第32話 ライバルの来訪 前編
考えごとがあるとき、俺はベッドに寝そべったりお風呂に入るクセがある。できるだけ身体の負担を減らして、頭を使うことだけに集中したいんだ。
いつもの天井を見上げながら、得た情報をひとつずつ口にする。
「俺の考えはだいたい合っていた。オズガルド家は混乱しており、ユウリと雨ケ崎はそれを知ったうえであえて交際した」
そうつぶやいたからだろう。ベッドの足元からひょいとイザベラが顔を覗かせて、少しするとまたクッションに丸まった。あそこは雨ケ崎の特等席だったから、きっと彼女の香りをたくさん吸い込んでいるのだ。
枕にまた頭を乗せると、こちらも彼女の残り香が漂った。
「しかしユウリは口を閉ざしている。つまり、大したことではないと考えている裏づけになる。もしかしたら交際した理由を一部の人にだけ伝えているかもしれない」
ん、もうちょっと掘り下げようか。
ちょうどいいことに俺の部屋にはホワイトボードがある。雨ケ崎がどうしても欲しいと言い出したもので、お小遣いを折半して購入したものだ。これをお店から運ぶのはすごく大変だったっけ。
苦笑しながら立ち上がり、専用のペンを手にする。
描くのは登場人物の相関図、そして時系列だ。俺や東堂も描いているが、ほぼ蚊帳の外というモブキャラだろう。
登場人物は他にもいる。雨ケ崎の母親、夜子さんだ。少し悩んで、以前絡んできた野崎先輩も足す。
前者は財産目当ての欲にまみれた人物だ。邪魔をするなと俺を脅し、自分だけより良い人生を送ろうとしている。
また後者はなんとなく嫌な感じがするから描いただけに過ぎない。いや、殴られた恨みがまだ晴れていないだけか。
「まあいい。情報を得られる先はこの二箇所だな。オズガルド家、それと雨ケ崎。しかし雨ケ崎の家には夜子さんがいて近づけない」
別にあんなおばさん怖くないし普通に話しかけてもいいんだけど、無策で飛び込むのはダメだろう。相手にぶつけるものがなければ得るものもなく終わる。それは避けたい。
「となると、このルートしかない」
ペンでなぞる先にいたのは、さきほど会った東堂だ。
一般市民の俺に接触するほど困っており、ほんのちょっとの「餌」でも美味しそうに食べていた。
「さーて、課題はひとつ。どうやって東堂と仲良くなるかだ。あいつに身内と思われないと情報を得られないし、この先には一歩も進めないぞ」
ニヤアと我ながら悪どい笑みを浮かべて、きゅっきゅっと花丸印をつけてやる。
他の連中と違って共通の悩みを抱えている相手だし、仲良くなるための方法もいくつか思いつける。たとえば先生と生徒という仲ではなく……。
――ピンポーン。
と、チャイムが鳴って俺の思考は引き戻される。
あ、そういや夕飯を作るのも忘れていたな。そう思いながら階段を下りてゆき、シンと静まり返ったリビングに気づく。親が帰ったかどうかさえ気にしていなかったらしい。
などと思っているあいだもピンポンピンポンとチャイムはせわしない。
「はいはい、どなたですかーっと」
こんな時間に宅配かな、と思いながらドアを開いて……しばし凍りつく。
俺の推理が全て無駄だったんじゃないかな、と思うときがある。
そこには困ったような笑みを浮かべる者がおり、品の良い服装と明るい髪をした……ってユウリじゃん。
「あ、悪い。幻覚っぽいから一回閉じるわ」
「待って、群青君。幻覚なんかじゃないし、幻覚だとしてもドアを閉じてどうにかなるの!?」
お、おう、と返事をしながら俺は戸惑う。
なんだろう、いまのキレのある突っこみは。
以前ならもう少しふわふわした話し方をして、バタンとドアが閉じてからようやく「群青君っ!?」と泣きそうな声を上げるような奴だった。しかしいまはというとドアノブにしがみつき、決して閉じてなるものかという気迫を感じる。
「どうしたんだ?」
「う、うん。実はあんまり余裕がないんだ……」
そのまま玄関先でへたりこんでしまう様子にぎょっとした。慌ててユウリの肩に触れながら外を見てみると……うん、やっぱりリムジンが停まっているか。すると東堂はあそこにいるな。
しばし車を眺めたあとに、玄関をバタンと閉じた。こんなときこそ俺を情報源にしておいて良かったと、きっと東堂も思うだろう。もちろんもちろん。仲良くなるためにはなんでも話すぞ。
しかしだな、よくよく冷静に考えてみると不安になってくる。
品の良い服装をした名家のご子息が「おじゃまします」と言って上がっているし、うちの安っぽい空気を嗅がせて平気かな、と思うんだ。あまつさえ俺の部屋に連れ込むなんてことは……そこはかとなく犯罪臭がする。
「あの、ここでは話せないから、良かったら群青君の部屋に入れてくれないかな」
カッと落雷が起きたような顔を俺はした。
まーて待て待て。少しだけ待とうか。これはどういうことだ。なにが起きている。具体的には恋愛的なイベントかどうかという意味であり……いや違います。よこしまな考えなんてありませんよ、僕は。
そう苦悩しつつも階段を上がり、ついてくるユウリに振り返る。
「話せないって、雨ケ崎とのことか?」
「そう、かな……」
うーん、歯切れが悪い。そっと視線を横に逸らすし、わずかに汗をかいている。
ペロッ、これは嘘をついている味だな、とか冗談っぽく言えば許されるかな。いや、ただ舐めたいだけという私利私欲じゃなくって。単に場をなごませたいだけだから。
気まずそうに腕をさすっているユウリに戸惑いつつ、がちゃりとドアを開く。
「まあ、せっかく来たんだしくつろいでくれ。狭いけど気にしないでくれよな」
そう声をかけたのだが興味津々にあちこちをユウリは眺める。あごまでかかる横髪を揺らし、そして「わああ」と声を漏らしていた。
こうして見ると実年齢よりもずっと幼く見える。子供のような表情だと思ったし、頬を赤くさせながら振り返って「すごいね」と言った。
外はもう真っ暗で、窓のすぐ向こうには雨ケ崎の部屋が見える。明かりはついているもののカーテンを閉じており、様子を伺うことはできない。
こちらもカーテンを閉めてから振り返ると、起きたイザベラが真っすぐユウリに歩いてゆくところだった。
「なにがすごいんだ?」
狭いし大して掃除していない部屋なのに。
足元にじゃれつくイザベラを構いつつ、ユウリは顔を上げる。それから部屋をひととおり眺めて紺色の瞳を向けてきた。
「うん、クッションと椅子があって、一人用と思えない大きな机もある。雨ケ崎さんが気持ち良く過ごせそうな部屋だなって思ったよ」
にっこりと笑みを浮かべており、邪気や嫌味などまったく感じさせない雰囲気だった。
はて、これはどういうことだろう。雨ケ崎の彼氏から感心されるなんて違和感しか覚えないぞ。となると以前考えた「交際はしていても恋愛感情はないのでは」という疑いが確信に変わりつつある。
まだイザベラと遊んでいるユウリを手で招いて、それから本題に入ることにした。
「それで、なにに困って俺のところに来たんだ?」
じぃ、と上目がちに見つめられた。
瞳が大きいぶん可愛らしいけど、いまばかりは自分の尻をつねってでも話を聞かないとな。恐らくは東堂たちに相談できない内容だろうし、わざわざ来てくれたのだから多少なりとも力になりたい。
「う、ん……それがね……」
座布団に正座をして、半ズボンのユウリはもじもじと指を動かす。細い足だし女の子としか思えない彼は、こう口にした。
「雨ケ崎さんって、ちょっと、その、性格がキツくない?」
「分かるーーーー」
それな、と俺は心から全力で共感した。
俺も多少は口が悪いけどさ、あいつはまた別なんだ。
たとえばだな、崖にぶら下がっている男がいたとする。そいつから「助けてくれ」と言われたら、俺なら「とりあえず自力でがんばってみろよ。男だろ。できるできる」と答えるだろう。
しかし雨ケ崎はというと、その手をつねりながら「滑稽ね」と口にしかねない。まさに人とは思えない所業だ。
そう伝えるとユウリは首をゆっくりと斜めに傾げた。
「うん、ごめんね。どっちもひどい人にしか聞こえない」
「そう? たとえが難しかったかな……」
「えーと、わりとちゃんと伝わった気がする、かな」
困ったような笑みを浮かべられたけど、だんだん心配になってきた。
あいつは俺が言うまでもなく性悪だし、反対にユウリはどこからどう見ても善人だ。一緒にいてひどい目に遭わされているんじゃないかって、そりゃあ思うよ。
「う、ううん! そこまでひどくはないよ! ただ……」
「ただ?」
かいつまんで話すと、つき合い始めにこんなことがあったらしい。
どこかに行って遊ぼうという話になったとき、ユウリが提案した場所に雨ケ崎は「ハーー……」と重苦しいため息をつき「そう」と言って気のない表情でそっぽを向いたらしい。
「うわぁ……」
「しかもそれ、デートの誘いだったんだ」
「ひどくないっ??」
「うん、その日はなかなか食事が喉を通らなかったよ……」
信じられねえ、と俺は唸る。
もうちょっと猫をかぶっているかと思いきや、雨ケ崎はやっぱり雨ケ崎だった。しかし考えてみれば友達として接しているあいだも、わりとキツめに話していたもんな。
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