第32話 ライバルの来訪 後編

「違和感、か……」

「ん、どういう意味?」

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」


 ああ見えて雨ケ崎は頭がいい。勉強以外のところでもな。目標を定めたらきっちり仕事できる奴だと思っている。しかし先ほどの話を聞いている限り、自分から悪評を立てようとしているようだし、やはり話を聞くたびに違和感が強くなる。


 すると雨ケ崎本人は前向きではないのか。

 ちょっとだけ安心したのは、たぶんこのあいだ手をつないでいる姿を見たからだ。俺相手には「もう二度としない」と真っ赤な顔で断っていたというのにさ。


 肩の力が抜けると口も軽くなる。まだ不思議そうなユウリを見て、俺はこう話しかけた。


「俺なら喜んでデートに行くんだがな」


 大した考えのない言葉だったが、ぴくんっとユウリは顔を上げる。散歩につれていく前のイザベラみたいな顔だなと思いつつ、場をなごますために俺はこう冗談を言った。


「俺とデートに行くか?」

「行くっっっ!」


 しまった、冗談じゃなくていまのは完全に俺の本音だった。

 瞳をきらきらさせて顔を近づけてくる様子は、まさしくイザベラそっくりだったし……こらこら、近い近い。小さくて可愛いお顔がすぐ近くにあって、どぎまぎしてつらいし抱きしめたい。


 頼むよ。ここまできたらちゃんと女として生まれようよ。などと思いながら逃げ場のない俺はフローリングに押し倒された。


「ん、どうした?」


 ごめんねと謝って、すぐにどいてくれると思ったんだ。しかし蛍光灯を背後にして、俺の両脇に手をついたユウリが笑いかけてくる。

 ふんわりとした女の子の香りに包まれて、はにかんで、小首を傾げて、そしてぽしょりとこう言った。


「群青君の好み、すごく知りたいなぁ。デートをしたらきっと分かるだろうし、だからさっきボクが言ったのは冗談じゃないんだ」


 ほつれた髪を気にもせず、大きな瞳をまばたきさせながらユウリはそう言う。挑発的だと思ったし、獲物を狙う猫のような表情だとも思う。


 少し雰囲気が変わったか、こいつ?

 以前はもっと大人しかったと思うし、こうして「知りたい」とはっきり言いはしなかった。どこか人間くさい欲望を感じたんだ。

 とまどいつつも「そうか?」と尋ねると、ユウリは笑みを強めた。


「ボク、群青君と雨ケ崎さんの関係に憧れているから」


 そう言い、指先で俺の鼻をつついてきた。子供相手にする仕草だったので、ぽかんとあっけに取られた。


 乗っかっているお尻から体温がじんわりと伝わってくる。梅雨どきの湿気がそれを助長して、ユウリ特有の柑橘系の香りが届く。そのあいだも彼がじっと目を離さないものだから、どうにもやりづらいなと思う。


「あいつとの関係に憧れる要素あった?」

「うん、あるよ。群青君は気づいていないだけ」


 ある……かなぁ? ないんじゃない?

 そう思いはするけれど、ユウリの瞳はそれを否定するものだった。


「幼馴染だと、そういうのって分からないよね」

「うーん、俺らは兄妹みたいなものだしな」


 そう言うとユウリは、ううんとかぶりを振る。

 髪をふわふわと揺らして、そして再び笑みを浮かべた。


「幼馴染と兄妹はぜんぜん違うよ。だって、幼馴染はずっと一緒にいるわけじゃないでしょ? 離れ離れになって、いつか忘れちゃう。でも群青君と雨ケ崎さんは、たぶんずっと離れない」


 どうしてだか分かる? と瞳で問いかけられた。

 相も変わらず馬乗りにされたままで、しかしどうにも俺は跳ねのけられない。女の子よりも小さいし、ずっと力が弱い相手だというのに。


「ボクの勘だけど、雨ケ崎さんって、元々そんなにキツい性格じゃなかったと思う。こう見えて、ボクの勘ってあんまり外れないんだ。不思議だよね」


 どこかユウリの雰囲気が変わった。そう思う。予言者のようだと思ったし、現実離れした雰囲気を俺は肌で感じている。

 ユウリは尚もふんわりと微笑んでいるものの、まとう空気はどこか神秘的だった。だから上から振ってくる言葉に俺は耳をすませる。


「君と一緒にい続けるために、雨ケ崎さんはああなった。その関係は、もう友達なんかじゃないと思う。ほら、ボクが憧れる理由、少しは分かるよね」


 ふっと雨ケ崎の顔が脳裏に見えた。

 ブレザーの制服を着て、振り返りながら微笑む姿だ。

 年相応の明るい表情であり、本当はこんな笑顔ができるのかと驚く。


「見えた?」


 そう問いかけられて、いくつもの汗が伝い落ちていく。

 ぽつぽつと窓に何かが当たり、それからたくさんの雨が降りそそぐ。

 まだ耳に残っている声はガラスみたいに透明クリアで、ユウリはそっと唇に指先を当てる。内緒だよ、と続けて囁かれた。


「オズガルド家には魔女の血が遺されている。そんなおとぎ話みたいなことをボクは子供のころから聞かされている。もしかしたらこの世界には魔法というものがあるのかもしれない」


 ごくっと俺は喉を鳴らした。

 見た目通りの相手ではないと俺はようやく悟ったんだ。非現実的な空気に包まれて、頭がクラリとした。


「いや、まさか。あの性格が俺のせいだっていうのか?」

「違うよ。君といるためにそうしたんだ。理由は……きっと彼女は答えてくれない。不思議だね、出会ってまだ少ししか経っていないボクのほうが分かるなんて」


 息も届くような距離まで近づいて、ふっとユウリは笑う。馬鹿にしているとは正反対の、愛らしいものを見るような瞳で。


「だから群青君には内緒。ボクたちが交際した理由も、雨ケ崎さんがなにを考えているのかも」


 そう子供っぽいのか大人っぽいのか分からない表情ではにかまれた。

 気が済んだのか、ようやくユウリは俺から離れていく。まだお腹には彼の体温が残されており、無意識にそれを撫でながら起き上がる。

 再びあぐらをかくと、髪の毛を整えているユウリに問いかけた。


「ふうん、ユウリと一緒だと謎ばかりが増えるな。じゃあまずは最初の謎から解こう。もう一度聞くけど、どうしてわざわざ俺の家に来たんだ?」


 ようやく宿題を思い出したような顔をユウリはする。大きな瞳を見開いて、ぱちぱちとまばたきしたんだ。

 それから徐々にうつむいて、家に来たばかりのときとまったく同じ表情に戻った。


「明日、デートに行くんだ……」


 おーい、それは胃を押さえながら言うセリフじゃないぞー。

 本気で胃痛を起こしているのか、つらそうな顔で体育座りをする。ひざに額を乗せると普段よりもずっと小さくなった。


「が、がんばれよ」

「人ごとだと思って!」


 わっと泣きそうな顔でそう言われたけど、たぶんユウリの自業自得だぞ。秘密にされているせいで事情がぜんぜん分からないし、嫌なら嫌だって言えばいいのに。

 その空気を嗅ぎ取ったらしく、ユウリはだんだん顔を曇らせていく。そして這い寄ってくると俺の腕にしがみついた。


「う、うまくエスコートする方法を教えて! いますぐに!」


 あー、そういうことかー。

 ようやく家に来た理由が分かったけど、それは「女子とデートする方法を聞く」という、とても悲しいことだった。


 天下のオズガルド家の嫡男が、デート先選びで困り果てちゃったか。

 ため息を吐きたくとも視界いっぱいにユウリの泣きそうな顔がある。瞳の端にはみるみる涙が溜まりつつあり、これはもう適当なことは言えないなと思った。


 というかなんで俺、こいつ相手にイライラしたんだよ。意味分かんないよ。


「んー、そうだな……雨ケ崎に選択肢を与えた方がいいと思う」

「選択肢?」

「たぶんだけど、植物園とか遊園地とか、そういうデートコースを考えていたんだろう?」


 うんうんとユウリはしがみついていた腕の力を抜きながらうなずく。

 デートといえばそういう場所に落ちつくだろうし、きっと誰でも楽しめるはずだ……と思いやすい。しかし相手はあの雨ケ崎だ。


「あいつって趣味が偏っているんだ。漫画とかゲームとか、そういう室内で遊べるものが好きだから、あんまり外に連れ出さないほうがいい。漫画喫茶とかゲーセンとか図書館とか、そういう風になにで遊ぶかを雨ケ崎が選べる場所がいいと思う」


 沈んでいた瞳が、星空のようにぱっと輝く。

 それでそれで? と顔をさらに近づけてくるものだから、つい俺は苦笑してしまった。


「どうにか会話をつなげようとがんばらなくていい。あいつは静かな時間も好きだから、話したいときは勝手に話す。ユウリも暇だったらスマホをいじくっていいぞ。変わっている奴だからそういうのを気にしは……」


 しない、という言葉を飲みこむ。

 気づいたらにっこりとユウリから笑いかけられていたんだ。


「良かった。群青君がちゃんと考えてくれていて」

「ちゃんとって……かなり口から出まかせだぞ?」


 くすっと笑われた。やはり人を馬鹿にする感じではなくて、どちらかというと微笑ましいものを見る目だ。正直なところ背中がムズかゆくて仕方ない。


「ううん、なんとなく群青君のことが分かったかな。やっぱり直接話をしないと分からないことってあるよね。それでお願いなんだけど……」


 そっと両手の指を合わせてユウリは覗き込んでくる。

 あのな、そういう仕草が完全に女の子だからこっちはドギマギするんだぞ。などと思いつつ「おいでおいで」と招かれるまま顔を近づける。そして耳元にこう囁かれた。


「明日のデート、群青君にこっそりと見守ってもらえないかな?」

「はあ~~?」


 オズガルド家の嫡男たっての願いにも関わらず、生まれてから最も嫌そうな顔を俺は浮かべた。


 あいつとのデートを見ていろだって?

 冗談じゃないですよ、ユウリお坊ちゃん!

 そう断ったのだが、直後に「お願いお願い」と必死な表情で言われて……俺は屈した。可愛さに屈した。

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