2.3 想像したくないっしょ?

「ただ今戻りました、若!」


 キャロルの杖の公試当日、昼。

 昨夜からの徹夜仕事の疲れを引きずったまま、受付で帳簿を繰りながらぼんやりしていたバーニィは、早めの昼休憩を済ませた職人たちの威勢のいい挨拶を聞いて苦笑いを浮かべる。

 職人たちにはそれぞれ、こだわりと矜持がある。職人頭マサが工房の跡取り息子を「若」と呼ぶのなら自分たちもそれに従うのが当然、と考えているのかもしれない。ドラ息子とかロクでなしと呼ばれるよりはずっとマシというのはそのとおりだが、自分より若い新人にまで「若」と呼ばれるのはいかがなものかと思うことがある。


「若、ちょっといいすか?」

「前から言ってるけど……若ってのはどうにかなんねぇのか、ルゥ?」

職人頭マサさんや先輩方がそう呼んでらっしゃる以上、あたいはそれに従うまでっす、押忍オス!」


 職人たちの背後からひょっこり顔を出し、歯を見せて笑うのが件の新人・ルゥだ。ちょっと蓮っ葉な言葉遣い、何事にも物怖じしない態度から男の子に間違えられがちだが、れっきとした女の子である。そして、ボンネビル工房の職人の中で唯一、バーニィが敬語なしに話せる人間だ。

 作業帽に押し込められているのは、毛先が痛みがちな栗色の長髪。顔立ち自体は小動物をほうふつとさせる愛らしさだが、化粧っ気はまるでなし。小柄な体躯を包むぶかぶかのシャツとオーバーオールという装いだけは一丁前だが、いろせも落ちきらない汚れもなく、今ひとつが締まらない。


「さっき街で小耳に挟んだんすけど……どうしよっかなぁ」


 ルゥだけがもったいぶった態度をとるなら放っておいてもいいのだが、他の職人たちも互いに顔を見合わせたり、神妙な面持ちだったりと、なにやら様子がおかしい。こうなると気になってしまうのが人のさがというものだ。


「そこで止められても困るんだけど」

「へへ、そんなら遠慮なく」


 バーニィがしびれを切らしたように先を促すと、ルゥの表情は一転し、急に真面目な顔に変わる。


「ちょっと妙な噂話を聞いたんすよ。夏の終わりにここの教区に異動してきた導師、ご存知っすか?」

「話は聞いてる。ちょっと前に特級になって、今度司祭長補佐にいたんだよな? うちの顧客じゃねぇはずだ。名前は確か」

「アレクサンダー・ザガート・ヴァンキッシュ。魔法の実力は、キャロルの姉御を除けば導師の中でもピカイチ。親父さんがそうとう遣り手の事業家で、社交界でも最近名前が広まってきてるみたいっすね。ただ……」

「ただ?」

「前にいた教区で、戒律も教義もぶっちぎって美女と浮名を垂れ流してた、って話があります」

「あっそ……」


 野郎ども――バーニィと職人たちが揃ってため息をつく。

 かつて厳格の極みと称され、優秀な導師の大量離脱の原因となった教会のふるい体質は、長い年月を経て変わってきている。だが、そんな放蕩ほうとう野郎を野放しにしているのでは、さすがに緩み過ぎといわざるをえまい。


「で、その補佐殿が、何かしでかしたのか?」

「どうもキャロルお嬢さんに粉かけてるって噂なんすよ」


 なんだと、と小さくつぶやいたバーニィの顔に、動揺がモロに出ていた。普段は見せない鬼気迫る表情、予想を上回る反応をみた職人たちが、逆に跡取りをなだめ始める始末だ。


「若、落ち着いて下さい。あくまでも噂です」

「大丈夫、大丈夫です、俺は落ち着いている」


 そう言われても、客商売にあるまじき目つきを見せられては説得力に欠けるというものだ。


「しかし、あのお嬢さんに手ぇだそうってなぁ、とんでもねぇ馬の骨だよな」

「いろんな女をとっかえひっかえしてるうえで、ってことだろ? うらやま……じゃねぇ、けしからん野郎だ」

「教会のお偉方だろうが特級持ちの野郎だろうが、そんな不埒ふらちな輩にお嬢さんを渡すわけにゃいかねぇ。そうだろ?」

「異議なし!」


 ルゥのまわりで、職人たちが前のめりになり、腕まくりをして勝手に盛り上がる。その様が己を省みる丁度いい薬になったようで、バーニィはかえって落ち着きを取り戻すことができた。


「あたいたちにとって、キャロルの姉御は大事な人、家族みたいなもんっす。幸せになってくれなきゃ困るわけでして」

「異議なし!」


 バーニィと共に工房に出入りしていた頃からキャロルを知っている職人たちがそう主張するなら、まだわかる。だが、ルゥは一番日が浅い新人だ。キャロルが杖を作りに来たときに採寸を手伝ってくれたが、二人の面識らしい面識はその程度しかない。バーニィからすればやや説得力に欠ける。


「……ねぇ、若。例えば、あくまでも例えばの話っすよ?」


 どうにも煮え切らない振る舞いを見たルゥは趣向を変え、気持ちを煽ることにしたらしい。受付のカウンターから無遠慮にもずいっと身を乗り出し、バーニィの耳元でささやく。


「花嫁衣装を来たキャロルの姉御が、他の男の手を取る姿なんて、想像したくないっしょ?」


 それは、バーニィの湿っぽい心をかき乱すには十分すぎる一言だった。

 彼も立派な青年、好いた女に他の男が食指を伸ばさんとしていると聞かされたあげく、そこまで焚き付けられて黙っていられるほど、おとなしくはない。

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