第5話 カロリーメイト

マラソン大会というのは大抵の生徒が忌避するであろう、ある種偉大なイベントである。

運動部の底力を見せ付けるような精鋭たちには大事ではあるが、大会前に無茶はするなとお達しが出ている凛子には、ひたすら長く疲労がたまっていくし腹は減るしで退屈な時間だ。

日々の走りこみの成果か、それでも周りの人間よりは疲れている様子もなくゴールした。

ゴールの後の休憩所に向かい、水を飲みながら周りを見渡すと、まだ人はそれほど多くない。

あの幼馴染はまだいない。

にやりと内心笑いながら、しばしささやかな勝利の喜びに浸った。


時間が随分たつ。

遅い。去年は凛子がお汁粉を食べ終わったころにゴールしていたはずだ。

いくらお調子者三人組を結成し、だらだらしているといっても、こんな時間になるだろうか? 

そう考えていると、ゴール付近にいつもの三人組のうち二人が見えた。

 恵助はいない。

 思わず駆け寄って凛子は聞いた。

「お疲れ。恵助は」

「なあに凛子ちゃーん、恵助の心配? よ!流石、嫁!」

 クラスメイトのお調子者1はそんなふうにして声をかけてきたが、凛子は取り合わなかった。

 なんだ、反応が悪いなーなんて言いながらお調子者共は、訳を話し始める。

「恵助なら大事なもの落としたから探すって。先行ってろって言われてさあ」

「なんであいつ、マラソン大会にわざわざそんなもん持ってきてんだろうなあ」

「肌身はなさずってやつじゃね?」

 嘘だ。

 大事なものなんて持ってくるはずない。あいつは家にこっそり保存しておくタイプ。しかも傷一つけないようにしっかりとした包装を行った上で、だ。

 こんな汗まみれで走るマラソンで、どこへ落とすかも分からないポケットに入れておくなんて、有り得ない。

 そこでふと一人の様子に気づいた。

「どうしたの、それ」

「ああ、それがこいつがさあ、何もないところで人まで巻き込んで、盛大にこけて」

「おかげで土まみれ」

 とこけた本人は笑う。舗装されていない道路で転んだのだろう。白いTシャツが土まみれだ。

「巻き込まれたのって恵助?」

「そう、あいつって本当貧乏くじだよな」

 今、あの幼馴染がどんな状態なのか、予想がついた。

 あの馬鹿。

 凛子は悪態をついて、馬鹿な幼馴染の元へ向かうべく、走り始めた。


 馬鹿はそこにいた。

 あれは、ただ疲れているから歩いていますよって体だ。

 このマラソンはあまりにも長距離なので、最初の十キロを走ると、大体の人間は歩いてゴールする。

 だから、不自然ではないのだが。

「あんた馬鹿じゃないの」

 凛子がそう声をかけると奴はへらりと笑った。

「会うなり馬鹿はねえんじゃねえの?」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよ。

……怪我してんでしょ」

 そいつは驚いた顔をした。バレていないつもりなのだろうか。だとしたら、相当なめられている。どれだけ幼馴染やっていると思っている。

 そんなに汗かいて、歩き方だって少しぎこちない。見ればわかる。見なくたって、この男の思考回路は読める。

「見栄っ張り」

 人の気を病ませたくない。自分の弱みは見せたくない。

そんな性格の男の出した結論が、へたくそな嘘。

「うるせーな」

諦めたように、拗ねたように言って、顔を背ける。だから凛子はその隙を狙って、怪我をしているらしいその足側の腕を自分の肩にまわした。

「ちょっ何すんだ」

「借り、あるのよ。今まとめて返しとかないと」

「なに、お前。中学の試合の時ビービー泣いたの、まだ気にしてんの?」

「うるさい!」

 あまり思い出したくない屈辱の過去をずけずけと言われ、凛子は思わず声を上げる。

 大体ビービーなんて泣いてない。相変わらず人の神経を逆撫でする男だ。

 でも、そんな男にたくさん助けられている。だから。

「あと少しだけ。ゴール前には離してやるわよ」

 そう言った瞬間、凛子の腹の音が鳴り響いた。

 恵介は噴出した。笑いながら自分のポケットから取り出した、カロリーメイトを凛子に渡す。

「報酬」

「こんなじゃ足りないわよ」

 腹の虫の恥ずかしさから、しかめっ面をしている凛子に、恵介は笑って思いっきり体重をかけた。

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