夜に見た神秘的な瞳だと思ったし、俺たちのことをなんでも知っているような雰囲気がある。変わった奴だなと思いはするが、映像と音声から目を逸らすことはなぜかできなかった。


『お腹すいたね。近くのお店に行こうか』

『……ええ、構わないわ』


 どうやらゲームセンターのデートは終わりを告げたらしい。

 連れ添って歩き、自動ドアをくぐっていく様子をスマホ越しに眺める。クーラーの効いた店内から出た瞬間に「暑い」と文句を言う雨ケ崎に、不覚にもくすりと笑ってしまった。


 少しだけ驚いたのは、ガタタッと一斉に立ち上がった客たちだ。


「はい、お疲れでーーす!」

「お疲れしたーー! 東堂さん、問題ありませんでしか?」

「ああ、良くやったぞお前たち。見事に景色に溶け込んでいた」


 やっぱりお客さんも全員グルだったのかよーー!

 こいつら一回のデートでいくら金を使えば気が済むんだ!?

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