第22話 幼馴染と過ごす朝
しゅるり、というかすかな衣ずれの音で目を覚ます。
重いまぶたを開くと、そこには黒髪をまとめる幼なじみがいた。制服に袖を通しており、あと整えるのは髪の毛だけという様子に俺は戸惑う。
「なにしてんの?」
「なにって、朝の支度でしょう?」
ちがうちがうと俺は大きくかぶりをふる。
なんだこいつ。本当に分かっていないのか? それともつまらない冗談か? などと思うが幼なじみは瞳を丸くするだけで、気づくそぶりはない。
はー、やれやれ。仕方ないから無知なこいつに教えてやるか。
幼馴染といえば「起きて」と言ってくれるものだろう。そしてなかなか起きない様子に「もう、仕方ないなぁ」と困った顔で言うものだと昔から相場が決まっているんだ。
なのにお前ときたらさっさと一人で準備をするし、たぶん俺が起きなかったらそのまま放置して部屋を出てったよね。
「な? ありえないって分かるだろ? そういう空気を読まないやつ、嫌いなんだよね」
身振り手振りを交えてちゃんと説明したにも関わらず、雨ケ崎の瞳はどんどん凍てついていく。そしてなぜかスマホを取り出すと、慣れた手つきで操作し始める。
「……なにしてんの?」
「SNSでおばさまにメッセージを送るわ。誠一郎がちゃんと目を覚ますように伝えればいいのね。ええと、うるんだ瞳で『起きて』と言うようにあなたの息子にせがまれて、私は途方に暮れ……」
「やめてやめて! もういい。分かった。俺が悪かったしちゃんと起きるから、母ちゃんにそのメッセージを送るのだけはやめてくれ!」
え、待って。もしかしてうちの母ちゃんとSNSで繋がっているの? というか俺だけハブられてない? こっちのメール履歴は3カ月前の「醤油買ってきて」だけだよ?
などと思っていると、ムーッと雨ケ崎のスマホが振動音を鳴らす。
「あら、おばさまから返事があったわ。安らかな眠りにつかせて欲しいそうよ。困ったわ。いまは濡れたハンカチしかないけれど、これで十分かしら」
「なんでそんなの準備してんの!? ヤダヤダ、濡れたハンカチで顔を覆うのだけはやめ……はぼっ! おぼぼっ!」
おーい、だれかこの子に常識を教えてあげてやってくれー。幼なじみとして完全に失敗だし性格もひどいけど顔だけはいいんだー。
§
ぱしゃんと水たまりを踏んで、俺と雨ケ崎は歩いてゆく。学生服を着ている通り、いつも通りの登校時間だ。
一夜明けると目の覚めるような青空に戻っており、天気予報を信じて傘を手にしたけど、いまはまだ無用の長物に過ぎない。
「ずいぶん晴れたなー。相変わらずジメジメ蒸すけどさ」
「ええ、人型ナメクジと言われた誠一郎がいなくなればもっと過ごしやすくなりそうね。こうして意見が合うのは幼馴染だから、かしら」
「1ミリも意見が合ってねえよ。いいこと言ったって顔すんな」
などと朝っぱらからツッコミを入れると、相方の雨ケ崎はあくびを漏らしつつ「そうね」と口にする。どうやら夜更かしをしたせいで寝不足らしい。
「誠一郎、今夜もあのゲームで遊ぶわよ」
「お、やっぱり気に入ったか。雨ケ崎に合いそうな気がしたんだよな。
まあ、そもそもの遊び方が間違っているんだけどな。
同士討ちがあるので前衛が離脱を済ませてから後衛が火力を爆発させる、という連携が求められる。難しいぶん火力アップなどの補正が入り、うまく立ち回れたときには「やったぜ!」という爽快感を味わえる……はずなんだよなぁ。
「なのにお前ときたら、俺を巻き込むのが前提になってるし。なんでそんなひどいことすんの?」
「ええ、あなたをいじめるとうまく言葉にできないほど気持ちいいからよ。あんなに楽しいことは他にないわ」
「もっと楽しいことが絶対にあるからっ!」
しれーっと言いやがった、このアマ。おまけにほんのりと頬を赤くして乙女の表情をしてやがる。だめだこいつ。早いとこ病院に入れてやらないと。
ん、待てよ。あるいは俺のことをものすごく好きなのかもしれない。うんうん、きっとそうだ。そう思おう。
「好きな相手ほどいじめたくなるって言うもんな」
そう口にしたのだが、しばらく雨ケ崎は返事をしない。どうしたのかなと視線を向けると、横目でじーっと見つめられていた。
「な、なに?」
「別に」
妙にアクセントをはっきりさせた「別に」という言葉だった。
学生鞄を両手で持ち、つんとした形の良い胸を誇張する。ふたつに結わいた黒髪を揺らして歩いており、燦々とした日差しを浴びる雨ケ崎はやはり可愛らしい。
そのぶんもっと毒を吐いて欲しいなと思う。
「そうだ、覚えているか雨ケ崎?」
「??」
毒を吐いてくれそうな話題といえば、昨夜のできごとだろう。
「お前さ、昨日ホットミルクを飲んだあと、ぐっすり寝ちゃったんだぞ。笑えるよな。あんなに雑学を馬鹿にしてたのに、半分飲んだくらいでコロッだったよ」
「…………!!」
ビクッと肩を震わせる様子に「しめしめ、効いているな」と思いつつ言葉を重ねる。
「まったく、二階まで運ぶのはすごく大変だったんだぜ。俺に礼を言っていいと思うけど……あれ、顔が赤くないか? どうしたんだ?」
くるんと顔を背けられてしまい、こちらも見ずに「あらそう、大変だったわね」と雨ケ崎はまるで人ごとのように言う。
くっ、毒を吐くまでもない話題だったとは……。いつか恥ずかしくて顔を真っ赤にさせるような話題を振りたい。
ようやく雨ケ崎が振り返ったのは数分後で、普段通りの凍てついた瞳で俺を見た。
「それで、私を運んだのでしょう? 重かったかしら?」
「ん? いや、ぜんぜん。子供みたいだったよ」
くるーんとまたも顔を逸らされてしまい、俺としては「きちんと毒を吐いてくれません?」と心のなかで突っ込みをするハメになった。
「あら、そう、ふうん、褒め言葉と受け取っておくわ」
「ああ、雨ケ崎はもっと肉を食ったほうがいいぜ。俺の料理は肉系が多いから、もっとうちで夕飯を食っていけよ」
「遠慮するわ。肥え太りたいと願う女性は少ないものだと覚えておきなさい」
妙に説得力のあることを口にして、ズイと迫られたら俺はなにも言えない。どうやら女性というのは俺に理解できない悩みがあるらしい。
しかし俺たち共通の悩みがあることを忘れていないだろうか。せっかくゲームを楽しんでくれていたところで申し訳ないが、一応と伝えておこう。
「ま、そろそろ期末試験も近いしゲームは短めにしようぜ」
何気なくそう口にすると、ピシャッと雷に打たれたように雨ケ崎は立ち尽くす。頭の上に「?」「?」「?」と幾つものクエスチョンマークが浮かんでいるように見えた。
大きな瞳を丸くしており、唇を変わった形にさせながら汗が頬を流れ落ちる。そして指折り数えて、ようやく学生としての本分を思い出したらしい。肩を震わせる雨ケ崎を見かねて、俺は声をかけた。
「え、そんなにゲームをしたかったのか?」
「…………私をいじめてそんなに楽しいのかしら。だけどその見当は一概にずれているわけではなさそうね」
よろりと足をフラつかせて、雨ケ崎は良く分からないことを口にした。
梅雨時季の真っただ中。じめっとした空気のなかでの期末試験は、多くの生徒にとって憂鬱だろう。
「じゃあまた勉強会でもするか? 俺らの得意科目を教えあう感じのやつ」
「ええ、考えておくわ……」
あらら、ダメージ甚大だ。大破、大破、という
足取りがめっきり重くなった雨ケ崎をつれて進む通学路。その先には大きな屋敷が見えていた。
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