2.異世界へヨウコソ

…硬い。

…瞼の外側が変に眩しい。

…ほんの少し寒い。









一体どうして?ボクは部屋の中で眠っているはずで…。




「…っ!?」





重かった身体が、違和感を認識すると迷いなく跳ね起きた。地面に着いた手にコンクリートの硬い質感。被っていたはずの布団は消失している。どうして、いつの間に外に?

顔を上げれば、そこは明かりに満たされていた。大通りの左右にずらりと並べられた建物の窓明かりに街灯、極めつけのネオンが嫌悪感を催すほどカラフル。眩しさの暴力につい怯んでしまう。細めた目を腕で覆いながら、この状況に困惑する感情を抑えつけて自分は観察を始めていた。


ここはどうやら真夜中の街。満月が浮かんでいることから15日前後だと推定できる。…あれ、今って何日だっけ。引きこもっているうちに時間感覚が狂ってしまったのだろうか違和感を上手く言葉にできない。

星はほとんどない。その理由はやはり、ここが都会だからだろう。眩しい環境で等級の大きい星が見えなくなるというのは小学生でも知っている。

ビル……と言っても、高さのないその建物の群れはいずれも電気がついた状態、煩いくらいに自己主張の強い看板が連なり、加えてネオン管のようなものでこれでもかと言うほどド派手に修飾されている。街灯もやたらと多い。

昼間並みに明るいというのに、街には人っ子一人居ないのか。そんな中、歩道のない大きな道路のど真ん中に自分は倒れていたらしい。何故、倒れていたのか…。そのことについては考える必要もないだろう。どうせまた、ニャルラトホテプ辺りの仕業と決まっている。悪ふざけには飽き飽きだが、飽き飽きしすぎてもうどこかで諦めていた。矮小な人間一人が何を思ったって数奇な運命様と神様には逆らえないのである。たった一人でこの手の事件に巻き込まれるのは久しぶりだけど、することはいつもと同じ。早く帰る方法を探さなければ。


ゆっくりと立ち上がって、頭を振る。


…まずは人探しだろうか。ここがどういう場所か分からないが、危険な状況に二人きりで居るのはまずい。京子さんも多分そう考えているはず。

ボクは振り返って、





誰も居ない。





……………………。





さっき「たった一人」って言い聞かせたばかりじゃないか。何を考えているんだ。



今のところ人の姿は見えないものの、電気がついている以上どこかに人間が居るはずだ。

夜ならやっぱり、建物の中。

そこまで考えて自分はすぐ傍にある、店と思しき建物に近寄っていく。道脇の街灯の下を通り抜けたとき、あまりの眩しさに目が痛くなった。咄嗟に腕で隠す。

バンパイアにでもなった気分だ。長いこと明かりもつけずに自室に引きこもっていたせいだろうか?それだけじゃない気がする。この街に眼科医がいるなら健康を害さない光度について真面目に啓蒙に励んでほしい。この照明のメーカーにもクレームを入れたい。何か理由があるのだろうが全く検討がつかない。仕方ない、何とか目を慣らしてしまおうと僅かに腕を下ろし、どう事情を説明しようかと考えながら自動ドアに近づく。

そのとき、建物の上方の看板が目に入った。


『noe7d9wy』



………は?



冷や汗が流れる。一歩後ずさって、ぐるりと辺りを見渡す。



『rqーf@zhr』

『xep@l7』

『hor@d』

『q@ecー』

『7jq@w@yg』



ヤバい。



たっぷり五秒間その光景に呆けたボクは、そのコンマ一秒後に弾かれたようにコンクリの道路を蹴った。

人に見つかっちゃいけない。

危なかった、危なかった。気付かず建物に入っていたら自分はどうなっていたことか。角を曲がり裏路地へ逃げ込むと、目についたゴミ箱の後ろにしゃがみこむ。嫌な匂いはするが、腰の高さほどのそれは立派に遮蔽物として機能してくれるだろう。ほっと息をつく。ここで身を縮めていれば大通りからは見えないはずだ。

まぁ、恐れているその住人とやらの姿は未だ見ていないものの。もしこれで実際には住人など存在していなかったとしたら、京子さんに笑われてしまう。





…………………。





……もういないんだった。



裏路地だというのに、点々と吊るされたランタンの光で明るい。どこまで徹底しているんだと不気味に思いつつ、そのおかげで看板の文字を読めたことには素直に感謝できる。日本語表記で帰還装置を設置してくれていたらもっと感謝するところなのだが、そこまでの配慮は期待できないだろう。

…あの文字列。

単なる外国語ではない。あんなものはこの十八年の人生で見たことがない。暗号にしてもプログラミング言語にしても、わざわざ店の看板にする合理的な理由がないだろう。ただ一軒、酔狂なオーナーが店名を暗号で表示したとかならまだ理解できるが、周囲の店も全部そうしていたのだ。

アレが…この街の言語?

もしかしなくても読めない。

つまり住人との意思疎通が図れない。


今までに見たことがない言語ということは、そもそも自分が地球外に居る可能性まであるのだ。異世界とか、そういった類の。

とするとますます帰る自信がなくなった。都合よく青タヌキが「どこでもドア」を出さない限り、帰る手段自体が存在していないと考える方が妥当なようにすら思える。何なら「住人」でなく「住民」と書いた方が適切な見た目の怪物どもに捕まって人体実験される危険について全力で憂慮しておく方がまだ建設的なくらいだろう。


ダメだ、と頭を抱える。


地球外かつ常識外の不毛な考察はさておき、住民との意思疎通が困難である以上、他者に助けてもらおうなんて甘ったれた考えは一旦捨てなければならない。となると、元の場所へ帰るためにはどうしたらいい?

いや、そんなこと考えている場合ですらないのか。ここで、ここで生き延びるためにはどうしたらいい?


目先の問題からいこう。

今、自分はホームレスで一人知らない場所に居る。腹は減る。喉は渇く。排泄はもちろん風呂にだって入りたくなる。しかし現実には食料はなく、そういった設備を利用するのも困難を極める。

ゴミ箱の裏で膝を抱えた。

数日間、そういったことを疎かにしていたのが悔やまれる。日常に生きていられるうちに日常を謳歌しておくべきだったのだ。今日はまだ何も食べていないし、昨日だってほとんど……だって、京子さんが……。




………………………。





……………?





そもそもボクがこの世界で生き延びようとする理由はあるのか?





そういえば、変だ。

つい先程まで自宅でぐったりとしていたのに妙な世界に放り込まれた途端足掻こうとするだなんて。なんで自分はこんなに怯えて、こんなに生きようとしているんだろう。凄く矛盾している。急に馬鹿らしくなってきた。


「…京子さん、 」


死後の世界って存在するのかな。

目先の問題がどうとか、その先の問題がどうとか。異世界に飛ばされたら普通は生き残りたくて四苦八苦するだろうが、今のボクはそうではないみたいだった。というより、それどころではないみたいだった。

あの世って実在するのかな。京子さんなら「あってほしくない」って言いそうだ。ボクはあってほしいな、キミに会いたいから、なんて素直な言葉は面と向かって言えなかったけど。言っておけば良かったのかな。良かったんだろうな。馬鹿だな。


思考は全然違う方へ、甘くて悲しい方へと逃げていく。死ぬ理由はないが生きる理由もなかった。頭上のランタンがこうこうと白く輝いている。再び身体が重くなっていき、脳から血管を流れ落ちていく血液がどろどろと心臓に溜まる。沈みこんでいく。自分の精神状態が想像の数十倍悪いことを自覚しつつ、希死念慮に弱々しく抗おうとしてみる。



あんまり、抗えない。

ナチュラルに逝ってしまいたい。



もう動きたくない。

何もしたくないんだ。



恐怖や焦燥がほとんど認識されないまま、思考が塗りつぶされていく。貴方無しでは生きられない、なんてありふれた言葉だが一般的に考えられているほどお綺麗なものではないな。危機的状況から目を逸らすほど、常識さえ狂わせる。



ここで眠ったら次の朝日の前には死ねるだろうか。ろくな道具がないからこれしか方法が選べない。

ちょうどいい機会、活用してしまって何ら問題ないと思う。欲求と、それを叶える機会が同時にそこにあるのなら誰だって飛びつく。飢えた獣の眼前に肉を放ったら、飛びつくのと変わらない。極々自然なこと。





死んで、会って、謝って、キミを追ってここへきたのだと伝えよう。


それがいい。京子さんの死によってボクがみんなマイナスされていき、最後にゼロになるんだ。








京子さんに怒られるかな。

どちらかと言えば呆れられるかな。


…どっちもすごくいいなぁ。
















ゴミ箱の裏で、壁に頭を預けて目を閉じた。

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Lost Boy ゼロ @donuts_07

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