研究室の集い(2)
「お守りなんて言うけど要するに凶器だろ、都合よく誤魔化さないで欲しいな」
話が終わるなり、黙っていた朋也はふんっと息を吐いた。
「誤魔化してなんてないわ。あれはただのお守りよ」
「お守りが聞いて呆れるな。仮にお守りに持っていたんだとして、持ち出してきたのはそっちだろ。こっちはハサミの一本も持ってないのに」
腕を組んで結衣を睨む朋也に、またも口を挟んだのはザグルだった。
「何言ってんだ、お守りだろありゃ?」
「はぁ!?」
険悪さを隠そうともしない顔で振り向いた朋也の顔には「こいつは何を言い出すんだ」とはっきり書いてあった。
私もザグルの気持ちを聞いていなければ、刃物がお守りと言われたら同じことを思ったはずだ。
ただそこは理解できても、凶器として持ち出された以上はもうお守りとは呼べない。
春馬教授も正岡さんも意味が分からなかったのか、部屋の全員がザグルに注目した。
一斉に視線を浴びたザグルはむしろその反応が意外だったのか、待て待てと言うように両手を上げると、私の方を振り向いた。
「ユキ、あれお前が持ってるよな?出してくれ、見た方が早いだろ」
「え、ここで?」
「大丈夫だ、ちゃんと見りゃ分かる。ありゃすげぇなまくらだ」
「へ? 切れないってこと?」
言われて急いでバッグを開けて、ハンカチに包んでいたナイフを取り出した。
鈍く光る金属のナイフは重く、取り落とさないように慎重に刃先を握ってザグルに渡した。
ところがザグルはそれを受け取ると、いきなり自分の人差し指をさっと擦った。
「いやっ、ちょっといくら切れないからって! ……あれ?」
「な、ぜんっぜん切れねぇだろ?」
指先が切れると思って目を覆いそうになったけれど、ぴょこぴょこと目の前で動かされた指には血も痕も付いていない。
動揺する私をよそに、ザグルは今度は部屋の真ん中に向けて左腕を突き出すと、ナイフの刃を当てて鋸を引くように前後に引いて見せた。
「なまくらっつうか、これ最初から研いでねぇやつだ。人間の国じゃ通行証だのお守りだので使われるもんだろ?」
「いや、そんなの現代日本には無いけど……切れないのは確かみたいだね」
辛うじて冷静に返事をしたのは正岡さんだった。
ナイフが前後する度に腕の表面が少し引っ込むほど力が入っても、ザグルの腕には傷一つできる様子がない。
試すなら紙でも使いなよ、などと突っ込める人もおらず、部屋の全員が暫く息を呑んで見守った。
「ただのレプリカよ。鋳金を習ってた友達が作ってくれたの」
沈黙を破るように結衣が立ち上がって、ザグルに手を差し出した。
ザグルは部屋を見回して全員が納得したと分かると、その手にそっとナイフを乗せた。
受け取った結衣はそれを両手で包むように、大切そうに握った。
「マリウスが護身用にってくれたナイフと同じ形でね。本物は刃がついてたんだけど、こっちの世界じゃ刃物は護身用に持ち歩けないから、って」
懐かしそうに目を細めて少し微笑むと、結衣は刃先にそっと指を添えた。
「気休めみたいなお守りだけど、彼がくれたのと同じ物があるみたいで心強かったの」
だろうな、と頷いたザグルはそのまま朋也の顔を見た。
「分かんだろ、ユイは他の男なんざどうでもいいんだよ。心配しなくても俺なんか眼中にないぜ」
「そんな……それじゃあ結衣が心に決めた人がいるって言ったのは、そのマリウスだったのか」
愛おしそうにナイフを見つめる結衣の表情に、その向こうに見ているのが紛れもない恋人なのだと、朋也も感じたようだった。
かつて朋也の告白を断った時、結衣はその想い人が誰かは言わなかったという。
言えるはずもなかったのだ。
恋人が2度と会えないと人だと分かれば、ろくに自分のことを知らないまま思いを寄せてくる人には、自分にもまだチャンスがあると思われるのが関の山だろう。
どれほど自分には大切な人であっても、簡単に口にしてしまえばそんな風に軽視されかねない。
だからこそ「単なる口実だろう」と誤解されるのも承知で黙っていたのだ。
「そういうこった。だいたい俺がなんであいつに惚れなきゃなんねぇんだ?」
体ごと首を傾げて訊ねるザグルの前で、朋也は少し顔を赤くした。
「そっ、そりゃだって、結衣はかなりの美人じゃないか! 君だって頭を撫でて慰めるくらいには親密だろう?」
「……ああ、そういやあんたらには美人に見えるんだったか? けど頭撫でるくらいは知り合いなら普通だろ」
「普通なもんか! 年上の女性の頭に手をやるだけでも恐れ多いのに!」
「あんた一体幾つのガキだよ?んなこったから振られてばっかなんだぜ」
「余計なお世話だ!」
またも不毛な言い合いが始まって、止めようと手を伸ばしかけると、その先で正岡さんが立ち上がった。
「ちょっとザグル君に質問してもいいですか?」
ザグルに、と言うよりは朋也の方を見て声を掛けた正岡さんは、そう言うとにっこり微笑んだ。
「あ、は、はい……」
穏やかなようで有無を言わせないその態度は、どうも朋也には苦手なものらしい。
たじろいだように椅子の上で身を引く彼を横目に見ると、正岡さんはザグルの方に向き直った。
「質問は4つです。まずはそうですね、雪江さんが泣いていたらザグル君はどうしますか?」
「そりゃ『どうしたんだ』ってまずは訊いてみるな。そっから先は理由による」
「では結衣が泣いていたらどうですか?」
「同じだろ?まずは理由を訊くし、乗れる相談なら乗ってやる」
正岡さんの問いに当然のように答えるその横顔を、朋也が注視しているのが目に入った。
けれどこの返事は聞かなくても容易に想像はできる。
ザグルは相手と仲が良くても悪くても、困っているなら助けようとするし、その性格ゆえにかつてエリスを救ったのだ。
「では次に、雪江さんが君の膝に座ったらどうしますか?」
「なっ、ななな何言い出すんだよ!?」
「嬉しいですか?」
「そりゃ嬉し……! いやあのな、嬉しいが場合によっちゃ困る、ってとこか? つぅかそんなことユキの前で訊くなよ!」
至って真面目な顔で問う正岡さんに、のけ反ったザグルは赤黒い顔を心なしか更に赤くした。
広げていた足をぴたっと閉じて背筋を伸ばし、チラチラとこっちを窺うその頭につい手が伸びてしまう。
よしよし、と額を撫でるとザグルはたちまち情けない顔になった。
そんな彼を朋也以外の全員が可愛らしいものを見る目で見ているけれど、当の本人は私の顔色を窺っていて気付いていない。
けほんと咳払いをしたのは教授だろうか、その音に彼は我に返ったように正岡さんの方を見た。
「ちょっと意地が悪い質問でしたね。では最後に、もし結衣が同じように膝に座ったらどうしますか?」
「んなもん、ケツ乗っけて来る前にはたき落とすな」
今度は何の迷いもなくスパッと言い切るザグルに、結衣の片眉が吊り上がった。
「ちょっとちょっと、雪江とずいぶん態度が違うじゃない?」
「あったりめぇだ。だいたいユイだって好き好んで俺の膝になんざ座りゃしねぇだろ」
腕を組んでふんぞり返る姿は、同じ質問であれほど動揺したとは思えないふてぶてしさだ。
正岡さんはくくっと笑いをこらえると、ザグルの方を手で示しながら朋也に向き直った。
「分かりましたか、多野君? 結衣とザグル君の関係はこういうものなんです。あの写真だけ見ればあなたと同じことを考える人は多いかも知れませんが、確認もせずに動くのはお2人にも雪江さんにも失礼ですよ」
「す……すみませんでした」
ひっ、と叱られた子供のように首をすくめる朋也は、さすがに反省したようだった。
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