第24話 こうして学校は変わってゆく
教室の一角で、じゃんっ、と取り出されたのはごく普通のスマホだ。
かじりかけの果実のロゴがついており、それを手にふんわりとした笑みを浮かべているのはユウリだった。
こいつの席と俺の席がいつもくっついている状況にはもう慣れた。漢字を読めないユウリにはサポートが必要なのだし、その見返りとして何度か車で送ってもらったり、可愛さを合法的に眺めることができるしな。
「見て、お母様からいただいたんだ」
「あ、まだスマホを持っていなかったんだ。その年で買ってもらうって逆に珍しいな」
そうなの? と小首を傾げられた。
多少の地域差はあれど、高校生ともなるとスマホの所有率は9割を超えているはずだ。連絡手段として優れており、またゲームやアプリなどの機能制限もできるので親としても抵抗が少ないのだろう。
かなり世間知らずな奴なのかなと思い、俺と雨ケ崎はじっと見つめ合う。
少し前まで学校では俺を遠ざけていた雨ケ崎だけど、会話に混ざりたいのか退屈なのかは知らないが、いつの間にやら近くにいることが増えてきた。
ひとつうなずき合ってから俺たちは懐に手を伸ばす。
じゃじゃんっ、と取り出した俺たちのスマホを見て、ユウリは瞳を真ん丸にした。
「ちょうどいいわ。連絡先の交換をしましょう」
「だな、勉強会をするなら連絡できたほうがいいし」
「んっ? レンラクサキ?」
うーん、どこから説明したらいいのかな。
ちらりと雨ケ崎から目配せをされたが「めんどくさいわ。あなたがやりなさい」というあからさまな表情を向けられた。
お前さあ、本当に金持ちと結婚する気あんの? やる気のなさがにじみ出ていて、協力しようと思っていたこっちのほうが困るんだけど。
困るといえばもうひとつある。それは周囲の生徒からおびただしいほどの視線を浴びていることだ。
世界有数のお金持ちであるユウリ。また雨ケ崎もこの学校において非常に目立つ存在だ。冷酷無比な性格と美しさにおいて、だけどさ。
ちらりと視線を向けると、遠巻きにしている生徒から目を逸らされた。
不思議とあいつらは話しかけてこない。一定の距離以上は近づかないし、それに少しだけイラッとする。せっかく日本に来たんだから、楽しく過ごさせてやりたいとか思わないのかな。
「あ、マニュアルはちゃんともらっているんだ。でもまだ漢字までは分からないから」
そう言ってユウリは冊子を鞄から取り出す。
厚手の高級紙が使われており、金の箔押しと……いや、待て待て。こんなの知らないぞ。少なくとも俺の知っているマニュアルじゃない。
どれどれと開いてみると、情報漏洩の防止機能や俺の知らない回線速度、そして防犯機能などがずらりと……。
「なにこれ?」
「え、普通のスマホだよ。さては群青君、ちょっと背伸びして知っているフリをしたんだな」
などと笑われたが、よくよく見たらロゴのところにオズガルド家の紋章らしきものが並んでいるじゃん。えー、本当になにこれ。もしかして未来のスマホ?
二人とも平然としているし、もしかして俺がおかしいのかな。いやいや、特注品をわざわざ作るなんて、もしかしてこの一台には億どころじゃない金が動いているのでは?
こんなのを漢字も読めないユウリに手渡したって……。
「そうそう、それだ。試験勉強をするなら字も読めないとな。そっちの勉強は進んでいるのか?」
「うん、専属の家庭教師がいるから。ここにいるあいだは日本語しか使ってはいけない決まりがあって、だから大変なんだ」
その苦労の甲斐あって、とても自然な日本語を話せているというわけか。この歳で何カ国語を覚えているのかなと疑問を浮かべていると、雨ケ崎は指先をあごに当てた。
「でも担任はあの東堂よ。どうにかして試験をちゃんと受けられるようにするんじゃないかしら」
「まさか。いくらなんでも教育委員会を左右するわけが……」
会話をさえぎるように、がらりと戸が開けられる。
姿を現したのはスーツ姿の東堂であり「ユウリ様以外は席に戻って姿勢を正せ」とあからさまな差別をする。相変わらず教育者の鑑だな、あいつは。
教壇に立つと、おほんと咳ばらいをしてから口を開いた。
「来月の期末試験について変更点をこれから伝える。各自、きちんとノートに写すように」
ひとつ、今年はマークシート形式にすること。
ふたつ、問題文が分からない者のために案内用のイヤホン装着を認めること。
みっつ、これらのことに文句を言った者は処罰する。
「特例だからこの学校のみ対象とする措置だ。では、文句を言いたい者は挙手をしろ。一人もいないな。全員納得してくれてなによりだ」
どこの独裁主義者だよ、お前は。処罰の内容がまったく分からないから文句の言いようがないだろうに。あそこの学級委員長がずっと冷汗を流しているぞ。
うーん、言いたい。文句を言いたい。目立ちたいとか悪ふざけとかそういうことじゃなくって、言いたいものは言いたい。
「……群青、また貴様か」
すっと手を上げると全クラスメイトの目を引いた。
いたたまれないし胃がキュッとしたけど、こればっかりは口にしておかないと気が済まない。たとえオズガルド家の意向に沿わないとしても。
「いえ、試験については異論ありません。ですが体育はどうなんですか、先生」
「体育?」
体操着、それにハチマキまで巻いていたというのにユウリは見学だった。大人しく座っていたし、決して表情に出さなかったけど、俺は無表情な雨ケ崎を見慣れているからどんなことを考えているか少しは分かる。
「まったく、なにを言い出すかと思えば。ケガをしかねない授業は禁じられている。この件に関しては決定事項だ」
教壇に手をついて東堂が睨みつけてくる。圧力を感じるし、これ以上反論したらどうなるかも薄々気づけるから教室はシンと静まり返った。雨ケ崎だって冷汗を浮かべているし、ちらりと俺に心配そうな瞳を向けてくる。
でも、もう一人は違った。言わんとしていることが通じたのか、紺色の瞳で俺をじっと見つめている。その表情は不安や心配などではなく……なら俺の言うべきことは決まったかな。
「ケガって、保健室の先生をわざわざ雇ったのにですか?」
「いや、それはだな……」
おや、と思う。ほんの一歩に過ぎないが、オズガルド家の一員である彼を退けた気がする。ただ思いついたことを口にしたに過ぎないが、もしかしたらいまのは決定的な一言だったのだろうか。
なぜだろうと思う前に俺は問いかける相手を変えた。
「ユウリはどうなんだ。体育の授業をちゃんと受けたいかどうかという話だ。大したことじゃないし、興味がなければそれでいいと俺は思う」
きっとこれは「言いつけ」とやらに背くのだろう。指先を震わせているし、ぎゅっと握りしめる仕草を見て、俺達には理解できない問題なのだと知った。
しかし彼は横髪を揺らしながら振り向いて、ふんわりと笑う。伸ばされた手が俺の膝に触れてきて、それでユウリの指の震えは収まった。
「僕からお母様に話します。東堂はいつものように仕事に励んで欲しい。もしうまくいったら群青君、僕にもサーブの打ち方を教えて」
「ああ、約束だ。ちなみにスポーツができたら女子にモテるというのは幻想だからな。あんまり期待するなよ」
「モテ……? えっと、それはどうでもいいかな」
なん、だと……。モテるというのは男女問わず憧れている状態だというのに「どうでもいい」だと? クラスの連中が一斉に俺と同じ表情をしたものだから、ぐるーっとユウリはクラス中を見渡した。
「あっ、うそうそ。やっぱりモテてみたいなぁー」
「「「それ、絶対に本音じゃないよね!?!?」」」
一斉にそんな意味の突っこみで溢れ返って、ホームルーム中の教室はとてもにぎやかになった。続いて起こるのは笑い声であり、口を開けて笑うユウリを見て、ようやく教室になじんできたのかなと俺は思う。
いつもより頬を赤くしたユウリが俺を見て、なぜかにっこりと微笑んでくる。これね、たぶん俺じゃなかったら余裕でオチてる表情だよ。
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