第7話 そして転機が訪れる
くあっ、とあくびをひとつする。昨夜、遅い時間にドタバタしたせいで寝不足らしい。
あいつなー、顔はいいんだけど性格がドギツイんだよなー。萎えるっつーか疲れるし、もうちょっと優しい性格だったら俺も優しくするのにね。
などと他人ごとのように思いながら玄関を開ける。梅雨の晴れ間はまだ続いているらしくぼちぼちの快晴で、辺りには爽やかな空気が漂っていた。
夏服になってから窮屈さから解放されて、外に出るなり大きな伸びをする。
そんな姿を見ている奴がいる。雨ケ崎だ。ちょうど玄関先を歩いていたところで、無感情で冷たい瞳で俺をちらりと見た。
「……昨夜はご馳走様。意外と美味しかったわ。もしかしてあの豆大福は良いお店のものだったのかしら?」
「お、分かるんだ。俺、和菓子の丸い甘みが好きなんだよね。ばあちゃんとあちこちの店に行ったし、おかげで無駄に舌が肥えちゃって」
は? 丸い甘み? という顔をされた。
味覚が合って嬉しかったのにさ、その顔は若干ムカつくいからやめてくんない?
まったくもって自慢にならないんだけど、昨夜は和菓子の知識が役立った。最悪こいつに殺されるかもと思ったが、ことなきを得たどころかこうしてお礼を言われたのだし。
「まあいいや。時間もないし、さっさと行こうぜ」
学生鞄をかついで歩き出すと、雨ケ崎も小さなため息を吐いてからついてくる。俺と肩を並べるなり彼女はこう言った。
「昨日の話を聞いていなかったようね。一緒に登下校をするのはもうやめるんじゃなかったの?」
「え? いや、それはお前が言ったことだろう。嫌だったら俺がいなくなるまで、ここで一分くらい待てばいいじゃん」
おっと、朝っぱらからズオオという不満オーラを漂わせやがった。
たぶん「あんたの都合になんて合わせたくない」という意味だろうけど、ごく普通に歩いている俺としては、じゃあどうしたらいいんだよと思う。
しかし、俺たちのそんな文句は引っ込んだ。空から轟音がして、何ごとかと見上げるとヘリコプターが飛んでいたんだ。
「またか。今日はずいぶんたくさん飛んでいるな。何かの撮影か?」
「さあ、また山火事じゃないかしら」
風でほつれた黒髪を整えながら大して興味もなさそうに雨ケ崎はそう言う。
夏用の制服は男女ともに半袖で、女子の違いは言うまでもなくスカートである点と、首元で締めつけるネクタイの形だ。また多くの女子がスカート丈で注意されるなか、雨ケ崎は我関せずという風に膝下までの丈にしている。
「雨ケ崎ってスカートを短くしたりしないのか?」
「…………」
あ、睨まれた。大して負のオーラが出てないから怖くないけど。いまのは「普通に怖い」くらいだから俺的にはセーフだ。普通の奴なら引っくり返って泡を吹いてるだろうけど。
「下らないわ。皆が皆、ミニスカートを履きたがっていると思わないことね。周りで短パンが流行したら、あなたも同じように履く?」
「あ、うん、それは無理だ」
想像した瞬間、まず絵的に無理だった。当たり前だ。この年で太ももを露わにするなんて拷問に近いしさ。
同時にハッとする。まさかそんなひどいことを先ほどの俺は聞いてしまったのだろうか。
「そのさらに上よ。ほんの少しジャンプするだけで、あなたの見たくもないパンツが見えてしまうわ」
「マジ、か……! 辱めに辱めを重ねてくるなんて。信じられねえ、最近の短パンは軟弱すぎるだろうが!」
「一過性の流行りに乗るような軟弱な短パンに多くを求めてはいけないわ。ただ、これだけは覚えておいて、誠一郎」
そう言いながら雨ケ崎は歩みを止める。
じっと見つめてくる瞳に陽射しが当たり、わずかに紺色がかって見える。いつもより距離が近くて、おまけに女の子特有のふんわりとした甘い香りが漂い……って、なんだこれ。俺の周りがピンク色っぽくなっている。
まさかこれがアレだというのか? ラブコメ世界における典型的な表現方法、桃源郷のごときラブラブオーラだとでもいうのか?
「まさか、実在していただなんて……」
「何をブツブツと言っているのかしら。私が言いたかったのは、周囲に合わせた服装よりも、品行方正な異性に憧れを抱くということよ。大富豪の男というのはそういうものだと覚えておきなさい」
あ、ラブラブオーラが消えた。目の錯覚だったのかなー。そういえば寝不足だったもんね。
オーラが消えたいま、目の前にいるのはアホっぽいことを言った雨ケ崎だけで、無表情ながらも「いいことを言った」という得意げな感じがする。
そうそう、こいつの「金持ちと結婚したい」というのは嘘や冗談じゃないんだよ。というかこいつは冗談というものを知らないし。
スルーしてもいいんだけど、そろそろ雨ケ崎の将来が心配になってきた。性格はすごく悪いけどさ、幼なじみのよしみでせめて人並みに幸せになってくれたらいいのに。
「お前さ、子供のころからそう言ってるな。もし金持ちの男が現れなかったら、そのまま一人で生きるのか?」
「そうね、一人でいる時間も割と好きだから、そのときはあまり気にしないと思う」
「俺が結婚したとしてもか?」
「ええ、もちろ……んっ?」
通学路を歩む足が、再びぴたりと止まる。どうしたんだろうと振り返ると雨ケ崎は何かを考え込んでおり、しばらく待つと大きめの瞳がこちらを向く。
「ありえないと思うけど、もしそうなったら確かに癪ね」
「……癪ってなに?」
「いいわ、望み通り協定を結びましょう。私が結婚するまで抜け駆けをしないと誓いなさい、誠一郎」
「ごめん、何を言ってんだかさっぱり分からないんだけど。抜け駆けってなに?」
「あなたが見ず知らずの女と交際することよ」
「…………?」
ごめんごめん、本当に意味が分からなくて周囲に宇宙が見えた。そっちこそ見ず知らずの男の話をしていたし、デメリットしかないように聞こえたんだけど気のせいだよね?
しかし当然のことを言ったという表情をしており、俺はしばらく無言になった。
雨ケ崎なー、可愛いんだけどなー、たまに理解できないことを言うんだよ。そのくせ本人だけは納得しているからタチが悪い。うーん、と唸りつつ俺は口を開く。
「さっき言ったことと矛盾するけどさ、この俺と交際するような相手がいると思うか? 男女の恋愛話でいっつも無視されているんだぞ」
学生だし、誰が誰を好きだとか、あいつがいいとか、そういう会話が聞きたくなくても耳に入ってくる。
でもたまに俺の名前が出ると「群青? あいつだけはありえないわ」とか「ムリムリ、怖いし近づけないって!」という声を聞くときがあってだな、そんなの軽くトラウマになるでしょ?
そう伝えると、彼女はピンと何かに気づいた顔をする。
「あら、そう。ふうん、そういうことね。誠一郎、私が言ったことを取り消すわ」
「は?」
「協定は別に結ばなくて構わないし、たまになら仲良く一緒に登校してもいいということよ」
「はああ??」
「言い過ぎたようね。仲良くというのは生理的に無理だったわ。せいぜい数日に一回くらいが限界ね」
「俺に喧嘩売ってんの?」
うーん、相変わらず何を考えているのか良く分からない女だ。一緒に登下校していいとか駄目だとか、日替わりで正反対の意見に変わるのはどうしてなんだ。
「ん、待てよ。そういうことか。彼女を作れないこと、そして雨ケ崎と一緒に登下校をすることが関係あるのなら……」
「あら、気づいたようね。てっきり鈍いだけの男と思っていたわ」
「俺はぜんぜん鈍くねーよ。つまり、さっきみたいに怒鳴ったりする姿が女子にとってはマイナスポイントってことだろ? 顔は別に悪くないし」
「……やっぱり鈍いだけの男だったわ」
こ、こいつ、どうしてこうポンポンと悪口を言えるんだ。思い出してみると、昔までさかのぼって思い出しても、悪口を言われた記憶しかないんだよな。
いや、もっと子供だったときはどうだったかな……。
それでも長いつきあいだし、憎いのと同じくらい心配もしている。友達がぜんぜん作れないし、そもそも必要と思っていない感じがするんだ。なんて、俺だって大して友達はいないけどさ。
それと富豪との結婚の話も冗談を言っているわけではないと思う。ただ気になるのは、憧れなどの感情とはちょっと違う感じがすることだ。白馬に乗った王子様が訪れるのを待っているとか、そんな女性らしい憧れなら俺も納得できるのだが……。
「金持ち、ねぇ。どんな暮らしをしているかも想像つかないな」
そう呟いても雨ケ崎はそっぽを向いており、どんな表情をしているかも分からない。それどころかまるで聞いていない風だったし、なぜか唐突にぴたっと足を止めた。
「? どうした、雨ケ崎? あれ、この通りっていつもはもっと日陰だったよな。工事の音も聞こえないし、どうなってんだ?」
このあたりには工事現場があり、そのせいでいつも日陰だった。通学路から海が見られなくなったし、息苦しいと不満も言った。しかし今日はというと燦々と太陽が照らしており、いつもの薄暗い路地などではなくなっている。
怪訝に思いながらも雨ケ崎の視線を追いかけて、俺もまた身を硬直させる。冬からずっとあった囲いが取り外されており、そこには絵に描いたような豪邸があったんだ。
周囲をぐるりと囲む塀。閉ざされた立派な鉄格子の向こうには青々とした芝生が広がり、たぶんサッカーだってできる敷地があるだろう。樹木が茂る先には子供のころから見慣れた水平線がわずかに覗いており、まっすぐの道を進んだ先には西洋風の建物がある。
ルネサンス様式だ。本で見たことがある。
確か古代ギリシャやローマのころに流行った建築方法を復興させたスタイルで、円柱やアーチ、大理石の床などが繊細でありながら調和のあるデザインを生み出す。
とんがった青い屋根、薄い蜂蜜色の壁材、そして庭には花が咲き誇っており、通学の最中にそんなものを見た俺たちは当然のことながら口をあんぐりと開けた。
「「はああああーーっ!?」」
バララーッと、有名なテレビ局のヘリコプターが空を飛んで行った。
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