第30話 敵の敵は敵じゃない

 ふと校舎の窓を眺めると、少々見慣れない光景がある。それは雨ケ崎とユウリが並んで歩いているものであり、また手をつないで歩く姿だった。向かう先はあの陽当たりの良い芝生だろうか。


 ひとことふたこと言葉を交わし、そして手にしていたなにかをユウリは見せる。日差しを浴びたとき、雨ケ崎は白い歯を見せて笑った。


「あいつ、笑うんだ……」


 いつの間にかそうつぶやいていた。

 薄暗い廊下でそれを見ていた俺は、気づいたら足が止まっていた。


 なんでかな。言いようのない感情が溢れたんだ。

 性悪で気難しくてコミュ障で、取り柄といえば可愛さというだけの雨ケ崎。

 あいつは俺にしか笑顔を見せないと勝手に思っていた。でもそれは俺のうぬぼれで、良くあるエゴイズムで、そうあって欲しいという願いに過ぎなったのかもしれない。


 自然と起こる胸の鈍痛に、なんだかなぁと思った。

 もしかしたら俺の視線に気づいたのかもしれない。ユウリがくるんと振り返ったので、とっさに窓から身を隠す。


「あ、なに隠れてんだ。俺は覗き魔なんかじゃないんだぞ」


 やましい気持ちなどあるはずがない。なのに二人の前に姿を見せることができない。

 足も身体も重くって、手には汗が浮き出てくる。壁に背を預けながら、はーっと俺は息を吐いた。


「分かっていたけど、あんまり面白くはないな」


 だれもいない廊下で、俺はそんなことを呟いた。

 大して考えずに出てきた言葉であり、たぶんこれが俺の本心だったのだろう。面白くない。それに尽きる。


 一人きりで過ごす学校というのはどこか肩身が狭く、また退屈さに辟易する。こきんと首を鳴らすと、二人の姿を見ないで済むように窓からそっと離れた。



 ――雨ケ崎とユウリの交際が始まって数日が経った。



 校内は静かなものだけど、あちこちから噂が聞こえてくる。

 出会って数日で告白をするなんて財産目的としか思えない。雨ケ崎さんって実は計算高い人だったんだ。なんて噂を耳にするものだからイラついてしょうがない。


「財産目的なのはあいつじゃない。夜子さんだ……なんて言っても始まらないか。あーあ、世のなか言えないことが多すぎて嫌になるな」


 帰り道の途中、俺はそうボヤく。

 そのうさ晴らしではないが、学生にとって貴重な百円玉を自販機に入れる。


 出てきた缶ジュースを手にすると冷たい水滴を指先に感じた。そしてほんの少しだけ助走をつけて「よっ」という掛け声と共に道端のコンクリート製の塀に乗る。その向こうには小高い景色、そして青い海が見えた。


 落ちたら大変よと注意する幼馴染もいない。

 腹いせには遠く及ばないがそのまま腰かけて、プシッと鳴らして開けた。


『そのジュースをよこしなさい、誠一郎』


 思わず振り返ると……そこにはだれもいない。長いこと一緒に過ごしたせいで、幼馴染が言いそうなことを思い浮かべてしまう。

 どこか似合わない夏服を着た雨ケ崎はどこにもおらず、仕方なく自分で飲む。


 夏はもうすぐそこだ。喉越しに冷たい炭酸を感じて、ほんのちょっとだけ安っぽい味だなと思う。

 センチな気分になるのは嫌で、俺はこうつぶやいた。


「さて、なぞなぞの時間だぞ。どうしてユウリが告白に応じたのか。そしてなぜいまになって夜子さんが牽制してきたのか」


 もう近づくなと命じた雨ケ崎の母親。

 思えばなぜ彼女は俺に声をかけてきたのか。あれは牽制だったし、邪魔をするなという命令でもあった。すると俺のことをものすごく邪魔だと思ったのだろうか。なぜ?


 そしてこれまでとまったく態度を変えずに話しかけてくるユウリ。だけど肝心なことは決して口にしない。「なぜ告白に応じたのか」という問いかけには絶対に答えないだろう。そんな気がする。


 答えがひとつも分からない。

 いま分かるのは「イザベラを寂しがらせないで」という彼女の願いくらいだ。半分くらい一気にジュースを飲んで、それから「分かったよ」とふてくされた顔で言いながら立ち上がる。


 お願いなら仕方ないし、そうでなくてもイザベラはさみしがり屋だ。ガッと無理して残りのジュースを飲みこんで、空き缶入れに放り込んだ。

 



 犬用のリードを手にして海岸に向かって歩く。いつものお散歩コースだ。


 ハッハッとイザベラは尻尾を揺らしながら歩いて、何度となく俺に振り返る。瞳がキラキラした笑っているような顔をしており、それでもリードがピンと伸びきることはない。引っ張ったりするのは良くないとイザベラは分かっているんだ。


 子供が寄ってきても吠えないし、車が走っても驚かない。

 昔からすごくいい子で、大人しいのに好奇心は旺盛だ。ふりふりと尻尾を揺らしながら見上げてくる顔が「楽しいね!」と言いたそうにしているものだから……ついね、俺も笑ってしまった。


「ん、やっぱりこの時間帯は人が少ないな。イザベラ、あっちのほうなら走って遊べそうだぞ」


 遠くの海岸を指さすと、ぱかっと口を開けてくる。その仕草はまるで俺の言うことを分かっているようだった。


 階段を降りて、散歩道が砂浜に変わってもイザベラの歩みはよどみない。ふりふりと尻尾を振って、リードを無理やりに引っ張ったりせずに遠くの海岸をめざして歩く。


 そしてようやくたどり着いたとき、彼女の歩みはぴたりと止まる。じっと見つめてくる瞳を見るまでもない。とある願いを俺に伝えようとしているんだ。


「分かった分かった。遠くに行ってはだめだぞ」


 首輪に手をかけながらそう言うと、あまり褒められた行為ではないがイザベラは自由になった。

 ぶるるっと首を揺すり、またも口を開けて見上げてくる。どこかに行ったりすることはなく、さっきと同じようにチラチラと俺を見ながらすぐ隣を歩くものだから笑ってしまった。

 うーん、この癒し犬め!


 ひとつふたつと星が見えてくる。

 暮れてゆく空。

 どんどん人けのなくなっていく海。

 茜色に染まる海岸は潮騒を響かせており、波打ち際にはちらほらと散歩をする人影を見かける。


 うんと大きな伸びをすると、ちょっとは気が晴れたかな。

 イライラしているのは自分でも分かっていたし、でもそうすると視野が狭くなるし、そんなときってあまり良いことは起きない。うつむいたり苦しそうな顔をしたらだめだと、うちのばあちゃんも言ってたし。


 ついでだ。蒸れた靴なんか脱いでしまって、波打ち際の湿った場所を歩いてみよう。そうしよう。


 波でならされた砂浜を歩くのは、ちょっとした贅沢だ。少なくとも都会に住んでいる連中には味わえない。

 空気も綺麗で、おかげで頭も冴えてくる。これまでとまったく違う角度で俺は考え始めたんだ。


「違和感を覚えるのは俺だけではないのでは?」


 可能性のひとつとして探り出す。

 たとえばユウリの周囲の者たちはどうだろう。東堂や、まだ会ったことのないユウリの母親などは恐らく気が気ではないだろう。


 莫大な財産を分け与える存在になるだけでなく、家の未来を左右しかねない。雨ケ崎の性格云々の話ではなく、現実的に考えたらそうなる。


 となると俺とまったく同じ思いをしている奴がいる。

 イライラして「なにが起きている!?」と慌てている奴が。


 波打ち際を歩む足がぴたりと止まる。

 どうしたの、と見上げてくるイザベラに苦笑しつつポケットからスマホを取り出す。

 画面には着信を知らせる表示があり、また見慣れぬ電話番号だ。少しだけためらってから俺は応答ボタンを押す。


「はい、群青です」

『東堂だ。少し話せるか?』


 ユウリのお目付け役にして担任である東堂からの電話だった。

 短い時間で考えをまとめつつ「もちろん」と俺は答えた。


 しかし唐突に電話はプツッと切られる。

 なんで即切りやねん、と思わず突っ込みを入れたとき背後で停車する音が響く。振り返ると真っ黒いリムジンが見えた。

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