第33話 我らの地下施設へようこそ
玄関を出ると、濃い雨の匂いに包まれた。
通り雨だったらしくすでに止んでおり、高い湿度のせいでぬるま湯に浸かるような夜だなと思う。
ほうとひとつ息を吐き出して、濡れた道を歩き始める。
静かで暗い場所を歩くのはそんなに嫌いじゃない。自分だけしかいなくて、歩く音と息づかいだけしか聞こえない。そういうのってうまく言えないけど気が安らぐんだ。
一人きりの時間を楽しみながら歩き続けると、小さな公園にたどり着く。いくつかの遊具が並んでいて、それを冷たい色の照明が照らす。うら寂しいと思える光景だ。
当たり前だけど誰もいない……と思ったら、なにを考えているのか公園の中央にリムジンが停められており、そこに一人の男が寄りかかっていた。
おいおい、こんな場所に停めるなよ。あいつらはもっと常識的な行動をして欲しいなと思いながら俺は一歩ずつ近づいてゆく。
先ほどユウリが帰宅したあと、あそこで片手を上げる東堂から連絡が入った。夜に溶け込んでしまいそうな色のスーツを着た相手に、遅くまでお仕事ご苦労様だと思いながら俺も手を上げる。
「悪いな、こんな時間に呼び出して」
「いえ、そちらが先生の本職ですし。それで、なにから聞きます?」
「とりあえず乗ってくれ。お前には聞きたいことが山ほどある」
さて、今夜は何時に寝れるのかな。
聞かれることは分かっている。ユウリがなぜ俺の家に来たのか、そしてどんな会話をしたのか、という内容だろう。もちろん押し倒されたことは全力で伏せるぞ。でないと俺の命が危ない。
車に乗る直前、ドアに手をかけた東堂が笑いかけてきた。
「意外だな。お前はもっと扱いづらい奴かと思ったが」
「それ、東堂先生が言います?」
面倒臭い大人の代表格じゃないかと嫌そうな表情で伝えると、ニヤッと笑われた。
そんな不満を言いいつつも、実は「しめしめ」と内心でほくそ笑んでいたりする。こんな情報提供ぐらいでオズガルド家の内側に入り込めるのだから願ったり叶ったりだ。
雨ケ崎の尻尾を掴むまで、先生をたっぷり利用させていただきますよ。
そう思いながらリムジンに乗り込むと先客がいることに気づく。
畳んでいたシートを開いたらしく、向かいに座っているのは運転手の格好をした女性だった。
「きちんとしたご挨拶は初めてですね。私はグゼン・アルトリア。ご存じの通りユウリ様の運転手をしています」
はきはきとした口調で聞き取りやすい日本語を話す女性だ。
ひと目で日本人ではないと分かる西洋風の顔立ちであり、気が強そうだなと同時に思う。しかしこうして正面から見ると、薄暗い車内でもかなりの美人だと分かる。
そばかすを浮かせていることも初めて知ったし、それよりもシャツをぱつっと膨らませた胸の存在感がすごい。
乳房には引力があるのか目が勝手に吸い寄せられそうだ。その誘惑に屈さないよう必死にこらえながら伸ばされた手を握り返す。
「群青誠一郎です。グゼンさん、何度か学校まで乗せていただいてありがとうございます」
「いえ、仕事ですので。東堂、彼はそんなに危ない感じがしません。前情報はもっとしっかりしてください」
グゼンさんが青い瞳を横に向けると、そこにはリムジンに乗り込む東堂の姿がある。彼はバタンとドアを閉じてから笑いかけてきた。
「女は見た目に騙されやすい。男は女を見る目がない。世の中はそういうものだ」
「うわ、キモ……」
うっと口元を押さえた馬鹿にする仕草に驚く。
わずかなやりとりだったけど、ヒクついた東堂の顔を見てなんとなく二人の関係性が分かったかな。
さて、車内という密室で淡々とした情報交換が続く。
彼らにとって興味があるのは、言うまでもなくうちにユウリが来た理由だ。
多少は伏せたかったが、すぐ隣からアイスブルーの凍てついた瞳にじっと見られており、嘘を簡単に見抜きそうな人だと思う。なので押し倒されたこと以外の彼らが必要な情報をほぼ伝えた。
ふむ、と唸りながら東堂は椅子に背を預ける。
「なるほど。雨ケ崎とのデートか。健全なものだし微笑ましいくらいだが、それはユウリ様相手でなければだな。グゼン、お前はそのことでなにか聞いているか?」
「はい」
「だろうな。お目付け役の俺が聞かされていないのだから……なぬ?」
くるっとグゼンさんが振り向き、凍てついた瞳で東堂を見る。金髪を指で払い、そして紅を塗った唇を開く。
「よほど思い悩んでいたのか、東堂があまりに役立たないのか、デートの行き先について相談されたので応じました」
「そ、それを先に言ってくれないか! 頼むから俺をのけ者にするな!」
「ハーー……、東堂って相変わらずウザ過ぎますね」
「なんっっっでだよ! ちょっとは部下らしくしてくれ!」
あ、グゼンさんが笑った。いや、あの表情は「あざ笑う」と言ったほうが正しいか。
しかしこの人、本当に胸の発育がすごいな。少し動いただけで「ゆさっ」という音が聞こえてきそうだし、日本人とは遺伝子から違うのだろうか。こんな状況で言うのもアレだけど……にっこりしそうなほど眼福である。
気を取り直したらしく東堂がこう提案してきた。
「ユウリ様直々にデートを監視して欲しいと言われたのは、こちらとしても都合がいい。我々も潜むが、お前だけは気づかれても大して問題ないし、すぐ近くにいられるからな」
「え、俺に監視をしろってことですか? 嫌ですよ。ただでさえストーカーとか盗撮魔とか言われているんですから」
「時給三千円出す」
「やりますよ、男ですから」
がっしりと握手して契約は成立した。
やったぜ。みかん農家の3倍近い時給だ。こんな地方だと本当にバイト先が限られているし、高校生だとさらに厳しいんだ。農家に関してなら学校側も寛容だけど、ストーカーの仕事はどう思われるのか……いいや、黙っておこう。
などと算段をつけていると、グゼンさんは傍らに置いていた帽子をかぶる。
「では準備も必要でしょうし、屋敷にお連れしますか」
「え、準備って……なに?」
「プロとしての備えだ。群青が立派なストーカーになるためのな」
にやりと笑いかけてくる東堂に、ほんの少し嫌な予感がした。
ぎぃ、と鉄格子が開いてリムジンはそこを抜けてゆく。
敷地内は暗く、歩道の足元だけを照らしている。その庭園からどんどん逸れてゆき、車はゆっくりと砂利道を進んでからガレージに入った。
時刻はすでに夜の9時を過ぎている。
普段ならゲームで遊ぶか勉強をするか悩んでいる時間帯だが、今夜の俺はなぜかオズガルド家にお邪魔していた。
「こっちだ、群青」
招いてくるのは学校の担任もといユウリのお目付け役であり、もう一人の同伴者は帽子を脱ぎながら見つめてくる運転手だ。その彼女は冴え冴えとした青い瞳をしており、俺を見るなりこう言った。
「これから地下に向かいます。その前に身体調査をしますので、じっとしていてください」
「やっぱり厳重なんですね。分かりました」
なんてことはないガレージだけど、奥にはエレベーターらしきものがある。高さのない建物だったので彼女の言った通りこれから地下に向かうのだろう。
当たり前だけど身体検査を受けるなんて初めてだ。まるで映画だなと思いながらぽんぽんと身体を触れられて、太ももからお尻まで……あの、丹念すぎませんか? お尻のあたりを3往復ぐらい撫でられているんですけど。
そう怪訝に思っていると、キリッと青い瞳を向けてくる。
「群青君、身体を鍛えていますか?」
「え? いえ、部活には入っていないし、犬の散歩とかレシーブの特訓とかくらいです」
レシーブの特訓? と不思議そうな顔を浮かべつつ、やっと俺の尻を解放してくれた。
「非常に男性受けするお尻をしています」
「ぜんっぜん嬉しくないっスね!」
ぱちくりと瞳を丸くするグゼンさんに「あ、ヤベ」と少しばかり焦る。いつものクセで盛大な突っ込みをしてしまった。
すっくと立ちあがる彼女は冷たい表情に戻っており「元気が宜しいですこと」と肩に触れながら囁いてきた。
もうひとつ、こう小さな声で囁かれる。
「ユウリ様が男性を好むことは珍しいので、念入りに調べさせていただきました」
「尻を!?」
「ええ、君の可愛いお尻を」
変わった女性だなという思いは、背後に回られたときに強まった。足音も気配もスッと消えて、まるでそこに誰もいないような気がしたんだ。振り返ってみると彼女はきちんとそこにおり「なにか?」と首を傾げてくる。
「……暗殺者みたいな感じですか?」
「職業上の秘密ですよ、群青君」
なるほど、やはりただの運転手などではないらしい。ユウリの護衛を兼ねているのだから当然かもしれないが。
いや、待て待て。なぜか尻への視線だけはハッキリ感じる。もしかしたらただの運転手でいて欲しい女性かもしれない。あー、ゾワッとする。
さて、エレベーターには地上1階から地下2階まで、計3つのボタンがあった。俺の記憶が正しければ建設開始から半年ほどで完成させている場所のはずだが、それにしては大掛かりだなと思う。
東堂、グゼンさんに挟まれる形で、ほどなくして階下に辿り着いたと知らせる電子音が鳴った。
かつんと俺たちの靴の音が響く。
学校に似ているなと思うのは、まっすぐの廊下、そして左右に教室のような空間があることだろう。どこも真っ暗でなかの様子を見れないが、きっと真夜中に校舎を訪れたらこんな雰囲気だろう。
「群青を雇ったのは、大ごとになりかねないと思ったからだ」
シンと静まり返った廊下を歩いていると、東堂はそう話を切り出す。
長身の彼が前を歩いて、後方にはたぶんグゼンさんがいる。こうして挟まれるのはリムジンに乗ったときからずっと続いており、変な感じだなと思いながら東堂の背中を追う。
「先生の言う大ごとというのは、ユウリが雨ケ崎と交際している件ですか?」
「そうだ。ユウリ様には自由な恋愛が許されていない。いまの段階ならどうとでもなるが、これ以上の発展は避けたい。そのためにお前を雇った」
ふうん、と納得しきれない声を漏らす。
謎、謎、謎ばっかりだな、この家は。どんなお金持ちだろうと恋愛はだれでもする。どこかの国の王族だって一般人と交際して、それをテレビで流すこともあるというのに。
「時給三千円で役立ちますかね?」
「なら時給五千円でいい」
うへっ、図らずも時給大幅アップだ。
月のお小遣いと同額になったし、そこまでの高額になるとだんだん怖くなってくるな。となるとあまりのほほんとしていられなそうだ。
長い通路を歩きながら考える。
先ほどの「そのために雇った」という言葉の意味は、単に「二人の仲を邪魔しろ」という意味だろう。またこれまで以上に役立てという意味も含まれている気がする。
すっかり暗闇に目が慣れたところで、がちゃりとドアが開かれる。その先はまぶしいと思えるほどの光量があり、思わず手をかざして目を細める。
「ようこそ、我らの地下施設へ。オズガルド家の
そんなことを東堂は言い、俺のすぐ背後から「ウザ」という声が響く。
しかし俺は返事をすることもままならない。なぜならすぐ目の前の台に置かれていたのは、予想もつかないものだったからだ。
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