第7話


「まあ、一概に魔物の仕業だけとは言い切れないんだけどよ」


 そう言って、目の前に立つ店主はその太く短い首を撫でるように手をやった。


「それって、どういう事?」

「いやあ、まあ、あくまで噂なんだけどね――噂。いろいろんなことがまことしやかにささやかれている訳よ。やれ邪神の呪いだのたたりだの、どこかの軍が開発している局所型の戦略級攻撃魔法だの、最近何かと話題になってる、ほら何だっけ……あのー……」


 そこまでを口にすると、店主は磨いているグラスを持ったまま腕でも組みそうなほど眉根を寄せて思案顔になる。

 そんな歳のわりには老けて見える髭面の店主に、カウンターを挟んで話を聞いていた若い男が合いの手をいれる。


「――ルノ・クライム教団?」


 男が自らの記憶にある最も該当するであろう名前を口にした。

 それは世界各国の暗部に食い込んで活動を続けているという魔術士教団の事で、随分ときな臭い布教を続けているという話だ。ただ、それはあくまで確証のない流言の一部でもある。


「そうそう! そいつら狂信者の集まりの餌食になったんじゃないかって話だ。まあ、あくまで噂の域なんだがね、あながち間違いじゃなさそうなのも混じってるのよ。なんつたって、それほど大きな集落じゃないにしろ……一晩で村人全員が殺されちまったってんだ。ただの盗賊やらの規模じゃないってもんだ」

「たった一晩で……」


「昔こそ、この付近にゃあ、そりゃあ凶暴な魔物がひそんでたこともあったよ。けど、イザンカやここハーレィも、フューレンとの連合協定を取り入れて軍を魔物討伐として起用するようになってからは、破竹の勢いで魔物どもは駆逐されて、この付近も平和になったもんさ。そんな矢先に、村一個まるごと潰されたんだ。イザンカ政府のお偉いさんたちも只事じゃないってんで、後日、周辺を軍が調査したらしいんだが……そんな凶悪な魔物は発見できず、またそんな規模の魔物が距離を渡り歩いた形跡も見受けられなかったそうだ」


 そこまで息も矢継ぎ早に弁を熱してくれた店主は、ふと気付いたように自分の手元に視線を落としてグラス磨きを再開した。

 そうして手を動かしながら、また口をも開いた。


「……こう言うとバチが当たるだろうが、おかげでこっちにだいぶ金が入ってくるようになったよ。鉱物も取れなきゃ、農牧にも不向きなこんな土地じゃあ旅行者相手の商売で稼ぐしかないだろ? そうなると、やっぱり近くに同業の街はない方が何かとねぇ。いやあ、まあかなり心無い話なんだが……実際にはなあ……」


 そこまで口にして言葉を濁す店主。

 肩をすくめてみたところで何を表したいのか判るものでもないが、なんとも言葉にしにくいその心内は察することができた。


「なるほど。それが村をあのままで放置してる理由ってワケか」


 そんな店主の内側を見透かしたかのように、向かいに座る若い男が辛辣な発言を漏らす。


 特にこの店主が悪いわけでもなく、どちらかというと人の良さそうにも取れる人物に対して、男は嫌味を思って口にした訳でもなさそうだ。それでもその表情に鋭い険のようなものが見え隠れしたのは事実だ。


 しかし、次の瞬間には、若い男はそれまでを微塵にも感じさせない明るい調子の声で「それで、それはどれくらい前に?」 と店主に疑問を投げ掛ける。

 その調子には一切の不自然さや、取り繕った感じがなく、素直に心に入って人を無防備にさせる力があるように思えた。


「ああ、確かあれからまだ半年も経ってんないんだったか」

「結構最近の事なんだ」


 店主の向かいに座る長旅用の白い装束と砂色の外套をまとった若い男は、感慨深げに呟く。


 首の後ろにつくぐらいの長い金髪を無造作に紐で縛っており、出で立ちも少し褪せた色合いの服の上に簡素な革鎧を着込んだだけという大層なものではないが――

 その容姿は絵になるぐらい端整なものだった。


「噂といえば、もういっちょ。ホントかどうか、西の遠方からこのハーレィにとんでもない男が渡ってきたらしいってのもあるな」

「そりゃまたどんな?」


「こいつも確証はまったくない話なんだけどね。兄ちゃん――知ってるかい?」


 小太りな店主は言いながら身を乗り出してその赤ら顔を得意そうに歪めた。

 主語を含まぬその問いに、向かいに座る相手は「何を?」という疑問符を貼り付けた表情になる。


「12年前に終結した大戦――その最中で名を鳴り響かせてたっていう最強の傭兵の話をさ。その名もずばり、“黒き死の風”ヴェヘイルモットの伝説だよ」


 その発言を聞いて、若い男は「ああ……」という軽く呆れたような表情を見せる。


 店主が言っているのは大戦の折、突如姿を現したという傭兵の話だ。

 そのあまりの強さと殺傷力から“死の風”や“黒き死”などの大層な二つ名で呼ばれ、人外の域とまで囁かれた傭兵の事。

 フューレンの重装歩兵師団――通称黒騎士隊に、爵位も称号もない流浪の身でありながら所属を許され、一人で大陸最強と恐れられたルバルディア騎馬軍を圧倒したというような逸話を残している。


 だが、あまりにも突飛な内容の活躍ぶりから実在を危ぶまれてもいる。

 そもそもの名前であるヴェヘイルモットというもの自体が、ブランスタ大陸に古くからある伝承に出てくるものだ。

 多くの人々の間で最も有名な御伽噺おとぎばなしとして語り継がれてきた、『千年水晶の魔女』という話の中にでてくる悪魔の王の事を指す名前である。


 それ故に、その存在はただ噂が噂を呼んだだけの創作であるという意見が多数を占める。


「何度も聞いた名前だけど、それって創作って説が濃厚なんじゃなかったっけ?」

「――いやいや! あながち全部がホラって訳でもないそうだ。このハーレィは大戦の折、フューレンの占領下にあったんだが、そん時に、この街にフューレンの黒騎士部隊が駐屯したことがあってな。そこで街の数人の連中が見たって言うんだよ。――ヴェヘイルモットの姿をさ!」


 熱の篭った声で語りだした店主。

 その様子を向かいの男は苦笑しつつも聞き入っている。


「フューレンの黒騎士隊って言えば重装甲が売り文句で、ゴテゴテした鎧が自慢の集団だ。ところがこの街にやってきた黒騎士を率いていた奴は、鎧一つ着込まずにだな、真っ黒な外套だけをなびかせて悠々と部隊を先導してきたらしい。そんな事ができるのは、流れ者の身分で黒騎士隊に所属していたヴェヘイルモットぐらいだろう? さらにだな、その容貌といったら驚くことにまだ若い。対して歳も重ねてない青二才だったそうな。そんなのが部隊を丸まるひとつ率いていたんだとさ。こいつはもう、特別な何かがあると見て間違いようのない人選だろう」


「うーん……その話が本当だったとしても、その人間がヴェヘイルモットという確証はないわけだろ? その話の人物も、きっとフューレンの王族か貴族かの若息子っていう方が自然じゃないかねえ」


 向かいで飽きもせずに相槌を打っていた端整な男は、店主の話が一区切りしたところでもっともな意見を投げかけた。


「いやまあ、そう言われると……そんな気がしないでもねぇなあ」


 店主はさっきまでの熱の入った弁を忘れて、優柔不断にも相手の意見のもっともらしさに感心してしまったようだ。

 その様が素直に可笑しくて、向かいに座る男はカラカラとした笑みを広げた。


「それでその件のヴェヘイルモットが、西からこのハーレィへとやって来たって話なのかい?」

「おお、そうそう。真偽はともかく、そのヴェヘイルモットが十年の時を経て、各地に姿を現し始めたって話だ。そんでこのハーレィにも遂にその影を見せたとか」

「それでさっきの街、イザンカとハーレィの国境にあったあの街も、実はその“黒き死”とやらに取り付かれてああいう状態になった……と?」

「おうよ。まるで疫病かなにかみたいに、風が吹くだけで人が次々に死んでいく――それがヴェヘイルモットの恐ろしいところさ。だからいつこの街にも“死の風”が吹くかと思うと、安心して夜も眠れねぇって噂だよ」


「なるほどなー。にしてもさ、なんでまた今更なのかね?」

「さぁてね。噂の内容だと何でも“黒き死”ヴェヘイルモットは不死の悪魔であり、十年周期で復活しては死を運び続けるとかなんとか」

「ははっ――それじゃあまるで、本当にブランスタの伝承にある悪魔の王みたいじゃないか。もっともあっちは確か千年の眠りがどうとかだったけど」


「ま、噂よ噂。あくまで確証のない与太話だよ。こんな商売で客の話ばかりを聞いてるとね、そういったモンに感化されちまう時もあるのよ。まあ、忘れてくれや兄ちゃん」


 そう言って気恥ずかしげに店主は笑った。年甲斐もなくこのような会話に熱くなってしまった故のものだろうか。

 しかし、向かいの男はそんな様子をどこか楽しそうに眺めているのだった。


 もともと、人と接することが好きな部類の人間なのだろう。

 身も蓋もない話の内容だったとしても、誰かと接していられるその一点に満足感を覚えている――そう思わせる笑みを漂わせていた。


「ありがとおっちゃん、これ代金ね」


 端整なその男は装いもあらわに席を立つと、カウンターテーブルの上に銀貨を一枚置く。


「おいおい、大した話じゃないんだからいいよそんなもん」

「でもこの店、言ってる割には流行ってなくない?」


 男が冗談めかして言う。


「ふへへへっ、言ってくれるじゃねぇかよ。まあそういう事なら、ありがたく恵んでもらっとこうかい」


 確かに、街中の賑わいに比べてこの店の客入りはお世辞にも良いとは言えない閑散としたものだ。けれどこういう店は日の暮れた夜間にこそ本領を発揮するもので、決してこの店の経営が危機的な状況という事情には値しないのであった。

 そしてそれを分かってるこの若い男は、その均整の取れた顔立ちを幼く見せて、まるで悪戯を誇る子供のようにからかったのだ。


「あっ、おい兄ちゃん! もしまだこの街にいるなら、一度ムルアの教会へ立ち寄ってみな。このトトリアヌは大した見所もない宿場町だが、教会の塔だけは立派なもんだ」


 店を出ようとする男の背中に、店主は気の良い声を掛ける。

 男は振り返り、気持ちの良いくらい砕けた笑顔で手をかざしてみせた。


 その様を観て店主は、「よくコロコロとまあ、色んな笑顔を見せる」――と、もし誰かにその男の特徴を聞かれたら、是非ともそう答えようと呆れるぐらい思うのだった。













 百年余りの時を費やした大戦の終結――

 そしてその当事国同士であるフューレンとルバルディアの和平同盟が成立してから、世界を旅して回る人々は格段に増えていった。


 商売のため、各地の様々な民芸品や特産物などを売り買いさばいて儲けを得ようと、あらゆる国のあらゆる街を往来する行商人達。

 探求のため、大陸内部から果ては外部の辺境までをも渡り歩き、新たな可能性を発見することを夢見る学者達。

 修練のため、すすんで人が抜けるには厳しい土地に果敢に挑んでは、自らを高め、信仰を確かめる僧侶達。

 もしくは単に興味本位で、娯楽的に軽い観光を楽しむ者達。


 人それぞれに理由は違えども、この大地全てを人間達の足が踏み至っていく日が来るのもそう遠い未来ではないと言える程、この短い期間に世界は人間の手によって切り拓かれていった。


 その一番の理由というのは、かつてこの世界全土を蹂躙していた魔物達の極端な減少に因るところがほとんどだ。


 アルセイ暦540年にルバルディアとフューレンの間に取り交わされた永久和平条約――人類同士による争いの放棄、そして共通の敵である魔物達への徹底した駆逐、排除を全世界が足並みを揃えて行えるようにした協和盟約の成果により、それまで辛酸を舐められてきた人間たちの版図が飛躍し、逆に魔物達の生息圏は切りすぼめられていったからに他ならなかった。


 ルバルディアとフューレンを筆頭に行われたその政策は大陸内諸国に留まらず、今では海を越えた一部の遠い国々とまで連携を得て、勢力を拡大しているという。


 そして今、殊更ことさらに話題に上っているのは人類の生活圏の外側――未開の土地をすら攻略しようと、各国が軍備を進めているという噂だ。



 魔科学という名の不可思議で絶大な力。

 それの発見と発展こそが、それまでに有効な対策を取れずに苦い思いをさせられていた人間達からの最大級の反撃を可能としたその依り所である。


 魔術と呼ばれるものは普通の人間には扱えず、またその体得も並ならぬ困難を要するという。

 それを技術として確立させたのが、つまりは魔科学というものだ。


 そんな人の領域を軽く凌駕りょうがする技術の真価は、口で説明するより実際にの当たりにした方が遥かに理解出来易かろう。

 折り良くとも言える事に、この丘の上に並ぶ街の一群から遠くの平野を往くまるで奇妙なものを目にする事ができた。


 それは何と形容すればよいものだろうか。

 足が多量に生えた山のように大きい亀とでも言い表してみるか。あるいは、巨大な岩山から野太い脚が生えて歩く事が可能になったものとでも呼ぶべきか。

 まあ、概ねそんな所だろう。


 今は遠くに見えるせいで判別が付きにくいが、それの巨大さと言ったら小山一つぐらいは丸々呑み込むスケールである。

 そんなものが自らの足で平野を渡っていくのだ。近くで眺められればさぞ壮観な様であったろう。


 それは〈アーケロンの甲羅櫓こうらやぐら〉とよばれる超大型の魔導兵器の一種である。

 見た目どおり、巨大な岩塊に魔術印とよばれる術式を彫り刻み、同じように印を彫った太く大きな岩石の脚部を取り付けて動けるようにしたものだ。

 岩山が動くなど想像し難い現象だが、実際にそれは今こうして野を踏みしめている。


 それの用途ははっきりとしている、言うなれば拠点である。

 〈アーケロンの甲羅櫓〉は別名「強襲要塞」などと言われる。――要塞強襲するのではい、要塞強襲するのである。

 その岩塊の内部はくり貫かれ、物資や兵士達を収容する立派な基地施設として機能している。そして言うにたず、その要塞は自ら移動してくれる。


 これこそが、外側の世界を攻略する要であった。

 人智の及ばない世界の果ての先、そんな未開の地に仮設といえども前哨基地などそう都合よく建てられるものではい。

 その問題を解決するのが、この巨大な岩塊である。


 内部にも、魔科学の力によって誕生した強力な兵器の数々が配備されているという話だ。


 仔細に至るまでを大衆が知る由はないのだが、連合政府がプロパガンダの一種として宣伝したその内に〈ダラティアの飛空騎馬〉と呼ばれるものがあった。

 それは空を翔る事のできる魔導兵器であるという。


 槍のような矢を打ち出す大弩を何連も取り付けたその兵器の性能はすこぶる優秀であり、〈アーケロンの甲羅櫓〉を基盤に対魔物用の主力兵器として連合政府はこれらを大々的に世間へ打ち出した。


 そのような兵器群の成果は確実に世界を変容させていき、今や余程の秘境に足を踏み入れない限りは凶悪な魔物達と出くわす事など無くなっていた。


 昔は堅固な外壁に護られた街や都市から武器も持たない一般人が外に出るということは、それこそ自殺行為と取られてもおかしくない様な状況だった。


 そんな背景のおかげで、今世界中で旅する人々を目当てとした商売が立派な産業として成り立ってきている。

 旅人の疲れを癒す宿場や酒場は勿論のこと、ある場所から目的の場所まで長距離用の馬車を走らせたり、辺境を旅しようと試みる者には護衛として傭兵を提供したり、はたまた旅の初心者を集めて経験者の引率の元に集団で事に臨むというようなものなど。


 旅の目的はみな一様に違えど、世界を巡って旅を続ける者たちは年々多くなりつつあり――

 そしてこれから先も増えていくことだろう。














 先程、旅行者相手に憩い場を提供する酒場から出てきた端整な若い男――カイル・クロードもそんな者達の内の一人だった。

 カイルは当初、街道を使って行路を往く者にとっては有名な、イザンカ領に属する国境付近の街で宿を取るつもりだった。


 だがいざ街に着いて見ればそこは廃墟。


 仕方が無く野宿で夜を凌いで、今し方イザンカ領を通り抜けてハーレィ領に入った初めに位置するこのトトリアヌの宿場町へと辿り着いたという次第だ。

 そしてさっそく何があったのかを聞くために、さっきの店に入り浸っていたのだった。


 この街もやはり旅行者目当てに商売をして生業を得ているようだ。街の中には様々な旅人相手の店が立ち並んでいる。


 その中をカイルは当てもなく歩いていた。


 その光景を眼の端に捉えながら、つらつらと考えていた。

 目の前に広がる街並み――この街だけでなく、此処に来るまでの経緯で立ち寄った様々な場所も含め、カイルは随分と変わるものだと感慨深げに思い立てていた。


 昔、カイルが軍に所属していたときの遠征で訪れた際は、このように活気のあふれた街などそう有るものではなかった。それは、これほどに豊かな街が今より少なかったという点にいてもそうだ。

 だがそれだけではなく、そこに暮らす人々の表情――雰囲気と呼べるものが、みな沈鬱で暗く、生気がなかったからでもあった。

 ほとんどの街はしっかりとした防壁や駐屯してくれる警備兵が無きに等しく、多くが他国の侵略行為や魔物の襲撃などに怯えて暮らしていた。

 そんな生活下では、その心が休まることなど稀であったろう。

 そういうえた空気が充満し、人々の上に圧し掛かっていたのは止む得なかった。


 だがそんな灰色の時代も、いまや過去のことだ。人々の表情には笑顔と余裕のある生気に満ちている。

 そういう意味で、戦争の終結と連合政府の樹立をカイルは素直に喜んでいた。

 誰もが人並みに穏やかな暮らしを続けられることは、廃頽的な生活を強いられてきた人間全てにとって切に願える理想の具現だ。


 カイルはその様なことを特に真剣にでもなく、かといって投げ遣りにでもなく、たとえるならば脳の浅い天辺の部分で丁寧に転がすかのような――そんな頭の巡らせ方をして、活気ある街中を人の流れに逆らわずに歩いていた。


 人々のその様を左右に流しながら、こういった陽気で悠長な雰囲気が嫌いではないカイルは少し浮ついた心持ちでいた。

 鼻歌でも口ずさんでみるぐらい弛緩しきった無防備な様で、人波の中を泳ぐように歩を進める。



「――っと、うわ……!」


 そんな不注意さが原因だった。

 カイルは露店主と客で賑わうその通りをくように人波を掻き分けてきた相手と肩をぶつける。

 向かってきた相手がそれなりの速度だったのか、それとも気の抜け方が余ほど深刻だったのか、カイルはその反動で大きく体をよろめかせて露店の一つへと突っ込んでしまう。幸い出張った品物棚の端に手をつけれたので陳列する商品群に被害はなかった。

 だが、急激な動作のそれらは人目というものをさぞ引いた事だろう。


「悪い悪い。ぼーっとしてた」


 相変わらずな能天気な笑みを携えたまま、振り返って自分が衝突してしまった相手を見遣る。


「平気かい? ええと……」


 カイルは第一印象から見てとっての、相手をなんと指して言うべきかを躊躇ちゅうちょしていた。 

 それもその筈で、他人から見て取ったとして、確信を持てるのは性別ぐらいのものだ。


「……ご、ご同輩……?」


 詰まっていた言葉を無理やり押し出して、カイルは相手に声をかけた。


 なんとも苦し紛れなその呼び方だが、凡そ間違ってはいない。

 多くの人間にその相手の容姿や年齢を問えば、20を幾らか越えた青年であると答えるかもしれない。


 しかしそれと同時に、その推測がまるで見当違いであるという印象を強く覚えるのだ。


 さして歳も重ねていないと見受けられるかなり若いその男。

 男はこの昼間の明るい空の下とまるで相反するかのような黒色の装束と外套に身をやつしていた。

 ただし、それらは純粋な黒というより、幾つかの色を混ぜ込めたような絶妙な色合いだ。暗褐色よりの黒と表現したところだろうか。

 厚手で丈夫なその出で立ちと腰に提げた大きな荷物袋から、長旅を続けている人間だとは判断できる。

 それも含めて、カイルは「ご同輩」と声を掛けたわけだ。 


 異様――と、そう称して構わないその強烈な印象は、男が放つ空気から立ち込めていた。


 まず始めに、この男から受ける印象は推し量れないぐらいの傲岸ごうがんさだ。

 その鋭い眼元からは達観したような怜悧れいりさと同時に、冷酷さをも併せて感じさせる。鼻筋は整っているのだが、眉が薄く険の強い一重のまぶたや黒目の少ないその三白眼は自ずから他者を倦厭けんえんさせる。

 若者という言葉のイメージから連想させる、あどけなさや溌剌はつらつさとは程遠いもの。


 だが、老いているという風情でもない。


 妙な精気――熱気と改めるべきか――が、その肉体からは温度を感じさせて漂ってくる。

 活きが良い、というような意味合いではないのだ。

 それは何か形容のできないたちのもので、どこか圧迫感を植え付けてきた。屋内でもないこの広々とした空の下だというに、それに囚われるや息苦しさで呼気が速くなった。


 それは男の、その凄まじい体躯たいく故に抱くイメージであったろうか。


 黒い外套の中に見え隠れするその肉体は、途轍もない力強さを誇っていた。

 筋骨の発達が凄まじい武骨で重厚なフォルム。にも拘わらず、どこか重量を感じさせないしなやかさも含んでいる。

 まるで大型の野生動物のようであった。

 全身が筋肉にまみれたその重量でありながら、人などに真似もできない俊敏さではしりだすそんな躍動感があるのだ。


 上背はそれほどなく、目線はカイルの方が上だ。

 そのせいでもあるのか、余計に骨格に対する筋肉の密度というものが否が応にも際立つ。

 およそ人間が自身の骨組みに沿って搭載できる筋肉の、その最大荷重を維持しているような圧倒的な肉体――

 それこそ、その身体は、岩や鋼の類で形成されているのかと思えるほど惚れ惚れする量感であった。 


 まず自然体のなかで育ってはいない筋肉の附き方。ある種の思惑によって完成されたもの。

 それはどれだけの期間を必要とし、完遂させたものであったのか。

 並の人間では到底及べない、何かの目的にのみ特化して作り上げられた肉体としか言いようがなかった。


 カイルとて長身でそれなりの体格をしているが、比較してみても目の前のそれはまるで次元が違うように感じられる。

 そんな肉体を有する男だから、得体の知れない圧迫感があるのかもしれない。



 だが――

 決してそれだけではないような気もする。



 言ってしまえば、生物としての根源的な格の違いとでも表すべき何かが、この男とその他とを線引きをしていた。


 男をえてたとえるとするならば、底知れぬ大沼のそのふちだろうか。それも付け加えるなら、そのたたえた水が一切とよどんでいない不可思議な。


 流れのない水は腐る。


 その前提をまるで打ち壊すかのような、静止した只中でこうを経て、それでも透明さを保つ異常な水沼を前にしたかのようだ。


 生命の持つ瑞々みずみずしさがない。

 けれど、枯れても腐ってもいない。


 滞りながら長久を迎え、朽ちもしない恐ろしい”何か”を前にした気分であった。



「……」


 感情の機微をまるで生やさない顔で、ただ黒尽くめの男は穿つような鋭い眼つきでカイルを視界に捉えたまま押し黙っている。

 特徴的な深緑色した瞳は凍りついたような冷静さを映しているが、それと同時に押し止められない危うげな輝きを宿している。簡潔に言うなれば、剣呑さの他に感情を読み取ることができない。


 威勢の良い呼び込みを掛け、和やかに談笑していた周りの店主を含めた客らも、何事かと目を見張ってこの二人を注視している。

 この一角だけ辺りの喧騒から取り残されたようだ。


「おい、兄ちゃん達! 店の鼻先で喧嘩なんかよしてくれよ、やるなら他所いってくれっ」


 一触即発な状況を見て取った露店の主がそう物臭ものぐさに声を荒げた。

 カイルが突っ込んでしまったその店にとって、大事な商品が並ぶこんな場所で暴れられたらたまったものでない。


 しかし、思わず声を高くしてしまった店主は、自然と男のその異様な圧力を孕んだ視線の対象に選ばれてしまう。

 その圧の篭った眼力の前に晒された店主は、肺から漏れ出た空気が言葉にならずに抜け出たような情けない声ですくみ上がる。


 カイルは、自然な動作でその強烈な視線を店主から遮るように前に出た。


 物騒な雰囲気を出す二人を迷惑そうに見ていた周りの人間達も、意識することなく緊張の糸が引き絞られるのを感じた。

 「炯眼けいがん人を射る」とは言うが、この男のそれは本当に言葉も行動も用いず眼光のみで相手を畏怖させたかのごとく射止めてしまう。


 そういった部類の存在をカイルは知っていた。

 少なくとも、目の前の相手が並大抵でないという事は容易に察し得る。


 特にカイルが危惧を覚えるのは、その肉体は元より、男の外套の内に見えた一振りの特徴的な形の得物だ。


 この異様な空気を醸し出す相手が所持するそれは、緩く湾曲したまるで見慣れぬ刀剣だった。

 一繋ぎの筒状のつかさやは一見すればただの棒にも見え、鉄製の環をめただけのそのつばで区切られていなければ剣には見えなかった。


 博識なラズに教えてもらった事がある。

 海を越えた遠い島国の、その独自の冶金やきん術で鍛えられた刀剣の切れ味は恐ろしいとされていると。

 低めのかまの温度で玉鋼を何百、何千回と層を折り返すように打ち付け、その計算され尽くした形状も含めてまず尋常ならざる刀身の強度を作りあげる。

 その上で研ぎを精細なまで行う事によって、抜群の切れ味と耐久性を誇るのだと。

 一種の芸術品と――今は亡き友が、そう教えてくれていた。


 その特徴を見紛うはずもない。今、その男が所持しているのはそんな名匠の品なのだ。


 ではそのような名品を持つこの男は果たして、珍しい物を金で集めるのが好きな蒐集しゅうしゅう家だろうか。

 いいや、まさにその名品を自らの手足の如く扱える技量の持ち主ではないのか。

 下手に長物ではなく小剣ショートソード程度の得物であるというのも、この男に掛かればその練達の業を証明するよしであるかのようだ。


 そして、その異国の刀剣にも負けじ目を引くは、黒装束の腰に巻かれた革ベルトに装着されている何本もの投擲武器だ。

 形も大きさも寸分違わずに揃えられたその投げナイフ。

 やはり、こういった類の物を素人が好んで用いるとも思えなかった。


 相手の事を知らないカイルは勿論、相手が伊達か本物かの白黒は付けられない。

 だが相手のまとった異様さの域を考えれば、警戒し過ぎることはないと思えるのだ。


 黒尽くめの男の前に進み出たことで、その視線の先はまたもカイルの顔面へと注がれる。

 距離が縮まったため、男よりも背の高いカイルは見上げられる形でめつけられる。その斬り付けられるような視線を受けて、カイルの心臓は一度大きく跳ね上がり、つかえたように息がとまった。


 まるでその瞳は、どこまでも冷徹な狂気を孕んでいるかのようだ。


 嫌な汗が額に浮かぶのを感じながら、それでもカイルはもう一歩相手との距離を詰める。

 近づいてくるカイルを視界に収めたまま、相手はまるで変わらず、感情を示さない冷淡とした相貌だった。


 それまで賑わってきた通りの空気は身をひそめ、周りを取り囲む露店主や客達はいまこの瞬間に起こっている状況を危ぶみ始めていた。


 カイルはそれらに構わず、眼前へと至ったその場で大きく手を振り上げると――



「いや、ほーんとスマンかった。ちょーっと、ぼんやりしてたぜ」



 とてつもなく爽やかな笑顔を振りまいて、往年の友人同士のように馴れ馴れしく相手の肩を叩いたのだった。


 そのあっけらかんとした口調と表情が相成って、周りで見ていた人間達の不穏さが一気に消し飛ぶ。

 みな一様に間の抜けた表情となっている。


 それは肩を叩かれた当人とて例外ではないようで、どこか表情のとぼしかったその顔に変化が生じた。

 変化というより、ただ単に虚を突かれただけかもしれないが、少なくとも先ほどまでの剣呑さはどこかへと消失していた。


 相手は鬱陶しそうに肩にやられたその手を掴んで、捻るようにして持ち上げた。

 そしてここへ来て始めてその口から、抑揚のない声が発せられる。


「気安く触るな――」


 想定していたものより何倍も強い握力で掴み挙げられた手首は軋み、思わず眉をしかめるカイル。


「はっはーっ、なんだい、ツレないじゃないか兄弟」


 だが次の瞬間にはもう、陽気な芝居がかった表情へと変わっていた。


「まあまあまあ、そう無碍むげにしなさんなって。あれだぜ? 人と人との繋がりってのはだな、どこでどーなって結びつくのか分からないって言うぜ? だからさー、出会った全ての人との縁を大事にするって良いことだと思うのよ。どうやらそっちも同じく旅行者ってわけだし、ここは一つ、肩がぶつかり合った縁ってのを大事にしようじゃないか!」 


 カイルは胡散臭げでありながらどこまでも明るい調子でそうくし立てる。片腕はいまだ捻りあげられた状態なので、もう片方の腕で強引に相手と腕を組む。


 通りの真ん中で奇妙に密着する白と黒の二人。

 周りの人間は状況についていけずに呆然としていた。


 しかし、無論そんな奇妙な状態は長く続かなかった。

 振りほどくように押し放され、カイルはまた同じ露店の中へと突っ込んでしまう。今回も何とか直前にて止まれたものの、危うく陳列する商品群をなぎ倒すところだ。


「……馬鹿か貴様は」


 黒尽くめの異様な男はそうとだけ短く吐き捨てると、付き合ってられんといった風情できびすを返す。

 周りに出来上がっていた人垣のその一部へと向かうと、どよめきのような声を響かせて人だかりは割れて道となる。


 異様な雰囲気と迫力をもったその不可解な黒色が、開けられた人波を悠然と歩き去っていく。

 残された白色であるカイルは、その背を何故か残念そうに見送るのだった。


「やれやれだ。悲惨な大戦争はとうに終結したってのに、未だに人々の心はこうも荒んでるのか。さもしいねえ……。な? おっちゃん」


 カイルは変わらずの澄まし顔と芝居じみた口調で両掌を広げ、強引にその茶番劇に目の前の店主を引っ張り込む。フラれた手持ち無沙汰さを、赤の他人も巻き込む事によって誤魔化す手法である。

 そんな店主はと言えば「そういう問題じゃない」とでも言いたげな困った表情で首を振るのだった。





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