第5話 雨ケ崎はゲーム下手である

 勉強ができて顔もいい。

 しかしそんな雨ケ崎にも苦手なものがいくつかある。


 ひとつ目はスポーツだ。

 真っ白い肌をしている通り、外に出て遊ぶという習慣がこれまでにまったくない。あるとすれば犬の散歩くらいだが、それは人並みに歩くことができる、という程度でしかない。


 ふたつ目は……と、言うまでもなかったな。眉間に皺を刻み、むむむと画面に顔を近づけながらボタンをカチカチカチとやたらめったら押している通り、ゲームに関しての才能を一切感じない。正しく言うならば「協力プレイ」という才能が。


「蜂蜜をよこしなさい、誠一郎。急いで」

「人にねだるな。すぐ隣のフィールドに蜂の巣があるから、自力でもぎ取ってこい。採れたては美味いぞー」

「あなたね、そんな態度では養蜂場で雇ってもらえないわよ。あ、あ、あ、誠一郎、誠一郎、すごく大きいモンスターが出たわ。これはどうしたらいいの? 誠一郎?」


 はー、つっかえ。マジつっかえ。

 必死の形相で画面と俺の顔を交互に見ているし、画面の端っこでは雨ケ崎のHPゲージがどんどん削れている。


 このゲームの嫌らしいところは協力者が足を引っ張ってしまうことであり、累計で3回死ねば自動的にゲームオーバーを迎えてしまう。いや、本当は対戦とかそういうゲームをしたいんだけどさ、最近は雨ケ崎が警戒しているから手を出せないんだよね。


「その道を真っすぐ走ってくれ。いま罠を仕掛ける」

「分かったわ、この道ね。あっ、大変よ、誠一郎。手汗が出てきてボタンが滑るわ」


 それは助けられないな。だって手汗をぬぐう機能なんてポロステ5にないし。

 あ、ポロステというのは最新のゲーム機だ。多くの家庭で愛されており、地方住まいの俺だって手にしている。みかん農家の収穫を手伝うという肉体労働によってな。


 見れば雨ケ崎はかなりテンパっている。リモコンをあっちにこっちに振り回しているし、ずっと正座をしているものだから足をもぞもぞさせている。足を痺れさせているのは愛犬のイザベラが膝枕にしているせいだ。

 これは死んだかなと思ったときに、きりっと彼女は凛々しい顔をした。


「諦めてはだめ。最後まであなたの面倒を見るわ」

「俺が見てるから。俺が雨ケ崎の面倒を見ているし、ずっと後始末しているから」


 なんでかな。ただのゲームなのに、わっと泣きたくなったよ。

 ずしんずしんという地響きのせいで、雨ケ崎の操るキャラクターはもんどりうって転びかける。しかし彼女なりの意地なのか、無理やりに身体を起こすや元からあった脚力を爆発させる。


「よっし、よっし、もう少しだ! ここに罠と爆弾をセットした。走り抜けられるか、雨ケ崎!」

「当然よ。見なさい、これが私の本気……!」


 言い終わる前に、ずぼーっと雨ケ崎が罠に落ちた。落とし穴という極めて単純な代物であり「あっ」という声を残して消えたんだ。

 でっかい×マークがあったというのに、これまでに何度も何度も教えたというのに「あらあら、大変ね」と悠長に言いながら、意味もなくボタンをがちゃがちゃと押す。


 きっとたまたまだ。わざとじゃない。

 たくさんあるアイテムからあえて手榴弾をセットして、投擲の角度を完璧に合わせて彼女は放り投げる。投げつけた先にはこれまた完璧な場所に俺の仕掛けた爆弾があり、秒も待たずに破裂する。「ギャッ」という一瞬きりの悲鳴を響かせて俺と雨ケ崎は死んだ。


「「…………」」


 ゲームオーバーの画面が表示されて、無表情な瞳がこちらを向く。


「誠一郎、あなたは相変わらずとんでもない駄作を掴むのね。これにこりてゲーム選びは慎重になさい」

「なんで上から目線なのっ!?」


 おかしいな、ゲームは楽しい時間を過ごすためお金という対価を払っているはずなのに、ストレスばかりがつのっていく。いや、そもそもこいつと共闘するという時点で間違っていたんだ。


「誠一郎、喉が渇いたわ。それと私の手を早く拭いてくれるかしら」


 雨ケ崎うがさき 茜香せりかという女は面倒くさい。腹黒いし毒を吐くし、ごく当たり前のように俺をこき使う。実際はこういう奴だということを、学校一の美人とかなんとか言っている頭のおめでたい連中に見せてやりたいよ。


 そう思っていると、 雨ケ崎はこちらに手を差し出したまま不思議そうに小首を傾げていた。


「へいへい、しゃーねー……なっ! てっ、手なんて拭けるわけないだろう! そんなの自分で拭け、自分で」

「あら、冷たいわね。そのドス黒い目は飾りか何か? 誠一郎は女性の免疫が足りていないから、少しは感覚を養っておいたほうがいいわよ」


 どこのだれが手汗をぬぐう感覚を養っているのだろうか。世界は広いんだし一人ぐらい俺みたいな奴がいたりするのかな。


 手渡したタオルで雨ケ崎は自分の手とリモコンを綺麗にする。それから立ち上がると黒髪を揺らして部屋の隅にあるホワイトボードに近寄ってゆく。

 学生用のジャージ、それに長い黒髪をお下げのようにシュシュでまとめており、愛犬であるイザベラが近寄ると反射的に雨ケ崎は頭を撫でる。自然とこちらに形の良いお尻を見せつける姿勢になった。


「今の反省会をするわ。お夕飯が近いから、誠一郎も早く準備なさい」

「ん、準備って何の準備?」

「言ったでしょう、喉が渇いたと」


 こ、こいつ、果汁100%のオレンジジュースだけでは飽き足らず、家に置いている飲み物まで奪う気か!


「雨ケ崎ってさ、ジュースが好きなの? 気がついたらいつも飲んでる気がするんだけど」

「ただの水分補給よ。でも味がついていたほうがお得でしょう?」


 ごく当然のようにそう言われた。間違いないな。こいつは小学生みたいにジュースが大好きなんだ。

 そういえば屋上で賭けを挑んできたときも欲しくて欲しくて仕方ない感じだったし、きっと味覚もお子様なんだ。ネギが嫌いだし、ハンバーグとかそういうのが大好きだし。


 などと思いながらおぼんにコップを乗せて、トクトクと炭酸飲料を注ぐ。それから二階に戻ると、先ほどのフィールドがホワイトボードに記されていた。


「こんなところかしら。あら、ありがとう、誠一郎」


 どういたしましてと苦笑いをすると、躊躇せず雨ケ崎はコップを手にする。

 良く冷えたジュースを口に含み、こくんと喉を鳴らす。ふっと小さく唇に笑みを浮かべたのは、炭酸入りのサイダーを美味しいと感じたのだろうか。


 少しは可愛いところもあるじゃん、なんて思ったら負けだからな。


「誠一郎から奪ったジュースはたまらないわ。その悔しそうな顔こそ私が見たかったものよ」

「やっぱりそれが目的かよ! お前だってお小遣いをもらっているだろう。人様にたからないで自分で買えよ」

「私から喜びを奪うと言うの? けったいな人ね」


 心底呆れた顔をされたけど……けったいってなに? この辺りの方言?

 俺、こっちに越して来たからそこまで方言慣れしてないんだよね。けなされている気はするけど確証が得られなくて逆にイライラする。


「反省会をしましょう、誠一郎。あなたが覚えている限りでいいわ。先ほどの立ち位置とモンスター出現の流れを記してくれるかしら」

「へいへい、お前ってそういうところがあるよな。変に真面目なくせにゲームの腕は……っと」


 ズオオと漂う負のオーラを感じて慌てて口をつむぐ。

 そうそう、ゲームが下手というのは彼女に対して禁句だ。プライドが高いのはもちろん、これでも小学生のころからゲームをしているので、あろうことか「自分はゲームが下手じゃない」と信じ込んでいる。

 さすがに上級者とまでは思っていないようだが、虎の尻尾を踏むようなことをあえてしたくない。


「? 言いたいことがあれば、はっきり言いなさい」

「いや、負けん気が強いなと思っただけだよ。勝負ごとになったら人の話を聞かないしさ」


 ふむ、と頷いて雨ケ崎の大きめの瞳がくりんと横に向けられる。そこにあったのは壁掛けの時計で、間もなく夕飯どきが訪れることを、そして過ごせる時間は残り短いとでも思ったのだろう。反省会を諦めたらしく、イザベラを引き連れて雨ケ崎はソファーに腰かけた。


「負けん気が強い性格なのは認めるけれど、昔からのことだし指摘される覚えはないわ。さっきの帰り道もそうだけど、あなたこそ最近は少しおかしいわ。思春期だから?」


 ぐりぐりとイザベラを撫でて、垂れた耳を弄びながら彼女はそう言う。対する俺はというと、怒るでもなく呆気にとられるでもなく、ただ無表情になるのを感じた。身に覚えがあったんだ。


「やっぱりそうか?」

「ええ、仏頂面は普段通りだけど、負のオーラがいつもより強いわ」


 その一言で俺は白目になった。

 は? なんだって? 負のオーラ? おまえ自分の顔を鏡を見たことあるの? そんなのハゲてる奴から「お前はツルッパゲだな」と笑われるようなもので、思わず「どの口がそう言うの?」という心の声がそのまま口から出た。


「失礼ね。これでもきちんと相手を選んで睨んでいるわ」

「そ、そう……やっぱり分かってはいるのか。それで参考までに教えて欲しいんだが、どういう相手なら睨むのを避けているんだ?」

「今のところそういう相手はいないわね」


 しれっと言われて、またも俺は白目になった。

 こいつ、結局のところ無差別で睨みつけてるじゃん。

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