その大陸の名ブランスタ

第5話



 ブランスタ大陸――


 そこは魔物という異形の生物達がひしめき合う魔境。人々はそんな世界の片隅で、生存の為に命を散らす事を宿命付けられていた。

 南方を遥かに広がる海原、そして残りの三方を険しくそびえ立つ高山群によって閉鎖されたその内陸部が人に与えられた唯一の領土であった。


 人々は大陸全土までの明確な地理を知る事叶わず、切り立った高山群と海に囲まれたその箱庭のような場所で創世より根ざし生きてきた。自らを囲うその険峻けんしゅんな山々の先に何が広がっているかなど、想像の片隅でしか推し量る由がない。

 その自分達と魔物達との境界を示す山脈を“最果ての顎門あぎと”と人は呼び、それらより先は人の立ち入れる世界にあらず。

 そんな戒めを何千年という歴史の上で守ってきた。


 だがこれらは所詮、人側の取り決めである。魔物達は“最果ての顎門”よりも内側にも棲息せいそくし、あるいはそれらの境界線など歯牙にもかけず、何もはばかるもの無いかの様に往来してくる。

 そんな凶悪な隣人達は、何の気まぐれかで人里に降りてきては、たやすく人の世を踏み潰し、焼き払い、蹂躙して去っていく。


 そんな理不尽な魔物達を相手に、それでも人は、それこそ血のにじむような研鑽けんさんと工夫でもってこれまで対処してきた。街々に堅牢な防壁を築き、その内部で小魚の群れのように人間同士は肩を寄せ合って暮らした。

 そうして細々と、まるで真綿を薄く引き伸ばすように、人の世は続いていた。


 幾つかの人による国家群が興り、厄介な魔物という無法の同居者に相対しながら、それでも繁栄のみち辿たどる事もしばしあった。

 だが彼らの文明が栄華を極める事はない。

 無論それらは、凶悪な天敵の存在があったが為。しかして、それ以上に人は自ら同士でもいさかい、絶えぬ訌争こうそうを繰り広げていたからであった。

 人間たちは、ごく限られた領土を巡って同族同士でもせめぎ合ってもいた。

 自身らの生活を豊かにするための土地は決して満足に与えられたものではなく、時には他者から奪ってでも手に入れなくてはならなかった。


 そして、この切りすぼめられた大地に未曾有みぞうの戦乱の影がきざす事となる。



 時はアルセイ暦440年、内陸の北と東に構える強国同士の長きにわたる戦乱の火蓋ひぶたは切って落とされた。


 実に100年近くも続いたこの戦争は、人間達の領地全てを巻き込んでの壮絶な泥沼戦へと流れ込んだ。

 北に位置するは目下最大勢力とされてきた軍事大国ルバルディア。

 東に位置するは大小様々な諸国から成る連合国家フューレン。

 当時、最大勢力同士のぶつかり合いとされたこの二つの国家間戦争は、もはや当事間だけの問題で済まされる筈もなかった。

 競い合うかのように両国が、全土の国家に同盟条約を突きつけてきた。

 大陸中部はこれにより分断され、人類圏はみな等しく、その巨大な戦渦に巻き込まれることを宿命付けられていった。


 そうして世界は、長く苛酷な暗迷の時代へと突入していく。


 魔物という暴悪な存在――それは人間たちが文化を築く以前からこの世界に存在していたされる。

 個体毎に脅威の幅が顕著なものの、中には災害と呼べる力を宿した存在もあった。

 山ほどの体躯を有するもの、大陸を一飛びで駆け抜けるもの、そして人間よりも遥かに高度な知能を有したもの。

 それらは未だ人間たちが洞穴ほらあなに移り住んでいた頃から害をなし、文明を築き上げた今でさえ、魔物の存在は堪え様のない惨禍さんかの源となっている。

 そんな天敵の存在を無視して豊かな文明など築けるはずもない。


 だが幸いなことに、まるで誰かの意思によって区分されたように棲み分けられた魔物たちの生態により、人間たちはその隙間を埋めながら影でひっそりと生活を続けられていたのだ。

 魔物達は人間達が住み着くどころか、まるで寄り付かない人跡未踏な地に好んで棲息していた。それらは硫黄の立ち込める火山の峰々、入り組んだ熱帯雨林の奥深く、有害な瘴気しょうきの立ち込める猛毒の沼地帯、時さえも止めてしまうような氷点下を記録する極寒の大地など。

 そして“最果ての顎門”。多くの魔物――取り分けて強大な力を有する個体にとっては、その険しい山々の最奥こそが取り決められた縄張りであるかのように。


 そうして、お互いの棲家を荒らさぬように共生していたとみて取れるかもしれない。


 しかし現実は、強力過ぎる魔物たちが気まぐれに人の世に姿を見せた為に、集落一つが易々と滅ぼされるという――そんな悪辣あくらつ極まる有り体。

 それ故、人間達は魔物の襲撃を半ば仕方のないものと捉え、益を得るための対象を対処し切れない巨大な相手から組しやすい同族へと向けていた節があった。


 だだ、そうであっても、この戦争はかつてない程の大規模なものであり、もはや人類全体は憔悴しょうすいと疲弊の色合いしか見えないまでに荒廃していった。

 数十年の月日を費やして、各地に憎悪と悲愴とを撒き散らしながら拡大していく禍根。その戦火に焼かれた街々は容易に魔物達の侵入をも許し、それらの二次被害により、もはや人類の灯火は吹き消える一歩手前であったろう。



 しかしそんな大戦にさえ、終結の目処めどは見えた。



 それをもたらしたのが、アルセイ暦536年に若くして王位を受け継いだ東の大国フューレンの新たなる指導者ラスティール・クロム・ロズウェストである。


 “才女”と呼ばれた傑物。ラスティールは国母として先王から政治を引き継ぐと、その頭角をあらわとした。

 幼王が成人するまでの期間という条件付きながらフューレンの実質的な指導者へと昇りつめ、その辣腕らつわんで以ってルバルディアとの和平に乗り出す。

 もともと疲弊の色合いしか映さなくなっていた大陸内戦争は、これ以上の継続を危ぶむ声が広まってあった事もあり、ルバルディアとしても好都合な時期の和平対談であったがため、事態は思うよりも早くに収束していった。

 それを見越してのフューレンの内部革命であったともされる。


 この時、アルセイ暦540年の事である。 


 こうしてラスティールは長きに亘る戦争を終結させただけでなく、古来よりの災厄の種であった魔物に対する斬新的な案も打ち出していた。

 ねてより検討はされていたものの、争いが絶えず、他諸国との連携がとれないことで廃案とされてきた国家間の枠組みを越えた大規模連合政府の樹立を全土へと宣誓した。

 これらの樹立に当たってラスティールは人類同士による争いの恒久的廃止と、人間にとっての共通にして最大の敵である魔物の討伐――殲滅を目的とし、人類の新境地を開拓していくという旨のげきを飛ばしたのだった。


 それまで他国と争うことしかなかった諸々の国家は、その急性で革新的すぎる檄文に驚き、動揺し、頭を悩ませた。だが魔物が人類共通の天敵であることには違いなく、もはや世界の荒廃は止めようがない程広がりつつあったこと。故に各国の代表達は、そんな時代の急激な流れに身を任せる決意を済し崩しに固めていく。


 そうして大戦終結の後、人間たちのその敵意は遥か古来より自分たちの世界に蔓延はびこり、大地を我が物顔で闊歩かっぽする魔物という存在に向けられた。


 皮肉な事に、人類の結末を決めてしまうかのような大戦――これら戦争という追い詰められた状況が飛躍的に進歩させたものがあった。


 それは「魔術」という名の不可思議な力。

 あるいは「魔を導く術」と称して「魔導術」と呼称する場合もあるそれら。

 この世界にあまねく存在する幾多の現象――それを任意の力で行使することができる、まさに奇跡を可能にする力。

 古来より選りすぐられた一種の人間たちにのみ伝統され、継承されていった幻の秘術。独自の形態を連綿と維持し、一種の特権階級として世界を裏から牛耳っているとまで噂された禁断の継承者たちのその象徴。


 それらが戦争の只中にあって、一般の人間にも状況次第で扱う事のできる代物として世に姿を現した。


 それまで神と同等の領域とまでされ、計り知れない禁忌としてその存在を噂されていた未知の力は、そうして多くの人の目に引きずり出された。

 それも只一つにして絶対の、魔物に対する手段という希望の眼差しに晒されてである。


 脆弱な人間達に与えられ唯一の牙であり、魔科学と定義され始めたそれらの力を用いた数々の兵器群の登場は、戦争という極限状態が誕生させたもの。


 幻とされてきたそれらは次第に解明が進んでいき、災害と見做みなされていた怪物たちの息の根すらも確実に止められると実証された。



 それ以降――

 対立の図式を魔物対人間という形に変え、未だ世界は絶えることなく闘争を繰り返す。

 激しくはない、ただ緩やかにお互いの命を奪い合う輪舞曲ロンドを舞い続ける。


 こうして世界は若き革命家の登場により変貌していったかに見えた。

 あるいは、なるべくして世界は変革されていったのか。


 それがどちらであるか知る由もないが、今まで争いが絶えなかった人類は協和の精神で以って歴史上稀に見る繁栄の道を歩むこととなる。

 同時にどの国家も積極的に魔物討伐の軍を興すようになり、人類全体の版図は飛躍的に拡がっていった。壊滅的な損害を被っていた各国も、戦火ではない復興のための篝火を灯していく。

 そうして今後も変わらぬ繁栄と平和が訪れる事を人々は願ったのだ。


 これらの趨勢すうせいによって、僅かな期間で世界は変容した。


 けれどもそれは、本質的には何ら変わりのない闘争の時代だ。

 それまで追いやられてきた人間達の意地と生存を賭した、徹底抗戦の始まりと言えるのかもしれない。

 今の人々の憎しみの目は、自らの種を脅かす凶悪な『魔物』たちに向けられている。


 それが正しい在り方なのか。その先に約束された繁栄と平和があるのかどうか。

 ――誰にもそれを語れはしない。



 ただ、時代が大きく変遷へんせんしたという事のみ表記されるだろう。




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