大切なもの
第18話 研究室の集い(1)
久しぶりに訪れた春馬教授の部屋は、私が学生だった頃より少し雑然としていたけれど、雰囲気はそのままだった。
両サイドに並ぶ書棚と書類用のケースには、資料と書類の紙と埃の匂いがしていて、そういうところは他の研究室と変わりない。
けれどデスクは窓際に押しやられ、部屋の入り口から真ん中辺りまで長椅子がくの字型に置かれていて、その前にローテーブルがある。
教授の研究室と言うより学生の雑談場になっていて、電気ポットと飲み物が何種類か置いてあるのも記憶のままだ。
昔と一つ違うところは、入口のすぐ横に小さな棚があって、そこにペーパーバックの本が幾つか置かれていることだ。
背表紙を見るとどれも稀人に関するもので、コンビニで売られているような雑誌の類らしい。
棚の上に貼られた紙に「貸し出し不可、コピー可」とある。
折れて皺だらけの背表紙は、コピーのために何度も広げられた痕なのだろう。
長椅子の一番奥に結衣、次に正岡さん、そして引きずられてきた朋也が座り、片側は一杯になった。
くの字の手前の椅子にザグルと私が座り、春馬教授はデスクの椅子を引いて私の向かい側に腰を下ろした。
「まずは初めまして、ザグル君。
「あっ、ああ。ハルマ、でいいのか?マサオには世話になってんだ、これくらいならなんでもねぇよ」
頭を下げる春馬教授に、ザグルは面食らったように腰を浮かせた。
初対面の人にあまりいい顔をされない彼は、丁寧にお礼を言われるのにも慣れていない。
そもそも初めて来る場所なのに、全員が慣れた顔で座っているのが不思議な様子で、それを見て取った教授は軽く説明した。
教授の講義を受けていた結衣と私は言わずもがな。
朋也は学年が違うので直接の接点は無いものの、他の学生に連れられてここで話をしたことがあるという。
正岡さんは私より1歳下で、隣の大学に通っていた人だけれど、稀人に関心があって教授を訪ねて来ていたそうだ。
「そこの雑誌は正岡君が寄贈してくれたものなんですよ。最近はそういったものも出ませんからね」
と例の書棚を指さして、教授は複雑そうに微笑んだ。
「とりあえず、全員ここに来たことあるってことか」
「そういう事だね。一緒にお喋りしたことは無いんだけど」
「妙な気分だな、俺が混じっていいのかこれ?」
「あっそうだ、とりあえずお茶でも淹れるわ」
居心地の悪そうなザグルは、よく考えれば今回の件は労働力に駆り出されただけの立場だ。
雨のせいかひんやり寒い、初めて連れて来られる部屋の中、隣にはさっきまでナイフを持って暴れていた男、という異様なシチュエーションでくつろげと言われても困るだろう。
ひとまず落ち着いてもらおうと席を立つと、結衣も手伝いに来てそれぞの飲みたいものを用意した。
「それじゃ本題に入りましょうか。まずは結衣、多野君と何があったのか説明してください」
ぴくっ、と朋也が反応したものの、何も言わずに渡されたお茶を口に含んだ。
その顔をちらっと横目に見た後、結衣は口を開いた。
「雪江がこっちへ来ると聞いて、巻き込まないようにまずは移動して朋也と話をしようと思ったんです。それであの温室に行って」
温室に着いて用件を訊いた結衣に、朋也は開口一番「この町から出ていってくれ」と言ったという。
「それはできないわ。あたしはここでするべき仕事があるし、保護者だってここにいる。あんたがどうして戻ってきたのか知らないけど、あたしが嫌なら自分が出ていけばいい」
「結衣、あんたはとうに保護者の手なんか離れてるんだろう?仕事だってここ以外じゃ無い訳でもないはずだ。あんたがこの町にいるのは、雪江の側に居たいからだろ」
それは確かにその通りだ、と結衣は認めざるを得なかった。
結衣が保護機関の監視下にあったのは、実のところ大学卒業までだった。
その後に保護機関で働くことを決めたのは結衣自身だし、その仕事だけならこの町以外でも出来る。
そもそも同じ地域に、短期間で何人も稀人が現れることは滅多に無いと、多野夫妻の研究で示されていた。
他の稀人に会いたければ他の街に行った方が良いし、結婚するつもりもなく、保護者と同居もせず一人暮らしだ。
結衣がずっとこの町に留まっている理由を訊かれたら、確かに雪江がいるからという事になる。
「そこは認めるわ。けどそれとあんたの要求は別の話よね?雪江から私を引き離してどうしようってわけ?」
「別にどうもしない。ただ雪江の幸せを考えるなら、自分が邪魔になってることくらい分かるだろう?」
そう言って朋也が見せたのが、以前私に送ってきたあの写真だった。
「この様子を見れば、あんたとこの稀人がそういう仲なのは明白だ。でもこいつは雪江の恋人だぞ。一緒に住んでることも知ってんだろう?陰でこっそり会うってのがどういうことか、いくら人でなしのあんたでも分かるよな?」
「はぁ!?俺と結衣がどういう仲だって!?」
結衣の話をぶった切ったザグルは、隣の朋也を見下ろして腰を浮かせながら割り込んだ。
それをうるさそうに見た朋也は、負けじと目を細めてザグルを睨み返した。
「どうもこうもないだろう、わざわざ雪江の居ない時間を狙って内緒で会ったのは君も同罪だ」
「何ワケ分かんねぇこと言ってんだ、ありゃユキの事を相談してる時の写真だろ?」
「それだけなら何で結衣が落ち込んでて、君は何でこんなに優しく慰めてるんだ?」
「んなもん話の流れだ。あんたに説明するような義理はねぇよ」
「そっくりだな君たちは! さっき結衣とも同じようなやり取りをしたよ」
肩を怒らせて声を荒げた朋也は、その直後に蔑むような視線をザグルに向けた。
さっき、という事は温室でひと騒動が起きる前、結衣もやはり同じように言ったのだろう。
そしてこの朋也の視線を受けたのだ。
まるで話の通じない生き物、明らかな異物として自分を見る冷たい目。
しかもその大きな誤解を自明のものとして、自分を排除しようとしている人間の目だ。
ザグルの体越しに初めて目の当たりにしたその視線は、首筋に刃物を当てられるような恐ろしいものだった。
「少し落ち着きましょうか、2人とも。今は結衣が話しているところです」
穏やかな声で春馬教授がそう言うと、睨み合っていた2人はハッとしたように椅子に座り直した。
教授は自分のコップを掲げるように持って、飲み物を口にするように促し、全員が何となくそれに従った。
息が詰まりそうな空気で心臓がドキドキしていた私も、手元のココアを口に入れるとその甘さに少しホッとする。
「その後の会話はだいたい多野君の言った通りです。あの光景を見たら誰がどう見ても『そういう仲』だって多野君は譲らないし、あたしもザグル君との事をそんな風に勘違いされているのは不本意で」
結衣がどう思っていようと事実は変わらない、雪江から結衣が離れない限り、いつかは結衣が原因でまた雪江が一人になる。
それも「唯一の友達に裏切られる」という最悪の形でだ。
そう朋也は主張して「この町から出ていけ」と結衣の肩を掴んだ。
まるで理解のない、それどころか思い込みだけでそこまで言い出す彼に、結衣は恐怖を覚えた。
咄嗟にコートの裏ポケットにいつも入れている「お守り」に手をやると、それに気づいた朋也は逆上して結衣を突き飛ばした。
私が温室に近付いたところで聞いた、最初の大きな物音がこれだったらしい。
棚に当たって背中を打った結衣は、身を守ろうと「お守り」を引っ張り出して朋也に向けた。
それを見た朋也は近くにあった空の水槽を投げつけ、結衣が取り落とした「お守り」を拾い上げて外へ飛び出したのだ。
そこから先は私も見ていた通りである。
駆け付けた正岡さんを突き飛ばして逃げた朋也は、通路の出口に立っていた私に向かって走ってきた所を、隣の建物の陰に隠れていたザグルに取り押さえられたのだ。
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