Lost Boy ゼロ
@donuts_07
1. ゼロ
数式には、表記されない項がある。
プラスゼロとマイナスゼロだ。なんでもないもの、書いても意味のないものは、書くだけ時間の無駄だから省略する。例え計算したとしても答えに何の変化ももたらさない。式にとって不要だから、意識されることもない。けれども当然ながら、数式の概念からプラマイゼロが消失することは有り得ない。
あってないようなもの。
しかし、常につきまとうもの。
布団を頭まで被って、暗い世界に閉じこもっていた。当たり前のように部屋の電気を切り、カーテンを閉め切っている、午後六時。数日終日ずっと飽きもせずこんな調子。今日はまだベッドから出ていないし、当然食事も口にしていない。学校に欠席連絡も入れていないし、親にも何も伝えていなかった。まるで十八歳の冬にして突然不登校になったかのよう。実際傍から見たらそうだ。今後のことを思考しようとする度、頭脳はブレーキをかけてしまう。
自分でも馬鹿げているな、と思う。
無意味だと思う。
思いながら続けている。
続けざるを得ないのである。
京子が凶弾に倒れた翌日。ボクは通夜などに呼ばれる気配もなく、当たり前のように朝日が昇る光景を目にした。何がなんだか分からないまま登校して、意識不明瞭にて座して授業を受けていた。歓談する学生の声も耳に入らず、脳内では延々と繰り返し、一つの記憶だけが再生される。気が付いたら自分の身体が帰路にあったので、首を傾げながらそのまま帰ってきた。駆けっこを楽しむ小学生や買い物帰りの主婦の横を通り過ぎた。
日常がそこにあった。
みんな普通の顔をしていた。昨日、ボクは、大切な人を失ったのに。あれでもう何もかもが終わったのだと確信して、泣き疲れて眠りへと意識が遠のき、自己の死を想ったのに。世界というのは平然と続きを用意して待っていた。
乱暴に通学鞄を置いて、ベッドに倒れ込む。
京子が失われても日々はそこに在るのだ。
そう、マイナスゼロ。マイナスゼロである。京子の存在はボクにとって0だったのか。
そんなことないはずなのに。
計算の合わない等式を、等式にするために、ボクはこうしてひたすら時間を浪費することに決めた。本来失われるはずのものを、自分で自分に失わせる。喪失分を日常からマイナスし、然るべき数を引き終えるまでの間、ずっと無為に過ごす。それでもう、一週間ほどを何もせずに過ごした。
こうしなければ整合性が取れない。京子と過ごした時間と現在のこの状況との、ズレが直らない。
「……、…。」
人それを自棄と言う。
くだらない、感情的な行為。
布団の中で胎児のように身を丸くして、目を閉じる。温かい布団が気持ち悪かったが、自分まで死体になったみたいに四肢を動かすことができない。繰り返し繰り返し、思い出をなぞる度、ただただ沈んでいく感じがした。
京子がくれたマフラーは、今もずっとボクをしめつづけている。この苦しさがある種の安心だった。例えこのまましめ殺されてしまったとしても、さほど後悔はしない。
闇よりも暗い闇に抱かれて、煩いほどの静寂が耳を打つ……。
少しの間の、浮遊感。
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