秘密の会談(ザグル2)

「そう言えばさ、ザグル君の方でもいい事あったんでしょ?」

「あん?どういう意味だそりゃ」

 急に嬉々とした顔になったユイは、テーブルの上にずいっと身を乗り出し来た。


 女の話が急に飛ぶのは世の常だ。だが身に覚えがない。

 困惑している俺の耳元に顔を寄せると、ユイは片手で口元を覆って囁いた。

「バレンタインの夜のこと聞いたわよ、布団で抱っこして告白してくれたって」

「うぼっ!ごふ、ごふっ!がはっがはっ!」


 予想外の一言に、口に入れかけた茶を喉に引っかけてしまった。

 あの夜の事をユイに話していたとは、女同士のお喋りは恐ろしいというおやじの言葉が蘇る。

 屁をこいたはずみで漏らした事すら隣の家に筒抜けになる、と聞いた時は大笑いして流したが、あれはホラでも冗談でもなかったのだ。

 大変だったなおやじ、と心の中で手を合わせる。


「その反応だと膝に座らせて怪談したのも本当なのね。ゆっきーも驚いたって言ってたわよ」

「ありゃあ半分ユキの勘違いだ!さみぃのに何も着ねぇで座ってっからよ、布団に入れって広げてやったらいきなり膝に座ってきたんだ」


 まるで子猫のようにひょこひょこ膝に上がってきて、尻を乗せてきたユキエに仰天したのはこっちの方だ。


「やっぱりそんなとこだったのかぁ」

「勘弁してくれよ、あのまま黙っときゃ平気で寝そうだったんだぜ」


 この様子だと色々筒抜けなんだろうな、と思うと頭が痛い。

 いい事には確かに違いないが、俺にはかなりの忍耐力を強いられた一夜でもある。

 ユイと3人で買い物をしたあの日、さり気なく「俺は丸太じゃない」と主張しておいたつもりだったが、その辺はどうもユキエにはさっぱり伝わっていないらしい。


 額を押さえていると、ユイはふと真顔になった。

「ああ、それで怪談なんてしたの?」

「仕方ねぇだろ、ビビって目ぇ覚ましてくれりゃ助かると思ったんだよ!」

 ここまで全部バレていると、もはや取り繕う隙すらなかった。


 布団に入るのを躊躇う様子はあったから、せいぜい隣に座って足を入れるくらいかと思ったら、まさかのあの行動だ。

 誘っておいてなんだが、こっちは年頃の女を膝に乗せて動じるなと言われても無理だ。

 あげく前のめりに倒れるので、慌てて抱き起こしたら、ユキエは腕の中にすっぽり収まってしまった。


 子供の頃に妹を膝に乗せたことならあるが、その時とは全く違う感覚だった。

 体が小さいのは分かり切っているつもりだったが、10も年上の女とは思えないほど細い体は柔らかく、力を入れれば潰れてしまいそうな頼りなさだ。

 そのくせ膝の上と腕に感じる膨らみは弾力があって、首の後ろに覗く肌はドキッとするほど白い。


 起きてくれというつもりで頭を軽く叩くと、余計に脱力して身を委ねられ、理性が吹き飛びそうになった。

 今でもあの感覚を思い出しては息が上がってくる。

 だめだ思い出すな、深呼吸だ、落ち着け俺。


「押し倒しちゃっても良かったんじゃないの?」

「んなわけいくかよ、他人事だと思いやがって」

 あんなマネをされれば合意の合図だと思うのが普通なんだろう。

 だが自分を信用しきって体を預けて来たものを、ここぞとばかり押し倒す気にはなれなかった。


 それに興奮を抑えるのは大変だったが、同時にホッと息がつける感覚もあった。

 何も望まないユキエにしてやれることはないし、何もできないならいつ追い出されてもおかしくはない。

 だからもし、ユキエに出て行けと言われたらどこへ行こうか、と考えてはいたが、答えはずっと出なかった。


 だがあの夜、ユキエは俺がただそこに居ることだけを、全身で望んでくれた。

 武器もなく、力は大した役にも立たず、恩を返す方法も分からない俺に、それでもできることが見つかったのだ。


「まぁ、悪ぃ夜じゃなかったよ」

「そっか、なら良かったじゃない」


 まるで自分のことのように嬉しそうに微笑むユイの顔を見ると、以前会った時よりは、いくらか綺麗になったような気がした。

 ユイの方でも、初めて会った時のように俺を警戒するのは止めたようで、その笑顔はとても素直なそれに見える。

 美人かどうかは置いといて、その顔は確かに愛らしさがあった。


 だがすぐ頭の中で首を横に振る。少々変わってもユイはユイだ。

 飲み切ろうと口を付けた茶は、やっぱり匂いがきつくて噎せそうだった。

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