第6話 雨ケ崎は性悪である
食事も風呂も済ませた俺は、どさっとベッドに横になる。
しばらく悩み、そのまま電気を消した。勉強する気になれなかったし、さっきはぐらかしたことが頭から離れないんだ。
「思春期、ね……」
そんな単純なものかな、と思う。
理由もなく気が重くて、ただうまくやれていない感じだけが残る。いいのか、これで本当にいいのか? という後悔ともつかない自問自答がずっと続いて、いつまで経っても終わりがないんだ。
そんなけだるいため息を吐いたとき、ブーッとスマホが鳴る。暗い部屋に明かりが差して、ぼんやりと光るものを手に取った。
『思春期とは性的な成長をして、心と身体が大人になる時期のこと、だそうよ』
『誠一郎はいつもむっつりしているから』
『陰でむっつりスケベと言われていそうね』
『そういえば今日、屋上で「おっぱい」を連呼していて驚いたわ。確かにあなたらしいといえばあなたらしいけど……変態的であることだけは自覚しておきなさい』
『むっつり誠一郎』
ムーッ、ムーッ、というSNSの着信音が止まらない。既読スルー待ったなしである。
おい、おいおいおい、ちょっと待てよ。あのバカ女、遠く離れていても空間を飛び越えて毒を吐くのかよ。猛毒の遠距離攻撃ができるなら、ちょっとアレだぞ? ほぼ無敵キャラだぞ?
たまらず窓をガラッと開けて、目の前の窓に向かって叫んだ。
「うるっせーーんだよ、雨ケ崎! ゲームはド下手くそなくせに、こういう悪口だけは的確に胸をえぐってくるのはすげえな!」
「……は?」
がらっと開いた向かいの窓から、パジャマ姿で黒髪を解いた雨ケ崎が現れる。瞬間的にズオオという負の気配を浴びて、ぴしゃっと窓を閉じた。
あー、怖い。怖いったらないわ。なんだよあの目。毒攻撃で何人か殺ってるんじゃねえだろうな。などと下らないことを思っていると、再びスマホがブーッと鳴って肩が震えた。
――いまからそっちに行くわ。
そこに映し出された文字を見て、思わず無言になる。
いやあああっ! 怖い怖い、なにこの子、すっごく怖いんですけど! あー、怖い、ほんと怖いし眠気が一気に吹き飛んだ。畜生っ、たったの10文字くらいなのに!
無意味に肩をさすり、その場で何度も足踏みをする。
どうしようなんて迷っている暇はないぞ。あいつはやると言ったらやる。夜間だろうと深夜だろうと、こっちの都合なんてお構いなしにやってくる。
怖い。この静寂が怖いよママン。
一歩一歩あいつが近づいている気がして怖いんだ。
いまにもその窓から入って来そうだし、もしかしたら呼び鈴を鳴らすかもしれない。そのときあいつは何て言う? 分からない。分からないが、トラウマ級の毒を俺に浴びせてくることだけは確実だ。
「くそっ、むざむざやられてたまるかよ!」
などとフラグっぽい言葉を口にして、すぐさま準備を開始した。
ん、何の準備かって? それはもちろんあの雨ケ崎を黙らせるための準備だ。
全方位に毒を撒き散らすような女だけど、弱点がまったくないわけではない。ひとつは先ほど言ったようにゲームが下手なこと。そしてもうひとつは……。
ぽん、と小皿に乗せた豆大福、そして淹れたてのお茶。これこそが和解のための秘策だ。
あいつは和菓子に目がなくてな、罵詈雑言を浴びせる前にきっと黙々と食べ始めるだろう。すると食べ終わるころには怒りがかなり収まっているという作戦なのだ。
「くっくっくっ、我ながら完璧な作戦だ。小洒落た配膳と竹楊枝がいい感じだし。そうだ、せっかくだし写真でも撮ってみよう。そうしよう」
ぱしゃこーっと映してから画面を覗き込む。
うーん、良く撮れた。やっぱり写り映えがいいと達成感もあるな。
「誰かに見て欲しいなー。そうだ、雨ケ崎に送ってみるか。見せびらかしているみたいだし腹を立てるかな。まあいいや、送信っと」
対する雨ケ崎はというと、着信音を聞いてベッドからムクリと身を起こす。そう、あれだけ脅したというのに俺を放置して寝るという悪逆非道なことをする女なんだ。同じ人間として信じられないよ。
「……豆大福?」
その雨ケ崎はというとしばらく不機嫌そうな顔で画面を見つめたあと、ごくんと喉を鳴らす。
なんなのよ、あの男。非常識だわ。などとぶつくさ文句を言いながらもカーディガンを着て、足早に階下へ向かう。
数分後、雨ケ崎は俺の部屋で黙々と豆大福を食べていた。
そのころにはとっくに群青も雨ケ崎も目的を見失っており、どうしてこうなったのか良く分からない、という表情をお互いに浮かべていた。
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