第31話 オズガルド家とのつながり
ぽいっと放られたものを受け取ると、冷たい缶コーヒーだと気づく。
もう星がいくつか見える時間だ。落っことさないよう多少オーバーな受け取り方になってしまった。
くれた相手はスーツ姿の東堂であり、数日前からうちのクラスを担当している奴だ。
「済まないな、急に連絡をして」
「いえ、それはいいんですが……」
言いよどみながらちらりと彼の背後を見ると黒いリムジンがある。お高そうな車だし、前に見かけた金髪の運転手も座っている。
「イザベラの……犬の散歩中だったのに、なんで俺の居場所が分かったんです?」
電話をかけてきて数秒後に姿を現したんだ。怪しいと思ってそう問いかけたのだが、しかし東堂はニコリと笑い……それで返答は終わった。
探知機でも仕掛けられてんのかな、俺。
「お前に聞きたいことがいくつかある。時間に余裕はあるか?」
「ええ、まあ。見ての通り時間なら余っていますよ。帰宅部ですし」
はふはふと足元にじゃれつくイザベラを見て、東堂は「そうか」と口にする。しゃがみこむとスーツに毛がつくのも構わず撫で始めていた。
「聞きたいのはユウリ様との交際についてだ。仲の良かったお前のことだ。ユウリ様、あるいは雨ケ崎からなにか聞いていないか?」
「はあ、仲が良ければこうして一人で退屈していないんじゃないっスかね」
などとトボけるのは簡単だけど、俺にとって東堂は数少ない情報源だ。利害が一致している関係でもあるし、うまく誘導してこいつを役立てたい。
カシッとプルタブを開けて、冷たいコーヒーを喉に流し込む。微糖だった。
「ただ、気になることはあるなぁ」
「ん、なにが気になるんだ?」
勢いよく顔を向けてきた東堂に「食いつきすぎだろう」と苦笑しかけた。
様子を見るに、こいつは大して事情を知らない。ユウリに信頼されていないというわけではなく、恋愛の相談相手としては落第点な気がする。
じっくりと考えを整理しながら、まずはひとつ目の「餌」を俺は口にする。
「交際を始めるのが唐突だったし、俺に相談のひとつもなかった。普通ならそういうときって二人きりで行動したりとか、ちょっとした変化や兆候があるはずなのに、それもない」
ふむふむと東堂は頷く。
顔は整っているし身だしなみを見るに高収入だろう。恋人に困りはしないだろうけど、こと学生の恋愛については専門外だろうな。
イザベラにあごをペロペロ舐められながら東堂は見つめてくる。
「となると、本気で恋愛をしているわけではないのだな?」
「結論を出すのは早いですよ。ただ、恋人らしい甘ったるい雰囲気を感じなかったり、怒ったりする姿も見ない。そういうのって少し気になりますよね」
ふたつ目の「餌」を差し出す。もう少し相手がそばに近づいてくるように。
みっつ目を差し出すのは、もうちょっと時間を置こう。その代わりに「おや?」と俺は不思議そうな顔を浮かべる。
「良く分からないんですが、オズガルド家というのは恋愛を禁じているんです?」
「ああ、ユウリ様にはな。恋愛までなら構わないと俺は思うんだが……。知っているかもしれんが、オズガルド家の一族は各大陸の好きな場所に家を築く。しかし本家の考えに背くことはできない。今回の件はなるべく伏せてはいるが、あまりに人の目が多すぎる。気づかれるのも時間の問題だろう」
それでか、東堂がやつれて見えるのは。
寝不足の様子だし、やはり屋敷では大騒ぎになっているに違いない。しかしそれでもユウリは飄々とした態度を崩さず、ごく普通の交際をしているのはやはり気になる。
いくつかの情報を与えたものの、決定的には程遠い。苛立たしい表情を浮かべる東堂から、俺は再び情報を引き出そうとした。
「え、じゃあもし結婚することになったらどうなるんです?」
「あまり考えたくないが……大ごとになるぞ」
ぎりっと奥歯を噛みながら東堂はそう言った。
できればオズガルド家の考え方というものを知りたいが、それは本やネットなどで調べれば分かるだろう。それよりも聞いておきたいことがある。
「つまり結婚は絶対にできないわけではないのですね」
「絶対ではない。責任を取らなければならないときも……っと、生徒相手に話すことではなかったか」
確かに学生相手にしていい話題ではないだろうな。つまり来年の18歳になったタイミングで最悪のシナリオが始まるかもしれない。きっとそれを東堂は恐れていたのだ。
苦笑する彼に俺もまた苦笑を返す。
「いまさらですよ、先生。幼馴染としても気になりますし、なにか気づいたら連絡をしてもいいですか?」
「ん? ああ、もちろんだ。むしろこちらからそう願おうとしていたんだがな」
困ったように笑う様子は、普段の不機嫌そうな表情などすっかり消えている。なんとなく分かっていたけど、仕事に関して私情は挟まない性格なのだろう。
使えるものは使い、使えないものは切り捨てる。俺もそうだ。同じようにしないと、雨ケ崎の尻尾を掴めない。
頭をかきながら東堂は立ち上がった。
「まあ、分かる範囲で構わない。気になることがあれば電話をしてくれ」
「そうします。先生もたまには教えてくださいね」
「はは、それは内容次第だ。ではまたな」
にこやかに手を振りあい、俺たちは別れる。そして背を向けあうと、お互いに「要は済んだ」とばかりに表情をすとんと失った。
さて、一般市民である俺も、こうして世界的な名家であるオズガルド家とのつながりができたというわけだ。
第一目標を早々にクリアとは幸先がいい。あとはどうやって懐にもぐりこむかだな。
そのように思案しながら帰り道を歩く。
しかし考えごとがあると足元がお留守になるのは俺の悪いところだろう。ふと気づいたのは、隣を歩くイザベラにリードをつけていないことだった。
「おあっ! 紐をつけ忘れてごめんな、イザベラ。お前が癒し犬で本当に助かったよ」
なにが? と見つめてくる愛らしい生き物に、たまらず体中を撫で回してやった。
§
とん、とん、とハンドルを叩く指。
運転席に座っているのは筋肉質な男で、見るからに高校生ではない。
窓に遮光フィルムを張っており、また陽が沈んでゆく時間帯だ。乗っている複数の男たちが何者か分かる術はない。
「あの犬を連れた奴か?」
そう男が問いかけると助手席に座っていた者がうなずく。眺めていたスマホをしまい、不自然な日焼けをした男は薄暗いなかで目をギラつかせる。
「ああ、あいつだ。俺のことをチクって、あることないこと学校に言いふらしやがった。絶対に許さねえ!」
「そうか。あの担任教師がいなければどうにかしていたところだが……」
とん、とハンドルを叩く指が止まる。
代わりに横からスマホを手渡されて、画面をじっと覗き込む。そこには夏の制服を着た女学生が映っており、へっと運転手の男は笑う。
「いいな、このお嬢様っぽい雰囲気。俺好みだ」
「だろう? このおすまし顔、すげえそそるよな。こっちを手に入れるまで、群青のことはどうでもいい」
「クックッ、お前がずっと狙っていたしな。んじゃ、女を見つけ次第、お楽しみコースだ」
ガコッとギアを入れると大型のバンはゆっくりと路肩を離れてゆく。そして犬連れの群青を追い越すと、さらに車は加速する。
不穏な空気を残したまま、陽は完全に沈んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます