秘密の会談(結衣1)
暖房よりも人の体温で暖まっているらしいファーストフード店の中は、昼食時が近づくにつれてますます混んできた。
窓は外との寒暖差で少し曇り、その向こうに見える街並みが心なしか幻想的に見える。
しかし視線を正面に戻せば、狭い席に横一杯広がる巨体を小さな椅子の上で丸め、大口を開けてハンバーガーにかぶりつく、色気も素っ気もない男が座っている。
傍から見ればカップルに見えるのだろうか、とふと考えてしまって、雪江の顔を思い浮かべた。
大丈夫、間違ってもお互いそういう気にはならないよ、と心の中で断言する。
種族的にも性格的にも反りが合わない私と彼が、こうして穏便に会って話せる理由は他でもない、どちらも雪江が大好きだからだ。
その彼、ザグルは時折子供が上げる甲高い声に、耳をピクピクさせて反応しながら、紅茶を飲んでは顔をしかめてハンバーガーで口直ししている。
内緒話にはいい場所だと思ったけれど、音にも匂いにも敏感なようで落ち着かないその様子を見るに、やっぱりもう少し店は選んだ方が良かったかも知れない。
「この前ね、ゆっきーに言っておいた事なんだけど。ひとつ聞いていい?」
「おう、なんだ?」
3個目のバーガーを口に入れかけていたザグルは、声を掛けるとすぐそれを置いた。
食べながら喋るのは良くない、と言って話し掛けると食事を中断するのは、雪江の昔からの習慣だった。
一緒に生活しているとそういう部分もうつるらしい。
「ゆっきーのベッドにね、クマのぬいぐるみが置いてあるのは知ってる?」
クマ、と首を傾げたザグルに、いわゆるテディベアなので野生動物のクマとはだいぶ違うと説明すると、彼は思い出したようにああと頷いた。
「それならかなり前に箱に詰めてたぜ。今は俺がやったウサギのぬいぐるみが置いてある」
「ちょ、展開早いわね!」
そう言えばバレンタインのプレゼントを貰った、と話した時の雪江はちょっと恥ずかしそうだった。
「良かったじゃない、何貰ったの?」と訊くと、「うん……」と言葉を詰まらせて「内緒」と小さな声になり、それ以上はいくら訊いても答えなかった。
もしやプロポーズに等しい品だったのか、と驚き半分心配半分だったのだが、なるほどウサギのぬいぐるみか、と一つ疑問が解けた。
30歳にもなって貰って喜ぶ物じゃないと思うけれど、雪江は嬉しかったんだな、と思う。
「でもやっぱ、捨てるまではいかなかったかー」
予想はしていたけれど、雪江の中では今でも大切な思い出の象徴なのだろう。
けれどそのテディベアが、どんな経緯で彼女の手に渡ったか知っている私は、それを大切にしている彼女を見る度に微妙な心持になる。
「なんだ、あれ捨てた方がいいもんなのか?」
考え込む私の顔を見て、ザグルは真面目な顔になった。
「うーん……。あんまり言わない方がいいとは思うんだけどさ、あれって元彼に贈られたものなの」
「元彼?前の男って意味か?」
あまりあからさまな事は言えないので、無難な範囲で声を潜めて伝えると、ザグルの片眉がぐいっと上がった。
片目を見開いて片目を眇め、口をへの字に歪めると、一気に険悪な顔になった。
その顔をずいっと突き出されると、流石に腰が引ける。
そりゃ嫌に決まってるよね、と慌ててフォローを考えた。
「かなり長く付き合って結婚も考えてた相手でね。その人から告白された時に貰ったものだし、大事にしてたから捨てたくないんだと思う」
「ああ、そういう意味か。なら問題ねぇ、捨てねぇ方がいいぐらいだ」
あっさりそう言って、ザグルはすっと素の顔に戻った。
「束縛の呪いでもかけてんのかと思ったじゃねぇか、ドッキリさせんなよ」
とむしろホッとした様子で再びバーガーに口を付ける彼に、私は返す言葉が行方不明になる。
「え……何で?」
「何で、ってよ。ユキにとって好きな奴ってのはそういうもんだってことだろ?」
ザグルと喋ると話が明後日の方向に飛ぶ、と雪江から聞いたことはあるけれど、これはさっぱり意味が分からなかった。
そもそも束縛の呪いって何だ、そんな話は小説には出て来ないし、色っぽい話とは無縁のあんたが何で知ってるんだ、と色々突っ込みたくて仕方ない。
けれどそれ以上に話の前後が繋がらない。
頭に「?」をいくつも浮かべていると、「あんたならどうなんだよ?」と訊かれてますます困った。
そんな私の顔を見て呆れたように溜め息を吐くと、ザグルはバーガーを置いて両手の人差し指を立てた。
「もしあんたが男と付き合うなら、他に気になる奴ができたらすぐあんたのことはすっぱり忘れる男と、あんたのことも考えてしばらく悩む男、どっちと付き合いたいんだ?」
ユキは後者だろ、と言われて私はハッとした。
そういう風に考えれば、長く付き合いたいなら前者よりも後者の方が安心だ。
付き合う前に足踏みされれば、前の女を優先しているのかとイラッとすると思うけれど、一旦付き合うと決めたなら、他の誰かに横から来られても関係を壊されない可能性が高い。
逆に9年も想い続けた相手を何の迷いもなく忘れられるなら、たとえ結婚しても不都合があると別れを告げられそうで心配だ。
「そっか……そういうことなんだ」
私は思わずごくっと唾を飲んだ。意味が分かると同時に、ザグルはかなり本気で雪江を想っていて、しかも長期戦のつもりなんだ、と気が付いた。
雪江の中に長く居座りすぎた朋也との思い出は、そう簡単には拭い去れない。
本人はもう気にしてない、ほとんど忘れていると言うけれど、それは別れの時の事だけで、逆に仲の良かった頃の思い出はずっと大事に抱えている。
新たな出会いを求めようともしなかったし、私が機会を作っていい雰囲気に持って行っても、連絡先すら交わさずに終わってしまう。
時間をかけてじっくり付き合える相手さえいれば、と思っても、それは常日頃付き合いのある人でなければ難しくて、相手の方がよほど気に入って待ってくれなければ無理だ、とそのうち理解した。
だから正直、このままずっと雪江は独り身かも知れない、と私も諦めかけていたのだ。
ザグルはなまじ若い男なだけに、もっと性急に動くものと思い込んでいた。
冷静に考えてみれば彼は、雪江と同居して3か月以上になる今も、彼女に指一本触れていないのだ。
女性として意識していないどころか、寝室に通されそうになって咄嗟に床に寝たくらいなのに、である。
雪江が鈍感すぎるせいもあるけれど、彼の辛抱強さも相当だ。
どうにも見た目と態度のせいでガサツな印象が先に来るけれど、なかなか侮れない。
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