第16話 新たな機能はチートの香り

 大粒の雨がビニール傘に当たり、たくさんの水滴になって落ちていく。風もあるので帰り道はかなり濡れるだろう。でもそれよりずっと憂鬱だと思うのは、すぐ後ろをついてくる女性、雨ケ崎だった。


 振り向いても目を逸らし、立ち止まると彼女も足を止めるので距離は一向に埋まらない。

 まったく。どうしたんだよ、あいつ。


「なーー、雨ケ崎。いつまでも暗い顔をすんなよな」

「……していないわ。いつも通りの顔よ」


 そんなわけあるか。

 無表情なのは普段と変わらないけどさ、伏せたままの瞳は一向に俺を見ない。いつもならゴミを見るような目つきなのに、それもない。

 ふん、と俺は鼻を鳴らした。


「じゃあさ、いつもみたいにお話でもしよう? 軽いノリで、ボケとツッコミを交互に繰り返して、お前が『なんでやねん』って締める感じでさ」

「そんなこと言った記憶はないわ」


 苦虫を噛んだみたいにすっごく嫌そうな顔をしてくれて、なぜかちょっとだけ俺は嬉しくなる。もしかしたら潜在的なマゾなのかもしれん。いや、それはないか。


 ニッと笑いかけると呆れの表情を雨ケ崎は浮かべる。そして仕方なさそうに隣に立ってくれた。


「今日はごめんなさい。あんな大ごとになってしまうなんて」

「あの先輩、手癖が悪いってかなり有名だぞ。それなのについて行ったら駄目だろ。雨ケ崎はどこか危機感が足りないから……」


 俺の言葉はだんだん小さくなって、雨の音に消されてしまう。無表情な雨ケ崎が、ほんの少し表情を曇らせたからだ。


「同じクラスの子に何度もお願いされて、仕方なくついていったわ。その子たちは途中で私を笑いながら帰って行った」

「…………」


 んもーー、である。

 裏切られて笑われたらどんな奴だって傷つく。そんなの誰だって分かっているし、分かりきっている上であえてやる。身体じゃなくて心をえぐる。女子というのは男子よりもずっとずっと陰湿なんだよね。


「プライドの高い女って怖いなぁ。俺、ずっと交際なんてできないかも」

「別にそれくらいどこでもあることよ。気にしたら負けだし、これからも関わらないつもり」


 本当? 絶対? 友達が欲しいって思わないの? じっとりとした目で見ると彼女は「何よ」と小さな声で言う。でもそれで反論が終わってしまい、なんだかガス欠の車を眺めているようだった。


「もーーっ、元気出そうぜ。お前が毒を吐かないとさ、なんか俺のやる気が出ないんだよ。いつもみたいに言ってくれ。俺を罵って見下して『でもこれが好きなんでしょう?』とほくそ笑んでくれ」


 あからさま過ぎる挑発だ。これなら行けるだろうと踏んでいたが、しかしガス欠はガス欠であり、ぷすんという音しか出ない。

 笑いもせず泣きもせず、いつもよりずっと遅い雨ケ崎の歩調に正直なところイライラした。


 へいへい、分かりました。分かりましたよ。

 俺が身体を張って芸人みたいな真似をしたら元気が出るんでしょ? どっと笑って「なんでやねんな!」と言ってくれるんでしょ?


 などと我ながら意味の分からない不貞腐れかたをして、土砂降りのなかごく当たり前のように俺は傘を閉じる。

 もちろんあっという間に濡れネズミだ。大粒の雨が全身に当たり、眉毛に溜まってから落ちていく。そんな様子に彼女は瞳をぱちくりと見開いていた。


「な、なにをしているの?」

「べっつにー。こんな雨どうってことないし。それよりさ、今日のバレーの試合見た? 俺、モテたい一心で必殺サーブを覚えたんだけどさ、どう? かっこ良かった?」


 ばーん、とボールを打つ仕草をしながら言うと、彼女は大きな瞳を真ん丸にしていた。でも言いたいことは少しだけ伝わった気がする。


 俺たちは学生だしさ、まだ半分くらいは子供なんだ。大人になるのはまだ先で、真面目ぶったって背伸びをしているだけに過ぎない。

 だからたまに子供っぽい意味の分からないことをしたっていいし、うじうじ悩んだり雨を嫌がるよりも俺は楽しく過ごしたい。


「せ、誠一郎!」

「うん、なーに?」


 きっとわだかまりがあったんだ。彼女なりの意地もあっただろう。

 でも身を挺して助けてくれた相手が怪我をしたら俺だってしばらく落ち込んでしまう。それが幼なじみならなおさらで、そして幼なじみだからこそ本心を伝えづらい。


 だから子供っぽいことをする俺に、雨ケ崎のこわばっていた表情がだんだんほぐれていく。

 助走のように何度も何度も呼吸をして、ばーんと駆けだす瞬間を俺は待つ。そして彼女はこう言った。


「さっきはありがとう。私、少し怖かったわ」

「そりゃそーだよ。手癖の悪い先輩だって言ったじゃん。雨ケ崎みたいな可愛い子なんて真っ先に狙われるんだぞ?」


 かすかに喉を震わせて、やっと彼女は本心を語ってくれた。脅されて怖くて足が震えて、俺が駆けつけるまでなにも反論できなくなった。

 でもそれが普通だし、悪いのはあいつらだ。恥じたり胸に抱え込む必要なんてぜんぜんない。


「むしろアホたれーーって言っていいよ。ちょうど海も見えるしさ。頑張ろう、雨ケ崎ちゃん。大きく口を開けてー、さんはいっ!」


 ばっしゃあ、と雨を浴びる雨ケ崎に、今度は俺が無言になった。

 折りたたんだ傘、そしてあっという間に濡れていく彼女を見て、俺は口をぱくぱくした。


 流れる涙は雨との判別ができなくなり、頬に張りついた横髪を指ですくってから「帰りましょう、誠一郎」と言ってくれた。

 それなら「うん」としか言えないし、ざんざん降りのなか俺たちは濡れに濡れ、そしていつも通りの歩調で家路につく。


 へーっくし、とくしゃみをしたら、ようやく幼馴染の子は笑ってくれた。



     §



 そのとき、二人の様子を見ている者がいた。青みがかった鼠色の瞳をしており、そこいらにいる女性よりもずっと線が細い。

 ユウリという名の男性であり、恐らくはこの日本において最も資産を持つ家系だろう。


 窓にたくさん落ちてくる雨を、ワイパーがきれいにぬぐい去る。そして映し出される彼の表情は、普段と同じようにはにかんでいた。


「ユウリ様、ご友人に声をおかけしなくてよろしいのですか?」


 そう問いかけてくるのは金色の髪をした運転手であり、かつ身辺護衛の任を与えられている。命をかけてでも絶対的に死守することが彼女の仕事だ。そのためか声は機械のように無機質だった。


「ううん、いいんだ。」

「そうですか……」


 残念そうに言ったのは、主人であるユウリを気遣ってのものだろう。表情にはおくびも出さないが、初めての「お友達」を先ほどまで自慢するよう口にしていた。心情を思いやっての言葉であるものの、ううんとユウリは首を横に振る。


「邪魔は良くないよ。あの姿を見たら声なんてかけられないし。僕らも家に帰ろう」

「分かりました。ですが朗報もございます」


 がこりとギアを入れながらの言葉に、ユウリは不思議そうな顔をする。安全運転で走り始めると、彼女はバックミラーごしに笑いかけた。


「奥方様があの二人を評価されたそうです。きっと良い影響を与えると思われたのでしょう。交友することも許していただけると思います」

「お母様が? そっか、ふうん、そっかぁ」


 頬を少し赤くして、にまにまと嬉しそうな顔をユウリは浮かべる。

 落ち着かないのかそわそわしている姿は、運転手にとって微笑ましい。たとえイヤホン越しに周囲の警備状況が届いていても、このなごやかな空気の邪魔はできなかった。



     §



 しかしだな、ボタンを全部閉じずに、がらっと風呂場から出てくるのは女子としてどうなの?

 居間でイザベラと一緒に待っていた俺としては複雑な気持ちであるし、対する雨ケ崎はというと「誠一郎も入ったら?」と意味深なことを言ってくる。


 これさあ、ムラムラしない男子っているの? いないよね。半渇きの黒髪はいつものお下げを解いており、背中までの長さになっている。真っすぐの癖のない髪で、まつげの長い瞳がすぐ近くでまばたきをするんだ。


 いつも腹黒だなんだと言ってはいるが、黙っていれば可愛いと俺は以前から評価している。あの言葉に嘘はないし、今日のようにあまり毒を吐かないような状況だと俺はすごく弱い。

 おまけに「どうしたの?」とのぞきこんでくるとパジャマから鎖骨のちょっと下まで見えてしまい……。


「だな! 浴びてくらぁ!」

「??」


 だっと駆け出して、物陰に隠れたところで俺は頭を抱えてしゃがみこむ。


「あるじゃん。谷間あるじゃん」


 おっぱいコンプレックスがありそうだったから、ぺったんこだと誤解するじゃん。しっかり谷間機能が搭載されているじゃん。

 あんなのシワみたいなものなのに、どうしてこうもドギマギするの?


「成長しているってことか。おいおい、ちょっと待てよ。あの顔でおっぱいまでついたら間違いなく反則チート級じゃないか。頼むよ、もっと毒を吐いて萎えさせてくれ。相殺してくれないと俺はだめなんだ」


 そう、だめだ。ぜんぜんだめ。まったくと言っていいほど女子の免疫が足りていない。

 ちょっと肌色が見えただけですぐにキョドってしまうし、これなら手癖の悪い野崎先輩と睨みあっていたほうがまだマシだ。


 分かってはいた。大人しい雨ケ崎は俺の好みのドストライクで、ずるいと思うくらい可愛いということに。そういう感情を相殺する役割を毒が担っていて、だからこんな日は途端にボロが出る。


 ふすーっと息を吐き、バスタオルや下着を用意しつつ思うのは、やっぱりあいつには警戒心が足りないということだ。


 俺は別に悪くない。あいつが悪い。もう少し警戒心を高めさせて、幼なじみにも礼儀が必要だということを今夜はガツンと言ってやらなくては。


 そう決意して、気を静めるために俺はシャワーを浴びた。

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