羅生門

第12話 羅生門

 さる日ある日暮方くれがた事なりことである。一人の下人羅生門らしょうもん下に下で雨のやむを雨やみを待ちたる待っていた

 広き広い門の下には、この男の他に誰もあらずいません。ただ、所々丹塗にぬりの剥げし剥げた大いなる大きな円柱まるばしらに、螽斯キリギリスが一匹とまへるとまっている。羅生門が、朱雀大路すざくおおじありてはある以上は、この男の他にも雨やみする雨やみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、いまもう三人さんにんあらむものなりありそうなものであるされどもそれが、この男の他には、誰もあらずいない


 何故かといふいうと、この三年さんねん京の都京都には、地震など地震とか辻風などつじ風とか火事など火事とか飢饉など飢饉とかいふいう災ひ災いが続きて続いて起これり起こったさてそこで洛中らくちゅうのさびれ方はひとかたならず一通りではない

 旧記によらばよると、仏像や仏具をば打ち砕き仏具を打ち砕いて、その丹つき丹がついたり、金銀の箔つきたる箔がついたりした木を、路ばた道端に積み重ね重ねてたきぎしろ売れり売っていたとか云ふ事なりいう事である。洛中がその始末なればであるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨ててかえりみる者の無かれり者がなかった

 すとするとその荒れ果てしを荒れ果てたのをよき事にしよい事にして狐狸こり棲むがすむ盗人棲むぬすびとがすむつひにとうとうしまひしまいには、引き取り手のなきない死人を、この門へ持ち来持ってきて捨てゆく捨てていくいふいうならひ習慣だにえきさえできた

 さてそこで日の目見えず日が沈んで暗くなると、誰もがけうとがり誰でも気味を悪がって、この門のわたり近所へは足ぶみせぬしない事になりにけるなりなってしまったのである


 その代りまたカラスいづららどこからか、あまたたくさん集り来たりあつまってきた。昼間見れば見ると、その鴉が何羽となく輪描き輪を描いて高きたかい鴟尾しびまはりまわり啼きつつ啼きながら、飛びまはれりまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けにあかくなるにはなる時には、それが胡麻まききべくゴマを撒いたようにさやかに見えりハッキリ見えた。鴉は、もとよりもちろん、門の上なる上にある死人の肉を、ついばみに来るなり来るのである。――もっとも今日は、刻限こくげん遅きためおそいせいか、一羽も見えざりみえない。ただ、所々、崩れかかれるかかったさてもそうしてその崩れ目に長き長い草のはへし生えた石段の上に、鴉の糞、点々と白くこびりつけるが見ゆこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗ひざらせる洗いざらした紺のあお尻据ゑ尻を据えて、右の頬にえし出来た大いなる大きな面皰にきび案じつつ気にしながら、ぼんやり、雨のふるを眺めたりける降るのを眺めていた


 作者は最前さっき、「下人雨やみを待ちたる待っていた」と書きたり書いたされどしかし、下人は雨やむとも雨がやんでも、格別いかがせむと云ふ当てはあらずどうしようと云う当てはないれいならばふだんならもとよりもちろん、主人の家へ帰るき筈なりである。所がその主人より主人からは、四五しご日前にちまえに暇をいだされり出された。前にも書ききべく書いたように、当時京の町はひとかたならず一通りならず衰微すいびせりしていた。今この下人、永年、使はれたりし使われていた主人より主人から、暇をいだされしも出されたのもはや実はこの衰微の小さき小さな余波にほかならずほかならないなればだから「下人雨やみを待ちたる待っていた」と云ふ云うよりも「雨にえふりこまれしふりこまれた下人行き所あらで行き所がなくて、途方にくれたるくれていた」と云ふこそ云う方がさるべし適当である。その上、今日の空模様も少からず、この下人のもののあはれ Sentimentalisme障れり影響したさるこくさがりよりふりいだせるふり出した、いまだに上るけしきなしけしきがないさてそこで、下人は、何をおくともおいても差当さしあたり明日の暮しをどうにかせむとししようとして――云はば云わばどうにもならぬならない事を、どうにかせむとししようとしてそこはかとなきとりとめもない考えをたどりつつながら最前よりさっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞けるなり聞いていたのである

 雨は、羅生門つつみ羅生門をつつんで、遠くよりからざすはざあ云ふ云う音をあつめ来あつめて来る。夕闇はやうやう次第に空低くし空を低くし見上ぐるに見上げれば、門の屋根、斜につきいだせる突き出したいらかの先に、重たくうす暗き暗い雲を支へたり支えている


 どうにもならぬ事を、どうにかするためには、よし手段選べる選んでいるいとまあらじない選びたらば選んでいれば築土ついじの下か、道ばたの土の上饑死うえじにするばかりなりばかりであるさてもそうして、この門の上へ持ち来持って来て、犬のごとくように棄てられぬる棄てられてしまうばかりなりである選ばずとせば選ばないとすれば――下人の考えは、幾度何度も同じ道を低徊ていかいせしした揚句あげくに、やうやうやっとこの局所へ逢着ほうちゃくせりしたされどしかしこの「せばすれば」は、いつまでたつともたってもつひに結局せばすればなりきであった。下人は、よし手段選ばず選ばないいふいう事を善しとしつつも肯定しながらも、この「せばすれば」のかたをつくるつけるために、当然、その後にきたき「盗人になるよりほかにせむかたなし仕方がない」と云ふ云う事を、敢へて積極的に善しとするばかりの肯定するだけの勇気いででありけり勇気が出ずにいたのである


 下人は、大いなる大きな嚔しクサメをして、それよりから、大儀さうそう立上りける立ち上がった。夕冷えのする京都は、いま火桶ひおけ欲しき欲しいほどの寒さなりである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共にはばかり遠慮なく、吹きぬくぬける丹塗にぬりの柱にとまれるとまっていた蟋蟀キリギリスも、いまもういづらどこか行ひにけり行ってしまった


 下人くびをちぢめつつながら山吹やまぶき汗袗かざみに重ね、紺のあお肩高くし肩を高くして門のまはりまわりを見まはしける見まわした。雨風のうれいなきない、人目にかかるおそれなきない、一晩楽にねられむねられそうな所あらば所があれば、そこにともかくも、夜を明かさむ明かそう思へばなり思ったからである


 すとすると、羅生門の南より京の都の外へ伸ぶるのびる下ツ造道しもつつくりみちに一人の旅人が姿を見せり見せた

 古びし古びた衣に市女笠被りいちめがさを被りはつかなるわずかな手荷物と腰に鉈を下げたるばかりに下げているだけで、うら若き若い女が供もつれで連れずに一人歩みく一人で歩いてくる


 下人は女の方へ駆け寄りて寄って、女と隣り合ふべく合うように歩みつつ歩きながら声をかけりかけた


「ネェ、ネェ、カノジョぉ~、一人ぃ? 一人だよねぇ?

 こんな時間にどこ行くのぉ?

 これから僕と食事でも一緒しな~い?」

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