番外編:クロスストーリー

振られ男の話なんて

 春馬教授に頼まれた資料を大学に持って行ったその帰り、私――正岡孝規まさおかたかのりは一人の女子大生と出会った。

 校門へ向かう途中の、人目につきにくい木陰のベンチ。そこに座り込んで、俯いて泣いている彼女に、一週間前の自分を重ねて思わず声を掛けてしまったのだ。


 泣いている所を人に見られたくない様子の彼女を、咄嗟に案内したのは学生があまり来ない構内のカフェだった。

 私は元々この大学の学生ではなかったが、稀人の保護機関の会長である春馬教授と会うために、隣の大学から度々通っていたし、今もこうして用事で来ることは多い場所だ。


 いきなり学生ではなく教授でもない歳頃の人間に手を引かれ、多少は警戒していたらしい彼女、河内凜こうちりんは、差し出したココアを飲むとぽつりぽつりと事情を話してくれた。

 そしてやはり想像した通り、彼女もまた私と同じように失恋した直後だった。


 けれど話を聞けば聞くほど、彼女は恋に真っすぐで、羨ましいほどにかっこ良かった。少なくとも好きな相手がずっと思い続けている男の存在が怖くて、自分自身の恋心すら誤魔化していた私とは大違いだ。

 そんな事を思いながら話を聞き終わって、ようやく落ち着いてきた彼女が私の顔をふと見つめ、いきなりたまりかねたように口を開いた。


「どうしてまた、無精髭なの——!? 何かの呪いなの!?」

「えっ、えっ、ちょっと何ですか? 落ち着いて!?」


 言われてみれば結衣に振られてから、ろくに髪も梳かさず適当に束ね、髭をきちんと剃る習慣もなおざりにしてしまっていた。

 客商売なのにそれではだめだと頭の隅で分かってはいたが、思いのほか長い間想い続けていた人との関係が断ち切られ、あげくにその翌日「結婚したから!」とどう見ても堅気ではない男を連れて来られて、私は世界が反転するような気分を味わった。


 と言うか、実際に視界は反転したのだ。なにしろ私はその場で気が遠くなって倒れてしまったのだから。


 後にその場に居た機関員から聞いた話によると、派手なピンクの高級車に乗って、オレンジのスーツにネオンカラーのネクタイを締めて現れたその男は、白河次郎という名前らしい。

 仕事が仕事なだけに、結衣には護衛、白河には監視がついたが、私はそのどちらの任からも外された。


 それは春馬教授の、いや私の思いを知っていた機関員全員の配慮だったのだろう。だが目が覚めたらそう決められていた事にさえ、私はダメージを受けた。



「なんでそんな事になるまで黙ってたんですか! そんなの自業自得じゃないですか」

 案の定と言うべきか、元気が戻った凛さんにはそう一刀両断された。

 どうやら彼女の好きな男はみんな無精髭の男に持って行かれたらしく、私の顎から薄汚く伸びている髭がかなり気に障ったらしい。


 そもそもこの顔で引っ張って来た時点で、不審者扱いされずに済んだのは御の字というくらい、自分で触ってみてもひどい髭の伸び方だ。あまりきちんと食事を摂っていなかったのもあって、頬も少しこけている。脂っぽくなった髪も不潔だ。

 我ながら他人の世話など焼いている場合ではなかった。


「それで、どうするんですか? このまま泣き寝入り?」

「泣き寝入り、かなぁ……まぁ、そういう事になるんだろうけど。でも彼女が望んで結婚した相手だし、相手さんも急で驚いてはいたけど、彼女を大事にするって言ったらしいから、特に不満もないというか……はは、私がこんなだから振られたんだろうなぁ」

 言えば言うほど言い訳じみていると自分でも思いながら、苦笑するしかなかった。


 特殊な稀人である結衣との結婚はある種の契約で、交わされてしまった以上はもうどうにもならない。だから私は諦めるしかないのだ、と自分に言い聞かせているうちにはや一週間が経っていた。

 そのうちに、彼女に対して抱いていた思いも、どこか上から目線で「守ってあげなければ」という使命感が混じっていた事に気が付いて、私はそれ以上考えるのをやめた。同時に張り合いもなくなってしまって、今の状態になってるのだが。


「だったらその髭、剃ってください」

「え? ああまぁ、いい加減に剃らないとね」

「髭剃って、ご飯も食べて、髪も整えてくださいよ。 見ず知らずの私にこんなお節介を焼くくらいなら、自分だって大事にしてください!」


 テーブルに身を乗り出してこちらを睨むようにして言われた言葉に、私は思わず目を見開いた。

 さっきまで涙でぐしゃぐしゃの顔をしていた凜さんは、そこにはもういなかった。

 彼女はきっと、本来はそういう性格なのだろう。きりりとした目元はまだ赤みが残っていたものの、もうほとんど立ち直っているらしい顔で、私の事を心配してくれていた。


「その……私が言うかって感じですけど」

「いや、ありがとう。……嬉しいよ。本当に君の言う通りだ」

 同病相憐れむ、という気分で声を掛けた私は、よく考えればかなり失礼だったのかも知れないと、その時ようやく思い至った。


 自分の気持ちさえきちんと片づけないでいるのに、他人を勝手に同類だと思い込んで同情するのは、はっきり言って侮辱するのと変わらない。無精髭を非難されるくらい当然の事だ。お陰で少し目が覚めた。


 こんな風に誰かを助けるつもりで、甘えてしまうなんて情けない。友人たちにも心配させている事くらい分かっている。この上、見ず知らずの人に愚痴ってどうするんだ。諦めたのなら、元の自分を取り戻さなければ。


 改めて凜さんの顔を見ると、彼女は私の思いを敏感に察知したのか、にこりと笑ってくれた。

 自然と微笑み返してから、もう一度私は「ありがとう」と彼女に礼を言った。



 それ以後、私は度々大学を訪れて凜さんと会うようになったが、ここから先は桜吹雪で見えないという事にでもしておこうと思う。

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