第23話 ちょっとそこまでリムジンで

 梅雨時季の晴れ間で嫌なのは、湿度があるのに気温がグングン上がることだろう。


 海岸線だと内陸に比べて気候が多少異なる。遮蔽物のない平坦な地形のおかげで、さっと雨雲が遠ざかるんだ。雨雲が近づく様子はそう変わらないけど、去るときは早いんだよね。


 ただ、湿度だけはどうしようもないし、特に登下校中は逃げ場もない。

 アスファルトから蒸発した水分を肌で感じていたときに、非日常的としか思えない豪邸が目に入る。


 白と青を基調にした建物は、リゾート地を訪れたように思えてついつい眺めてしまう。暑さを忘れるとはこのことだ。


「こうして改めて見ると、通学路とは思えない光景ね」


 隣を歩く雨ケ崎が思わずという風にそう呟く。


「だな。きっと同じ人間とは思えない暮らしをしているんだろうな」


 あの屋敷の向こう側には一面の海が広がっている。こんな天気の良い日であれば、屋敷からの眺めはバツグンに良いだろう。

 そう思っていると鉄格子の門がゆっくりと内側に開く。


 やがて近づいてくる一台のリムジンを、俺たちはつい目で追う。すると目の前で車は停まった。


「あ、群青君、雨ケ崎さん。良かったらご一緒しない?」


 その車の窓からお人形みたいな子が顔を覗かせてきて俺たちは驚く。


 耳元まで隠すふんわりとした横髪と、敵意など受けたことがないと分かるそのあどけない表情。これがあの屋敷に住んでいる者なのだから、非日常そのものといえる人物だ。


 さて、誘いかけにどう応じたものか。しばし雨ケ崎と見つめ合うと、こくんと彼女は頷く。俺としても反論などないので、一歩ぶん車に近づいた。


「お邪魔でなければ乗せてもらおうかな」

「ううん、邪魔なんかじゃないよ。ボクらは友達だしね。ただし海が見える窓際の特等席はボクのものだ」


 周囲に花でも咲きそうな笑顔で笑いかけられて、なんでか知らないけど視界がクラッとした。


 たまに人形のように可愛らしい子をテレビで見かけるよな。陶器のように肌がなめらかで、くりんと瞳や唇が動くことでさえ不思議だと思う。

 うまく言えないけど、こいつと話していると現実感が乏しくなるんだ。


 だからなのかもしれない。バタンとドアが閉じてから、ようやく気づけた。いつの間にか後部座席の中央に座っているという状況に。


 ユウリと雨ケ崎の太ももがすぐ近くにあり、そして左右から女の子の香りが漂うんだ。ようやくにして女の子の空間に密閉されたと俺は気づく。


「見て、群青君。ここからの景色が一番きれいだよ」


 分かってる分かってる、お前の方がきれいだってことをな。


 おまきれことユウリは、ちょっと柑橘系混じりの体臭をしている。言うまでもなく男子の「体臭」とは別モノだからな。単に分類上その単語を使っているというだけだ。


「ユウリ君は海が好きなのかしら?」


 海を見ようと前のめりになる雨ケ崎はちょっと甘い感じで、ああして黒髪を指ですくときに独特の濃い香りを漂わせる。

 ただ少し注意力にムラがあるのか、それとも俺相手だとなぜか油断をするのか、決して小さくない胸が当たっているんだけど?


「うん、子供のころから。もう大人だっていうのに恥ずかしいよね」


 大人と正反対な顔立ちをしたユウリが俺を挟んで返事をすると……近い近い、顔が近い。

 俺だってそれなりに自制心を鍛えているけど、10センチ以内まで近づくのはもう反則じゃん。こんなの一発レッドカードだよ、君ぃ。


 その海のような紺色の瞳が、くるんと俺に向けられると心臓がわずかに鳴った。


「あれ、群青君、今日は静かだね。顔、赤い?」

「そっすか? ぜんぜんいつも通りだよ、うん」


 ハテナ、と雨ケ崎とユウリが同時に首を傾げるという仕草によって、またも頭がクラッとした。


 つり目がちだけど学園屈指の美しい顔立ちをした雨ケ崎。そしてふんわりした可愛らしさのあるユウリ。

 この二人が揃うと凶悪だ。温度差というべきか、まったく異なる角度で俺に襲いかかる。


 しかし絶対に「可愛い」などと口にしてはいけない。いまだって運転席のバックミラー越しに監視されているし、アイスブルーの冷たい目だと分かる。当たり前だけどこの会話も聞かれているんだ。


 言いたい、言いたい、可愛いって言いたい。言論の自由はどこに消えた、と泣いてしまいそうだった。

 なので危険地帯を避けるべく、くるっと幼馴染に視線を向ける。


「本当に可愛いよな」


 思いのたけを込めて、しみじみと心から実感を込めて雨ケ崎にそう言った。

 あー、スッキリした。こいつは幼馴染だからなにを言っても平気だし、最悪でも毒攻撃に耐えればそれで済む。これで万事解決だ。


 なぜかボッと頬を赤くさせたのはユウリで、紺色の瞳を慌てて雨ケ崎に向ける。視線を浴びた彼女はというと、ぱちんっと音がしそうなほど大きなまばたきした後に……。


 ぎゅっと無表情で俺の首を絞めてきた。


「ぐえっ!」

「うっ、雨ケ崎さんっ!?」

「静かになさい。この男がもう二度と馬鹿なことを言えないようにするわ」


 待ってくれ。誤解だ。確かに俺は可愛さに屈して馬鹿なことを言った。絶対に負けるものかと思っていたのに、たったの数秒で屈した。

 しかしそれは「いくらなんでも殺されはしまい」という甘い算段によるものであり……こらこら、さらに力を込めるな。


「シャレにならんわ! なんで? 学校の連中はみんな言ってるのに、なんで俺はだめなの?」


 指をひっぺがしてそう言った。

 開き直った俺に対して、しかし雨ケ崎はうろたえることもなく瞳を細めて見つめてくる。


「だめなものはだめ。分かった?」

「はい」


 男というのは可愛さだけでなく恐怖にも屈してしまう生き物なんだよね。悲しいことだけどさ。




 さて、この時間であれば海岸沿いの道はだいぶ空いており、また天気も良いから爽やかだ。

 まだ朝の気配を残しているものの、海と空は青色の複雑なグラデーションを見せており、自然と目を吸い寄せる。


 と、俺たちの話を聞いたユウリがくるっと振り返った。


「え、二人で試験勉強をするのっ? いいな、いいな、憧れだな。ボクも一緒にしたいな」

「そうね……誠一郎、ユウリ君と一緒でも構わないかしら?」


 ちらっちらっと見つめてくる瞳。そして俺の袖を引きながら訴えかけてくる瞳。

 やめろよな、そうやって左右それぞれから誘惑してくるのはさ。こんなの洗脳とか催眠術とかと同じ威力じゃん。


「い、いいんじゃないの?」


 やっとのことでそう答えると、なぜかユウリと雨ケ崎は見つめ合い、それぞれの唇に笑みを浮かべる。

 いや、ひとつ気になるのはニタリと笑う雨ケ崎の邪悪な表情だ。


「ボク、雨ケ崎さんとならうまく協力できる気がする」

「奇遇ね、私もそう思ったわ。誠一郎は意思が硬そうに見えて、横からだと案外と崩しやすいのよ」


 え、もしかして俺ってチョロいの? 違うよね。これでも硬派で通っているし、そう簡単には崩せないと思うよ。

 そうユウリに答えていると、背後から雨ケ崎の腕が伸びて俺の首筋に絡みつく。


「ね、たまには甘えさせて欲しいわ、誠一郎」


 ふうっと耳元に吐息を当てられて、やっと俺も悟ったよ。


 まずこの配置がだめ。もう絶対にやっちゃだめ。でないと身体が硬直してうまく返事できないし、女の子たちから楽しそうに笑われるという屈辱を受けるハメになる。

 って、片方は男だけどさ、いうても四捨五入したら女でしょ。


 はあ、という運転手の気のないため息を聞きながら、俺たちはゆっくりと校舎に向かって行った。

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