第12話 お友達になったらすること

 しとしと降り続ける雨は憂鬱をつのらせる。


 暗くてジメついた空気がそうさせるのか、放課後に濡れて帰るのが嫌なのかは分からない。たぶん両方とも正解で、もうひとつだけつけ加えるとしたら、せっかく用意したお弁当が味気ないことだろう。


 というわけでお昼ご飯だ!

 お友達になったらまずなにをするかと聞かれたら「じゃあ一緒に弁当食おうぜ」と俺なら答える。たぶん同じことをする人も多いんじゃないかな。


 バーンと屋上に続くドアを開け放ち、そんな梅雨空を眺めながら俺たちは弁当箱を取り出す。俺のは唐草模様の包み。雨ケ崎は犬のイラストつき、そしてユウリはというと……。


「ご、ごめんね、こんなことになっちゃって。ボク、お弁当なんて知らないから任せていたんだけど……」


 うん、ぜんぜん気にしないよ。という言葉がなかなか俺の口から出てこない。それもそのはず屋上の景色は様変わりしていたんだ。


 着々と組まれてゆくランチ会場は、いつもの黒服たちのお仕事らしい。本当はドアを開けたままにして屋内で食べる予定だったのだが、なぜかそこにはテントが建てられており、シェフらしき者が料理を温めていた。


 空気を読んだらしくユウリはいたたまれない顔をしている。でも別に実害があるわけじゃないな、と俺は思い直した。


「いや、いいけど……お前も気にしないよな?」


 雨ケ崎はこくんと頷いた。

 黙ってないでなにかコメントを挟めよな。


 あ、そうそう。こいつかなり人見知りするんだ。引っ越して来たときなんてしばらく口を利かなかったし、視線も合わせないほどだった。あれは小学生のころだったから、少しは成長しているのかなと思ったけど大して変わっていないらしい。


「ま、いいや。こっちは雨ケ崎。変わっているし暗い感じの奴だけど、根は意外と優しいぜ」

「誠一郎、あとで話があるわ」


 真後ろでボソッと囁かれて、なんでか知らんけど寒気がした。



 豪華なテーブル席にそれぞれ腰を降ろす。高級そうなテーブルクロスの上に安っぽい弁当の包みを広げるのは、ちょっとした居心地の悪さがある。これ、少しでも汚したら怒られるんじゃないか?


 ちらりと横を見ると先ほどの入口には東堂先生が見張りのように立っている。俺の視線でそれに気づいたユウリは、委縮して小さな身体をさらに小さくさせていた。


「ユウリはいつもこんな感じの昼食だったのか?」

「ううん、ボクは外で食事をするのは初めてだから。お弁当って自分で作るの?」


 相変わらずほわんほわんとした話し方だけど、価値観は俺たちと大きな差がある。お皿に盛り付けられた彩り豊かな食事をまったく気にせず口にしていた。


「うーん、だいたい自分でやっているな。普通は母親に任せるんだろうけど、共働きだし朝が早いから高校生になってから作るようになった」

「誠一郎の料理は意外と美味しいわよ。私もたまに夕飯をいただくときがあるし」


 お箸でつまみながら彼女が言うとユウリは「ふうん」とつぶやく。視線はゆっくりと豪華ランチから俺のお弁当箱に移り、そこにあるタコさんウィンナーやウサギを模した林檎などをじっと見る。


 うっきうっき、わっくわっく、という風にユウリの頭が左右に揺れる。食べたい食べたい食べたいなーという目をされたら……え、これに耐えられる奴なんてこの世界に存在するの?


 タコさんウィンナーを箸で捕まえる。

 それから小さなお口に近づけてゆくと、はしたなくも「あーん」とユウリは口を開けた。


 じゅわっと手汗が出てきたし、胸の奥がちょっと苦しい。なにこれ。相手は男だというのに、その唾液で濡れた小さな舌を見るだけで欲情……いや違う、これはれっきとした友情だし、そんなよこしまな想いなど俺にはない。


「はあーーッ!」


 しかし、ぱくんと食した相手は横から飛び出してきたむさ苦しい男、東堂だった。野郎の顔がドアップで迫り、俺のタコさんウィンナーは消え去った。


 俺、雨ケ崎、ユウリがそれぞれ硬直しているなか、東堂はもぐもぐ、ごくんと食したあとにこう言う。


「そういった行為は禁止だ。最低でも毒見という過程がいるし、本来なら口を利くことも、ユウリ様が吐いた息を吸うことさえ許されない下等な存在だと知れ、群青。だがハーブが効いていて意外と美味いな。これ、どこで買ったんだ?」


 おお、と俺は震えた。おっさんが口をつけた箸で、これから俺は食事をしなければならないのか。ムリムリ、そんなの無理だって。あわよくばあの子と間接キスできたのによおお、ちっくしょおお!


「と…………」


 そのとき割って入ったのは御曹司であるユウリだった。わなわなと肩を震わせて、少しだけ涙を滲ませながら勢い良く立ち上がる。


「とうどおおーーーーっ!!」


 わっと泣き出しそうな顔でユウリが切れた。俺、切れちまったよ、とかそういう格好いいアレじゃなくって、子供みたいに切れていた。


 対する東堂はというと背を向けたまま「クッソ可愛い」と言いたそうに眉間に皺を刻み、それからキリッとした表情で振り返る。


「東堂はユウリ様のしもべにございます。ですが奥方様からの言いつけは必ず守らねばなりません。なにひとつとして破って良い規則などないと賢明なユウリ様はご存知かと」


 おわー、金持ちってすげえな。なんか知らんが庶民で良かったと思えるほど会話が重い。うちの親の言いつけなんて「宿題しなさい」くらいだぞ。


 だけど二人の会話を見て分かった。ユウリはたぶん毅然とした態度に弱い。臆病なわけではなくて、先ほどの「言いつけ」とやらをとても大事だと思っている感じがする。だから相手がそれを盾にして押してくると身動きできなくなるんだ。


 雨ケ崎と「箸を交換しない?」「嫌よ」とやり取りしているあいだも東堂とユウリのやりとりはしばらく続き、やがて完敗したのかテーブルにうなだれていた。


 こういう姿は見ていられないし、助け舟を出したくなる。うん、とひとつ雨ケ崎と頷き合ってから俺は口を開く。


「今度、うちにご飯を食べに来いよ。そうしたら毒見をいくらしても構わないし」

「えっっっ、絶対に行く!」


 さっきまでうなだれていたとは思えない変わり身で、ユウリは興奮で頬を染めながら身を起こす。しかし、当然のことながら「なりません」と東堂が立ちはだかる。


「お忘れですか、ユウリ様。この国に訪れたのは勉学のためです。あのように下賤で知性の足りない者たちと時間を浪費していることが知られたら……」


 話を遮って、がたんっと俺は椅子から立ち上がる。

 いや、いまの一言は駄目だろう。さすがに聞き逃せないし、使用人連中も一斉に動きを止めて俺を注視していた。怒気もあらわにむっすりとした顔で近づいていくのだし、そりゃあ暴力沙汰になるんじゃないかと心配のひとつもするか。


 雨ケ崎だって瞳を真ん丸にして硬直しているけど、でもこれだけは言うべきだと俺は思う。


「担任が生徒の悪口を言ってどうすんだ」

「貴様、それが先生に対する言葉づかいか!」

「だったら先生らしいことをひとつくらいしろ。就任二日目でそれは難しいだろうけど、お前だって悪口を言うような相手を信用しないだろ?」


 暴力厳禁なのも「言いつけ」とやらに含まれているんじゃないか? 東堂は全身から怒りの気配を漂わせて、鋭い視線で睨みつけているものの手を出す気配はない。


 本気を出されたら秒も経たずに打ちのめされる気がするし、もう手遅れかもしれないけど引かないと決めたのだから俺は引かない。

 その俺が指し示したのは席に座る雨ケ崎だった。


「こいつは……その、学年テストでだいたい3位以内に入っている。運動以外なら何をやっても俺よりずっと上手いし、憧れている生徒も少なからずいる。先生にとっては下賤って言葉が使いやすくて便利なんだろうけど、もうここでは使わないで欲しい。俺になら構わないけどさ……その、お願いします」


 そう言い、頭を下げた。だってこうしたらもう殴れないだろうし。もしも相手が同い年とかヤンキーとかだったら通じない手だ。


 ふう、と使用人たちが安堵の息をしたのは東堂が怒りをやわらげたからだろう。俺の言わんとしていることが伝わったのか、襟元を正して、胸のわだかまりや怒りというもの整理しているように見えた。


「……分かった、約束しよう。確かに大人げないことを言った」

「じゃあ夕食会も許していただけます?」

「それはまた別の話だ。お前にもいずれ身辺調査の手が入る。そのときは気をつけるんだな」


 うげ、言葉がいちいち重いんだけど。

 変な先生が来てしまったなと思いはするが、いまのは脅しではなく忠告に聞こえた。


 ともあれお昼どきらしい空気に変わり、相変わらず小雨が降り続いているけれど少しずつ打ち解けあっているようだった。俺じゃなくて雨ケ崎とユウリが、だけどさ。


 ぽつぽつと増えていく会話を聞くのは、そんなに悪い気がしなかった。

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