第3話 ポテトチップス
当時の私はとても飢えていた。持ちうる興味は食べ物に費やされていた。そんな中出来た幼馴染という奴に、未だ私は素直になれない。
その歌を初めて聴いたとき、さっちゃんはかわいそうだと思うし、軟弱であると、凛子は思った。何故なら、大好きなバナナを半分しか食べられないからだ。大好きならば、食べるべきであると思うし、大好きなものが目の前にあるのに食べきれないという気持ちは悔しいを通り越して、悲しい。
前にスイカ一玉に母親が止めるのを無視して挑戦した時、食べきれなかったことに凛子は涙した。そう遠くない昔の出来事だ。
それからというもの、与えられるお菓子といえば常に半分だったり、四分の一だったり完全じゃないものばかり。凛子にとっては大変な屈辱であった。
しかし、今日は違う! 渡されたポテトチップス一袋(コンソメ味)に凛子は感激に打ち震えていた。母親の友達が来るとか来ないとか言っていたが、そんなことはどうでもいい。
凛子は当然ろくに母親の話を聞いていなかった。
そんなとき、家の呼び鈴が鳴り、キッチンで洗い物をしていた母親は途中で手を止めて、うれしそうに玄関に向かっていく。ドアを開ける音がすると、女の人の甲高い声が聞こえた。
「由紀ちゃん? 久しぶりー」
「恵。よく来たわね! あら、この子が恵介君?」
「そうなの、旦那に似てきたでしょ。ほら、挨拶しなさい、恵介」
「こんにちは」
「大きくなったわねえ。こんにちは、お母さんの友達の笹岡由紀って言うのよ。よろしくね」
「あら、由紀ちゃんみたいな美人に挨拶されて、この子いっちょ前に照れてるわ」
「何言ってんのよ、恵。立ち話もなんだから入って頂戴」
かしましい声が玄関から聞こえてくるが、凛子はそんなものを気にする余裕は無い。
それより今は。
「ほら、凛子挨拶しなさい」
ポテトチップスの袋を開けようと、手をかけている最中だった。
ドアの方を見ると、母親と、知らない女の人と、自分と同じくらいの男の子。
「……こんにちは。ささおか、りんこです」
袋を手にしたまま、頭を下げた、妙な形になった。
「これから、恵介君こっちに引っ越してくるんですって。同じ学校に通うのよ」
「たちばな、けいすけです。よろしく」
手を差し出されて、凛子は思わずその手を握った。なんだか弱そうな男の子である。
「じゃあ、お母さんたち話があるから。一緒に部屋で遊んできなさい。お菓子もあげたでしょ。二人で食べるのよ」
「あら、悪いわね」
「気にするほど大したもんじゃないわよ」
続いていく母親たちの話は凛子には聞こえなかった。
ポテトチップスが、なんだって?
握り締めた先には手があるが、凛子は気にしない。
「いたいんだけど」
「ああ?」
ギロリとにらまれて男の子はあわてて、凛子から手を離した。このままだととって食われそうな気がしたからだ。
「こら、凛子。食い意地張るんじゃないの」
ぺしりと頭をはたかれ、あまつさえ怒られる。
何故怒られなきゃならないのだろう。渡された時点で、このポテトチップス(コンソメ味)は自分のものであるはずだ。
母親に不満の訴えとして見つめるが、当然ながら通用しない。
こいつがこなければ!
ギリと睨み付けると、男の子はおびえたように身体をびくつかせた。
この瞬間、凛子の中で男の子は敵になった。
こんな弱そうでも男は男。男の子と女の子は、しんたいてきにうんどうのうりょくはおとこのほうがすぐれている(父親談)、らしい。凛子は今の自分の力では敵にかなわないかもしれないと考えた。
まずは力をつけなければいけない。
笹岡凛子六歳。ポテトチップスを奪った男を倒すために、たまたまやっていたテレビ中継の大会を見て、剣道を習うことを決意する。
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