第34話 俺がストーカーになったワケ
「いいですね。悪くありません。では二人相手の実技に入ります」
グリップはほどよく手になじみ、すぐ背後に立つグゼンさんが声を響かせる。軽やかな美しい響きであり、またときおり俺の腕に触れて角度修正をさせると、わずかに品のある香りが漂った。
しかし鼻の下を伸ばしてはいられない。
手にしているのは金属製の銃に似たものであり、トリガーを引くとガス銃に似たバスバスという音を響かせる。
放たれたのは弾丸ではなく、十円玉を数枚重ねたようなものだ。それは空中で切り離されて、またあいだを繋ぐワイヤーによって対象に絡みつく。
ぐい、と背後から腕を押される。反対側の人体模型に向けて理想的な最短距離で上半身をひねることになり、また背中には弾力あるものがたっぷりと押し当てられるなかでトリガーを絞る。
うっ、と呻いたのは彼女がさらに近づいて、俺の太ももの角度を調整したからだ。腰まで密着することになり、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか「なにか?」と耳元で囁いてくる。
「集中ですよ、群青君。どんな状況でも頭を働かせて、敵を無力化することに集中してください」
まずそのおっぱいをどけろよ、と内心で悪態をつきながら金属筒についているツマミを回す。これには対象を選択するという意味があり、中央のボタンを押すと青白い光が先ほどのコインに流れる。
これは銃ではなく、いわば投射型のスタンガンだ。
ティーザー銃などと異なり、電流を流しては危険な顔などの部位、そして誤った対象に当ててしまった場合、これで除外する。
先ほどテーブルに置かれていたのは、この物騒極まりない代物だった。
最初はヤバいアレかと思って驚愕したけど、こうしてレクチャーを受けてからようやく納得した。これはヤバい代物だと。
さて、電流を浴びた人体模型は震えながら地面に崩れ落ち、そしてもう一体にもツマミで調整するのだが、このタイムラグが難しい。
人体模型が近づいて俺に体当たりを仕掛けてきたので、すぐさま飛びのいて地面に転がる。
その瞬間、パーンと尻を叩かれた。
「いってえ!!」
「ノンノン、地面に倒れてはいけません。着地、そして起き上がりと2つの行動が求められてしまいます。いまのシーンをもう一度やりましょう」
うーん、端的に言って鬼かな。
屋敷の地下に辿り着いてから、すでに数時間ほど経っている。その間、秘密保持の誓約書にサインをしたり、こうしてハイテク装備を使いこなす練習を受けていたりする。パンパンパンパン尻を叩かれっぱなしだ。
汗だくの上半身を起こしながらグゼンさんに振り返る。相変わらずシャツとズボンという運転手らしい服装であり、また正面から見るとぱつっと張ったシャツにどうしても目を吸い寄せられる。
「あの、デートを監視する役目ですよね? これって必要あります?」
「必要があったときに、困ってオロオロしていたければグゼンは構いませんよ。シャワーを浴びて、帰ってどうぞ」
仁王立ちする彼女はそう言い放ち、カチンときた俺は立ち上がる。うーん、挑発に弱いってことがバレてんのかな。
先ほどはなにがいけなかったのか。どうすれば正解だったのか。
そんなことを思い、立体的に敵の配置と自分の動きを想像しながら青い瞳に目を向ける。
「これって日本を配慮した武器なんです?」
「ええ、そうですね。鎮圧用の武器です。国の許可を得るために、この操作、そして段階的な認証を受ける必要があります。さあ、休む口実は済みましたか?」
にこりと笑いもせずにそう言われて、冷汗が背筋を流れた。
たまにおっぱいが当たるのは嬉しいんだけど、それよりもずっと過酷なことを求められている。
少なくとも高校生相手に持たせていいものじゃないだろうな。そう内心でグチを漏らしたとき、再び人体模型が動き出す。
右、左、と先ほどと違ってグゼンさんの補助を借りずにバスバスと投射を済ます。
そして最も気をつけたのは電流を流すコインの当て場所だった。胸部にのみ絡みつかせたので、電流を流した際の危険度はグッと下がった。今度のツマミ操作は大して考えずに済み、ごく短時間で二体は床に沈んだ。
ふぃー、と息を吐いたとき、練習場に拍手の音が響く。
「エクセレント。群青君はセンスがありますね。ゲームの得意な子は、覚えが早くて教えがいもあります」
「どうも。それって関係あります?」
「ありますね。立体的に位置取りを考えることができたり、タイミングをすぐに覚えます。そういった頭の使い方に慣れているとぜんぜん違いますよ」
はあ、そういうものですか。などと生返事をしながらタオルで汗を拭く。ちらりと時計を見ると、もうかなり遅い時間だった。
「あ、そろそろ帰らないと。グゼンさん、そろそろ切り上げて大丈夫ですか?」
そう伝えたのだがグゼンさんは眉間に皺を刻み、そして時計をじっと見つめたあと大きなため息を吐いた。なんだろう、この残念そうな顔は。
「……ですね。非常に残念ですが明日の仕事を控えていますので、あとは後日にしましょう。では放課後は必ずここに通ってください。群青君には教えたいことが山のようにあります」
「えっ? いえ、それはちょっと……」
「時給は東堂が払いますよ」
んぐっ、と俺は唸る。
放課後に寄って身体を動かすだけで時給五千円だと? いやしかしイザベラを放っておけないし、宿題や試験勉強も……。
などと苦悩していると背後から声が響いた。
「こらこら、あまり俺の生徒を困らせるな。群青、仕事をする件については奥方様から許可を得た。ふたつ返事で了承されたんだが、お前は会ったことでもあるのか? 妙に気に入られている気がしたんだが……」
「は? いえ、ここに立ち寄ったのも初めてですし、気のせいじゃないですかね」
そうか、と納得しきれていない表情で東堂は頷く。
しかしそれよりも気になるのは、彼が手にしている中型のバイクだ。黒塗りの車体で、レースにでも出ていそうな車体をしている。うーん、かっこいい。
「お、気に入ったか? これをお前に預けておく。家まで送り迎えをするのは面倒だし、ここに通う足に使え。壊してもいいが怪我だけはするなよ。校長に叱られるのは困る」
困るのかよ、と内心でツッコミを入れながらも俺は驚く。
「え、借りてもいいんですか?」
「ああ。というよりも仕事をするのに足がないのは致命的だ。いざというときに動けないのは話にならん。そこのグゼンも気に入ったようだしな」
にやりと笑いかけられたグゼンさんは、対照的に無表情になる。そして俺の隣に立つと……えっ、なんでこのタイミングで俺の尻を触るの!?
「ええ、毛虫のような東堂と違ってすごく素直でいい子ですね」
「そ、そうか、なら好きなだけ手ほどきしてやるといい。ただし怪我をさせないようにな」
なんて会話をしながらも、めっちゃ俺の尻を触ってるんだけど!? 身体検査のときもそうだったけど、この人って尻フェチなのかなぁ。おぞぞっと悪寒を走らせながらも、どうにか俺はコクコクと頷いた。
ちらりと横顔を見るとやはり美人なんだけど……やっぱり変わっている人だなぁ、と俺は思う。
明日の仕事もあるので、今夜はそれでお別れになった。
さて、俺は自室で頭を抱えている。
悩みの種というべきか目の前に中くらいのサイズのアタッシュケースがあり、その銀色の箱を死んだ魚のような目で眺めていた。
「ただの高校生に渡してもいいのか、これ」
そうつぶやきはすれど聞く者はおらず、隣で寝ているイザベラだけが「ぐう」と寝言を響かせる。
窓の外はもうすっかり明るく、カーテンの向こうには曇り空が広がっている。予定通りであれば本日は雨ケ崎とユウリがデートをする日だ。
「まったく、デートってなんだよ、デートって」
俺なんて一度もそんなイベントが発生したことないよ。
少なからずイラッとしながら起き上がり、そしてカーテンを開ける。
すぐそこに雨ケ崎の部屋の窓があり、やはりカーテンで厚く隠されている。あれからまともに顔を合わせていないし、会話だってしていない。
「……しょうがないか。こうでもしないと雨ケ崎の尻尾をつかめないな」
よし決めた。使えるものはなんでも使おう。
「ま、仕事として引き受けたのは俺だしな。こうなったらプロのストーカーを目指してやるか」
ぱちんぱちんとケースの留め具を外しながらそうつぶやく。
開くと緩衝材に包まれた見慣れない電子機器があり、それをひとつずつ身体につけ始める。
腰にはバッテリー入りのポーチ。
オズガルド家の紋章がついたスマホを胸ポッケに入れて、耳には特殊なイヤホンをつける。一番大きな得物を手にするかしばし悩み……念のため手にすることにした。
うーん、ハイテク機器を扱うスパイ映画みたいになってきたな。テンションが上がるかというとそんなこともなく、はーあ、とため息が出てきそうだった。だってプロのストーカーを目指しているんだもん。
おっといかん。時給五千円、時給五千円、と念仏のようにつぶやいていると、向かいの窓にちらりと人影が見える。
「そろそろ出発か。こういうとき楽に監視できるのは幼馴染の特権だな」
幼馴染を監視して時給五千円をもらうような奴はいないと思うが。
ともかく請け負った仕事は絶対にこなしてみせる。立派なストーカーになるための第一歩がここから始まったわけだ。
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