秘密の会談(結衣2)

 そんなことを考えていると、

「そこはいいんだけどよ」

とザグルは腕を組んで真面目な顔になった。

眉間にぐっとシワを寄せて、口を開きかけて少し考え込む様子に、

「どうしたの?何か話しにくい事?」

と促してみると、彼はますます眉間に力を入れた。


 どうも今日の呼び出しの本題らしい、と思って黙って待っていると、彼はふっと肩の力を抜いて諦めたように口を開いた。


「なぁ、ユイはユキの家族のこととか知ってんだろ?俺にも教えてくれねぇか?」

 いきなりのその質問に、さーっと私の全身が冷たくなった。


「何でそんな事……それにあたしが知ってると思うの?」

「ユキが話したがらねぇからな。けど周りの人間の反応見てりゃ、家族がいんなら普通どうするかは想像つくしよ。こんな得体の知れねぇもんが2人も周りをうろついてんのに、心配も咎めもしねぇってのは逆に妙だ。あんたの保護者とやらはその辺知ってんじゃねぇのか?俺たちみてぇなのを保護するってんなら、関わってる人間のことも調べんだろ?」


 ぐうの音も出ない。まさしくその通りなのだ。


 一体いつから気付いてたんだろう、と考えて今日の経緯を思い出す。

 ザグルが電話番号を柚子茶のラベルの裏に仕込んだのは先月の半ばの筈だ。

 その月の初め、雪江はザグルに促されて久しぶりに帰省している。


 それまで雪江がずっと家族と話もしていなかったのは、身近にいる彼が一番よく知っているはずだ。だからこそ雪江に帰省するよう促したのか。

 けれど雪江の家族は彼女に何も言って来ない様子だし、心配して様子を見に来る、なんて事ももちろんない。

 それは私が彼女と親しくなった時も同じで、私の保護者からはきちんと連絡が行っているのに、彼等は雪江に電話すらして来なかったらしい。


 そしてその原因と思われる話を、私は雪江からではなく、ザグルの監視役となった時に保護機関からの情報で知ったのだ。



 どう答えていいのか分からずに俯いていると、ザグルは私の顔を覗き込んできた。

「すまん、訊かねぇ方が良かったか」

 あまり他人が触れていい話題じゃない、という事は彼も察しているらしい。


「ううん、いずれ話さなきゃいけないかもってあたしも考えてたわ。そっちから訊かれるとは思ってなかったけど」

「最初はな、別れた男のせいかと思ってたんだが、あいつ変だろう?」

「そうね。ちゃんと見てれば気になるわよね……」


 雪江はあまり人と深くは関わろうとしないし、友人は少なくないのに表面上の付き合いが多かった。

 朋也との仲も恋人と呼ぶにはずいぶん距離があって、寂しがってもいたのに、その方が安心できるとも言っていた。


 けれどその一方で、いつもその関係に不安を抱いているようで、卒業してからは結婚を急いでいた。

 結婚に乗り気でなかった朋也は雪江と距離を置くようになり、別れるに至った最初の原因もそれだった。


「あんたの正体バラしちまった時も、俺が怪談した時も、ユキは俺らが急に姿を消すんじゃねぇかって怖がってたからな」

「うん、雪江は昔っからそうだったの」


 そういう恐れを真っ先に抱くというのは、天気予報が晴れの日に雨が降るかもしれない、どころか竜巻が来る心配をしているようなものだ。

 そんな心配しても仕方ない、そもそも的外れだと言っても雪江の恐れは変わらない。

 長い間気になりながらも、あくまで他人の事だからと干渉を避けていた部分だ。

 それが今頃になって、思いがけずザグルの登場によって原因を知ることになった。


 これをザグルに話してしまっていいのか、雪江は忘れてしまいたいのであろうそれを掘り返していいのか、これまでも考えていた事だけど、答えは出ない。


 彼女が自ら封じていた記憶に触れて、果たしていい結果につながるんだろうか。私やザグルに知られていたと分かれば、余計に人と関わるのを恐れるようにならないだろうか。


 何も言えずに腕を組んで悩んでいると、ザグルが口を開いた。

「ユキはあれからしょっちゅう悪夢で目ぇ覚ましてんだ。そんでいつも『行かないで』って叫ぶんだよ。あいつがそう言ってる相手はたぶん、俺じゃねぇんだろ?」


 その言葉にはっと顔を上げると、彼の両眉はいつの間にか情けなさそうに垂れていた。


「今まではそんなことなかったの?」

「ああ、毎晩ぐっすりだったぞ。先に寝て俺より後に起きてくっから、俺がどこで寝てんのかも知らなかったしな」

 一体どこで寝てたのよ、と突っ込みそうになったけれど、それだけ急に様子が変わったということだ。


 そして雪江が見ている悪夢。「行かないで」という言葉。

 雪江の家族のことを訊いてくるなら、彼にもあらかた想像はついてるんだろう。

 けれど確実なことは雪江の口からは聞けないから、私を頼って来たのだ。


 隣にいない私ではきっとこれ以上は力になれない。

 そう分かっていたから知っていても何もしてこなかった。

 けれど雪江自身がその悪夢と闘い始めたのなら、せめて見守っているザグルには事情を知って支えになってほしい。


 少し歯痒いけれど、彼はそのつもりで私を呼んだのだ。

 ならば私も、出来ることはしようと腹を括った。


「雪江の実のご両親はね、彼女がこの町に来る1か月前に事故で亡くなったの」

「……そうか」

「それ以上の事はあたしからは話せないわ。ごめんね」

「いや、そんだけ教えてくれりゃ十分だ。ありがとな」


 不意にザグルの腕が伸びてきて、ポンポンと軽く頭を叩かれた。

 雪江にはよくやっているというこの仕草は、彼女の話の通りなら「安心しろ」「大丈夫だ」という意味らしい。


 これからどう動くとしても、彼は雪江を傷つけたり、私との関係が壊れるような事はしないという意味なんだろう。

 時間に任せるのか、何か行動を起こすのか、解決の方法はまだ分からない。

 けれど雪江にも私にも、心強い味方が出来たのは確かだ。



「今日はまず買い物だな。んじゃ、そろそろ帰るぜ」

 手元のバーガーを口に放り込むようにして食べ終わると、ザグルは勢い良く立ち上がった。

 何か目標を見つけたのか、その目はずいぶん活き活きしている。


「何か探しに行くの?手伝おうか?」

「いや、買うのは晩飯の材料だ。ユキの好きな野菜でよ、なんかあったけぇもん作ってやる」

「ああ、それ!そういうのいいわね!」


 夜中に何度も目を覚ましたり、辛い記憶と向き合ったりしているなら、負けないように体力を維持するのが一番大事だ。

 そのためには美味しいご飯を食べることが、きっと何より力になる。

 真っ先にそれを考えて動き出したザグルの背中を、私は初めて頼もしいと思った。

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