第2話 モブ顔な友人はモブである

 人はみな美しいものに吸い寄せられる。

 別に大層な考えなどではなく、インスタ映えとか猫ちゃん動画みたいなのって勝手に見ちゃうよね、という程度の軽い考えだ。


 通り過ぎてゆく雨ケ崎をいくつもの顔が振り返るのも、たぶんそういう理由だろう。凛とした華があり、思わずという風に見てしまう。その反面、後ろを歩く俺を見たときの表情は……うーん、いたたまれない。

 振り返りもせずに俺の幼馴染は口を開いた。もちろん悪口だ。


「驚いたわ。まるでストーカーを見るような目ね」

「ストーカーを見るやつを目にしたことがあんの?」

「?? 周りにたくさんいるじゃない。ああいう顔よ」

「待て待て、いまのは順番がおかしい」


 などと文句を言いながらも「やっちまった」と俺は後悔していた。こういう空気が嫌だから自然と離れるようにしていたんだけど、今日はうっかりというか単純に忘れていたんだ。んもー、朝からめっちゃダルい。


 そのように彼女との道のりは、残念ながら同じ教室まで続いた。お互いに願ってなどいないのだが、いつも同じ教室に割り振られるんだ。


「俺と雨ケ崎が別のクラスだったこと、いままでにあったか?」

「馬鹿ね。そんなのあるに決まって…………嫌だわ、運命みたいで気持ち悪い」

「気持ち悪いって言うなよ。こらこら、本当に気持ち悪そうな顔すんな」


 うっ、と手を口を覆いながら青白い顔をされたけど、単なるジョークだと信じよう。頭にブラックとつくジョークだけどな。


 うちの制服はブレザーで、男女それぞれネクタイをつける決まりがある。わずかに着崩したり、ちょっとしたアクセサリなどで個性づけをするという、まあどこにでもある光景だ。

 偏差値はまずまずだけど身だしなみには妙にうるさい。チャラついた若者をやっかんでのものだろうという実しやかな噂もあった。まあ、学校なんてどこもこんなもんか。


 じゃあまたね、なんて言葉を口にすることなく雨ケ崎はさっさと自分の席に向かう。こちらに真っ白いうなじを見せながら、やはり周囲に挨拶もせず席につく。あいつ、いまだに友達がいないのかなと思っていると後ろから声をかけられた。


「群青、群青!」


 そう呼んでくるのは、モブ顔のむさ苦しい男どもだった。こっちに来いと手招きをされるが、俺から話したいことなどない。ぷいと顔を逸らしたとき、しかし学生鞄を掴まれて俺はつんのめった。


「……危ないんだけど、何すんの?」

「いいからこっちに来いよ、群青」


 無理やりに引き寄せられて、仕方なく空いている席に腰かける。すぐに他の野郎どもまで寄ってきた。

 視界いっぱいに男の顔がずらりと並ぶなんて、本当に朝から気持ち悪いですね。


「その、嘘だと言って欲しいんだが、まさかあの雨ケ崎さんと一緒に登校したのか?」

「あのな、たまたま並んで歩いただけだぞ。年に一回くらい、そういうタイミングがあってもおかしくないだろ。すぐ隣に住んでいるんだし、おまけに10回くらい毒を吐かれたし」


 ぴくんと雨ケ崎の肩がわずかに揺れる。

 あいつ、ああ見えてかなり地獄耳だからな。教室の端と端という距離があるけれど筒抜けと思っておいたほうが良さそうだ。


 とはいえ実際のところ3日に一度くらいは一緒に登校している。いや、待ち合わせなんてしてないぞ。あいつと俺って起きる時間がだいたい同じだから、家を出る時間も近いんだよ。面倒だからだれにも言わないし、いつもは自然と距離を置くけどさ。


「いやー、でもさー、信じらんないよ。周囲の男をことごとく近づけないあの雨ケ崎さんが、まさかお前なんかと一緒に登校するなんて。ついてくるなとか、ストーカーとか本当に言われなかったのか?」

「……お前なんかってなんだよ。あ、ストーカー呼ばわりは確かにされたな」


 何がおかしいのか、そのひとことで野郎どもは大きな声でイヒヒと笑う。やっぱりなとか、最初からお前はそんな男だと思っていたよとか……なんスかこれ、朝から風評被害がすごいんだけど。

 言っておくけどあいつがお前たちを近寄らせないのは、単に金の匂いがしないからだぞ。


 額に青筋を浮かべながらも、なんとなくこいつらがそう言う理由は分かっている。俺ってあんまり評判が良くないんだ。目つきが悪いし基本的に口も悪い。その愛想のなさによるツケが巡り巡って俺に戻ってくるわけだ。


 と、視線を感じて振り向くと、ツンと雨ケ崎が顔を逸らした。あいつも負けず劣らず愛想がないのだが、人形みたいな白い肌と小顔のおかげで特別扱いをされている。ボンクラとアイドルくらいの扱いの差があって、たまに不公平だなと思う。


 そしてチャイムが鳴るとようやく俺は解放されて、退屈極まりない授業が始まる。

 窓の向こうには目の覚める青空が広がっていたけれど、高校生活が二年目になろうとも楽しいと思える授業はひとつもなかった。




 じゃあね、さようなら、また明日、という女子たちの声を聞きながら、帰宅部の俺は鞄を手にして教室を出る。朝は絡んできた連中も、俺に対する興味をすっかり失ったらしく雑談で盛り上がっていた。


 部活の準備をする生徒。

 友人と会話をしながら階段を下ってゆく生徒。

 名前も知らない者たちを眺めて、ふと思い出したことがあり行き先を変えた。



 ビーッと電子音が鳴り、紙パックのジュースが落ちてくる。オレンジ味だ。

 それを手に帰路とは正反対である方向、窓から陽の差し込む階段を一歩ずつ上り始めた。


 息が詰まるんだ。

 高校生活は気を張ることが多く、何もしていなくても身体が勝手に疲れる。

 誰の視線も受けない場所。海からの風を浴びることができる場所。そして子供のころから見ていた景色を、いまだけは眺めたくて仕方ない。


 ――がちゃん。


 開放厳禁という貼り紙のあるドアを開けると、強い風を全身で浴びる。ほんの少し潮の匂いがして、わずかに粘り気のある風だ。


 強い陽射しに目が慣れて、太陽にかざした手を下げると……先客がいた。雨ケ崎だ。後ろにまとめた髪を奔放に風に弄ばせながら、ちらりとこちらを振り返る。


「ん、思うことは同じか」

しゃくだわ。あなたと思考回路が似ているだなんて」


 それ、完全に喧嘩を売っている言葉だよな。

 感情の少ない瞳は、ふいっと離れてまた東を向く。毒を吐かれるのを覚悟して、俺もまたフェンス際まで歩いてゆく。真っ青な海が広がって、すぐ上をカモメが飛んで行った。


 水平線になんて驚かないよ。子供の頃からずっと眺めているいつもの光景だし。

 でもさ、息苦しさから解放してくれる数少ない景色だと思っている。


 ネクタイに指をかけて緩めてから、ほうと大きな息を吐く。その俺を雨ケ崎はちらりと見た。

 いまだけは邪魔して欲しくないなと思ったけど、意外にも雨ケ崎はそっぽを向く。ただ風に髪をたなびかせて、東の水平線に瞳をぼんやりと向けていた。

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