第11話 ではお友達大作戦を始めよう
しとしとと細かな雨が降りそそぐ。
ビニール傘越しに見上げると空は鼠色に曇っており、そこから無数の水滴が降りそそぐ。気の滅入る空模様ではあるけれど、梅雨らしい天候に戻ったと言うべきだろう。
はあ、とため息をひとつ漏らしてから歩き出す。向かう先はもちろん学校であり、この瞬間から授業の終わるときまで俺に自由はない。
ちらりと後ろを見るも、この世界で最も雨の似合う女、雨ケ崎の姿はなかった。
あいつなー、低血圧だから雨が嫌いなんだよなー。いわゆる低気圧女子というもので、いまごろはきっと「学校に行きたくないわ」とでも考えているのだろう。
あいつが隣にいないのはいつものことだ。
というよりも大体一人で登校しているし、一緒に連れ添って歩くこと自体が珍しい。
しかし昨夜は意外なことが起きて、珍しく俺は動揺してしまった。それは女子と手を繋ぐという行為であり、相手はあの雨ケ崎だ。
ただの遊びというか挑発に乗ったような形ではあったものの、ふんわりと握り返してきたあの感触はなかなか忘れられない。
「何年あいつと一緒にいるんだっつーの」
などとボヤきはするが、動揺してしまったのは本当のことなので締まらない。
しとしと雨は降り止まず、道端の紫陽花はたくさんの水滴で葉を濡らす。普段よりも鮮やかに感じるのは、きっと周囲が暗いせいだろう。
そしてこの道を抜けると唐突に景色が変わる。高い塀で囲まれた敷地は西洋風であり、改めて日本離れした光景だなと俺は思う。
「まさかこんな地方に大富豪であるオズガルド家が居住を構えるとはな」
そしてまさか同じクラスに現れるとはさすがに思わない。偏差値は普通だし、取り柄といえば海を眺められるくらいだし。
あいつ、ユウリとか言ったか。ふんわりお坊ちゃまは、どうしてうちの学校を選んだのかな。
などと思っていると景色は明るくなる。大きな鉄格子の門に辿り着き、いかにもな豪邸と広大な敷地が広がったんだ。
ひと目でとんでもないお金持ちだと分かる。
昨夜、ニュースでひっきりなしに流れており、オズガルド家は古くから油田などの投資をしていたり政界に影響を与えたりするらしい。
まさに雲の上のような存在であるものの、学校に行けば隣に座って小さな耳を差し出してくるというのだから理解しがたい。
そのとき鉄格子がゆっくりと内側に向かって開いてゆく。どうやら遠隔操作できるらしく人の姿は見えない。
遠くからやってくる黒塗りのリムジンをぼんやりと眺めていると、唐突に目の前で停まった。
「群青君!」
窓を開けてそう言ったのは、ふんわりとした笑顔の持ち主、ユウリだった。
「おー、ユウリか。大した距離じゃないのに車を使うんだな」
「うん、そういう決まりなんだ。面倒だけど、言いつけは守らないと。それで、もし良かったら一緒に乗って行かない?」
嫌みや邪気などまったくなさそうな、ふわんふわんとした声でそう誘われた。このあどけなさで世界で十本の指に入るほどの名家なのだから理解しがたい。
「いや、大してかからないし……」
「昨日は授業で助けてくれたし、そのお礼くらいはさせて?」
がちゃりとドアが開かれて、小さな手に掴まれる。
案外と強情な奴かもしれない。無理やりではなく、やんわりとした誘いであるにも関わらず、俺はなぜか高級リムジンの席に座っていた。
バタンと閉められて自動で鍵がかかる。高級感漂う香りだなと思ったときに車は滑るように走り出した。
「お、おおー、すごいな。静かだ」
素直に驚いてそう言うと、ユウリはくすりと笑っていた。金持ちらしい嫌味を感じさせない笑い方で、なんとなくうちのイザベラが笑ったらこんな感じかなと思う。
なるほどな、このおだやかな感じは確かに大富豪の雰囲気がある。その子はかすかに小首を傾げており、興味津々な瞳を向けてきた。
「家、近いのかな?」
「ああ、歩いて行けるくらいだし、この車なら10分もかからないと思うぞ。通学路の途中にお前の家ができたから、こっちのほうが驚いた」
そっか、と言いユウリは嬉しそうな笑みを見せた。
なにが嬉しいのかは分からなかったけど、その表情は反対側の窓に向けられてしまい、真っ白いうなじしか見れなくなった。
窓の外には海岸が広がって、しとしととした細かな雨が降りそそぐ。いつもの通学路から外れた観光客用の道を走っていると気づいた。
「海、好きなんだ。この髪の色のせいかもしれないとお母様に言われたけど、実際はどうか分からない。でも眺めているだけで時間が勝手に過ぎてしまうから、こういう時間に見るようにしているんだ」
青みがかったねずみ色とでも言えばいいのか。ユウリの髪は確かに珍しい色をしていた。そのくせ振り返ってきた瞳は鮮やかな藍色だ。
「勉強、好き?」
太ももをくっつけながらそう言われて、しばし返事ができなかった。距離が近いし女の子のいい匂いがするし、微笑を浮かべる唇は艶があってやわらかそうだった。
こいつさ、絶対に俺のことが好きだろ。
「うーん、実はあんまり嫌いじゃない。テスト前の張り詰めた空気とか、黙々と勉強で夜更かしをするのは、ちょっといいなって思う」
「うん、ちょっといいよね」
誰に聞いてもテストは憂鬱だと答えるけど、こいつは共感するところがあったらしい。何が楽しいのかつま先を揺らしながらユウリは笑みを深める。これ、まんま女の子だろ、と思いはするけれど突っ込まないからな。
「ただ学校の授業だけはどうしても退屈だ」
「ふふ、眠くなっちゃうよね」
「そうそう、寝たら怒られるしたまったもんじゃない」
くすくすとユウリはすぐ近くで笑う。窓の外から差す陽のせいか、いまにも消えてしまいそうな雰囲気がある。人を見て「儚い」と感じたのは俺にとって初めてのことだ。
変わった奴、という印象はさらに強くなる。
高級リムジンはようやく学生の本分を思い出したのか、いつもの通学路を走り始めた。
お友達大作戦と、ノートに書く。
すぐ隣にいる青い目をした男の娘……じゃない、男がじっと見つめているけれど、こいつは漢字までは分からないから問題ない。
我ながらアホっぽい字面だなと思いはするが雨ケ崎からのお達しだし、俺は協力すると答えた。ならそれなりに成果に結びつけてやりたいかな。
「ユウリ、友達になるか」
「なるなる。もちろんだよ」
満面の笑みで両手をぎゅっとにぎりながらそう言われた。よしよし、第一関門突破だ。
そのまま抱きついてきそうなほど喜んでいたけど、授業中とあってお互い口を閉ざす。その代わり、なにかいいことがあったのかユウリはふんわりとはにかみながら俺を見つめていた。
あのさ、ぶっちゃけていい?
こいつさ、雨ケ崎より可愛くない?
そんなことを言ったら男女問わず黒服連中や新任の東堂先生だって俺を睨みつけてくるし変態と罵るだろう。雨ケ崎に関しては、なにをするのか想像したくないから考えない。
でもさ、可愛いのを可愛いと言ってなにがいけないの? 空が青いねって言うのと一緒じゃん。
そのとき、ぽそっと耳元に囁かれた。
「それで、友達ってなにをするの?」
おふっ、という声が出そうになった。
分からない。分からないが、この件を深く考えると俺の知らない道が広がりそうな気がするので妄想はストップだ。安心してください。俺はノーマルです。
お友達になったらまずなにをするか。
そんなのもちろん決まっているし、きっと誰でも同じことをする。にやりと笑いかけるとユウリは不思議そうに、そして楽しみな表情で小首を傾げた。
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