分かり合えない思い(2)

 しかし肝心の目的だった結衣には、いくら話しかけても素っ気ない態度を取られるばかりで、僕は内心焦っていた。

 そしてバイトを始めて2か月が過ぎた頃、閉店前に現れた彼女は、作業しながらのんびり喋っていた僕と雪江に向かっていきなりこう言ったのだ。


「すっかり仲良しじゃん、妬けるわー」と。


 何て事だ、と思った。

 元は結衣と少しでも仲良くなりたいと始めたバイトだったのに、結衣の方はずっと雪江しか眼中になかったのだ。


「妬ける」と言うからには、その言葉がろくに口も利かない僕ではなく、雪江に向けられているのは明らかだ。

 目論見が外れるどころの話ではない。

 結衣が僕に素っ気なかったのは、雪江と過ごす時間を僕が横取りした形になったからだと、その時ハッとした。



 一刻も早く誤解を解こうと焦った僕は、翌日の講義をサボって町へと向かった。

 言葉では自分の気持ちをうまく伝えられないと分かっていた僕は、結衣に自分の好意を分かってもらえるように、何かプレゼントをしようと思ったのだ。

 と言っても結衣の好きな物など勿論知らない。

 半日うろうろした結果、「なんとなく雪江に似ている」という理由でテディベアを買った。


 急いで大学に戻ると、丁度食堂に向かって歩いてくる結衣が目に入り、僕は近くの温室へ呼んだ。


「僕は春野先輩が好きなんです。確かに一緒に働いてるんで狭間先輩とはよくお話しますけど、その、誤解して欲しくなくて」

 テディベアを差し出し、思い切ってそう告白すると、結衣は目を見開いてしばらく固まった。

 全く眼中に無かったのだろうから仕方ないが、その反応は結構ショックだった。


 そのうえ彼女は、

「ごめんね、あたしは誰とも付き合う気はないの。もしそういう意味で好きって言うなら、これは受け取れない」

と僕の手にテディベアを押し戻した。


 僕は一瞬、ひょっとして彼女が好きなのは雪江なのかと思った。

 しかしそう訊ねると「彼女は友達よ」と笑って否定され、もう心に決めた人がいるから誰の気持ちにも応えられない、と言われてしまった。


 そのきっぱりした態度に、僕はもう、本当に自分が立ち入る余地はないと感じて、頭をガツンと殴られたような気分になった。

 稀人と近しい存在になれば、両親はきっと僕を見てくれる。

 その希望を託してここまで来たのに、最初からそれは無駄だったのだ。

 こうなってしまっては、もうどうしていいのか分からない。


 立ち去る結衣に何も言えず、僕は重い足を引きずるようにバイトに向かった。



 内心落ち込んでいる僕を知ってか知らずか、雪江はいつものようにニコニコしながら結衣の話をしてくれた。

 僕が面白がって聞いていたからだろう、彼女は自分の事は殆ど話さず、いつも結衣の事ばかり話していた。


 この時ばかりはそれが辛くもあったが、昨日までと何も変わらないその温かい空気に、不思議と僕は慰められた。



 子供の頃に僕が両親の話をした時は、それからずっと周囲の目が憐れみと蔑みを含んだものになり、どこにも居場所がないような思いをしたものだ。

 なのに告白を断られた僕に向けられる、この優しい目は何だろう。

 勝手な思い込みでここまで来て、あっさり振られた僕を嘲笑う人はどこにもいなかった。


 押し寄せる客で戦場のようになった食堂を、小柄な体で駆け回る頼もしい先輩は、いつも通り僕を楽しませようとしてくれている。

 その温かさが急に胸の中で膨らんできて、僕はいてもたってもいられなくなった。


「僕と付き合ってください」

 仕事がが終わってすぐ、僕は結衣に渡せなかったテディベアを雪江に渡した。

 元々買うときに頭に浮かんだのは雪江の顔だ。それを彼女に渡すのはむしろ自然なことに思えた。


 突然の事に困惑した様子だった彼女は、けれど僕の正直な気持ちを話すと受け入れてくれた。

 恥ずかしそうにしながらも、両手にテディベアを抱いて帰る雪江を、僕は家の近くまで送って行った。


 この時僕は、初めて本気で誰かを好きになれそうな予感に浮かれていて、その後どうなるかなど全く予想していなかった。



 翌日の昼食を終えた後、僕は怖い顔をした結衣に呼び出されて詰問された。


「どういうつもりなの、多野君!?」

 昨日自分に告白したばかりで、しかもその時渡そうとしたテディベアを雪江に渡して交際を申し込むなんて、と結衣は顔を真っ赤にして怒っていた。


 けれど僕は、結衣にはきちんと自分の気持ちを話して、はっきり断られたのだ。

 結衣に対してまだ望みを抱いている訳では無いし、雪江に好意を持っているのも本当だ。


 結衣が想いを寄せているのが雪江だと言うなら、彼女が怒るのもまだ理解できる。

 しかしそうではない、単なる友達だと前日に本人から聞いたばかりだ。

 それなのにこうも感情的になる理由が、僕には理解できなかった。


「どうもこうも、狭間先輩に付き合ってほしいと頼んだだけです。春野先輩には関係ないじゃないですか」

 感情的になっている相手には、冷静になるようにきちんと言った方がいい。

 そう考えて言った言葉に、結衣から返って来たのは平手打ちだった。


「関係ないわけないでしょ!?ゆっきーのこと誤解されたくない、なんて言っといて!好きでもないのに何で付き合おうなんて言ったのよ!?」

 真っ赤になって怒鳴る結衣に、一体この人は何を言ってるんだろう、と僕はかなりむっとした。


 そもそも自分と雪江の仲をからかったのは彼女だ。

 それを否定したのはもちろん、結衣にそんな誤解をされていたくなかったからだ。


 けれど彼女には振られてしまったし、その後に僕が雪江に対して抱いた気持ちとは、もはや関係無いはずだ。

 雪江の事を「好きでもないのに」なんて完全に的外れだし、今はそんな仲でなくても、これからそうなっていきたいと思ったから交際を申し込んだのだ。


 そんなことを説明しろと言うのか。

 雪江と付き合うにはいちいち結衣の許可を求めろとでも言いたいのか。


 引っ叩かれた頬がジンジンするのも、僕の怒りに拍車をかけた。

「そんなことあなたにに言う義務はないですよ。狭間先輩のことはただの友達だって言ったんですから、口出す権利なんて無いはずです」

 きっぱりと断ると、結衣の表情はますます怒りに歪み、僕の両肩を強い力で押さえつけた。

「恋人じゃなきゃ心配する権利はないとでも言うわけ?ふざけないで!昨日の今日でこんな事になったら怒るの当たり前でしょう!?」


 ふざけるな、と言いたいのはこっちだ。


 両親に少しでも自分を見てもらいたくて、顧みて欲しいと願って、自分から両親を奪った稀人である彼女に会いに、僕はこんなところまで来たのだ。

 今までだって稀人の存在に、思うところがなかったわけではない。


 だが両親が大切にしようとする存在を恨むのは、結局両親を恨むのと変わらない。

 だからずっとその気持ちには見て見ぬ振りをしてきたのだ。


 しかしそんな僕に、結衣が向けたのは「友達を横取りする嫌な奴」という視線だけだ。

 話しかけてもろくに返事もしてくれず、その本心など知る由もないまま、僕は必死で告白した。

 それなのに結衣からの答えは、誰も好きにならないという無情なものだった。


 今まで話すチャンスすらくれなかったことを、一言詫びてくれたわけでもない。


 心配する権利ってなんだ、と思う。

 要するに雪江は好きだから独占したいし、僕は嫌いだから視界に入るなという話ではないか。


「だったら断らなきゃよかったじゃないですか!僕の気持ちはどうでもいいくせに、狭間先輩には気を使えとか、ただの自己中ですよ!」


 心が激しく軋む音が聞こえるようだった。

 掴まれた肩を振り払いながら、結衣への気持ちはどんどん冷めていく。


 どうしてこんな人に好かれたいなんて思ったのだろう。

 ただ故郷に帰れないというだけで、両親が僕を放り出して稀人に夢中になっていたように、僕もまた結局、稀人というただ異世界から来ただけの存在を、何か特別な者だと思い込んでいたのだ。


「とにかく、僕とは付き合えないと言ったのは春野先輩です。だからあなたにはもう関係ないことです」


 冷え冷えとした気持ちは、そのまま言葉になった。

 それに返ってきた結衣の言葉も、もう取り繕うこともなく冷え切っていた。


「よくもそんな事言えるわね……。ゆっきーをあんたなんかの慰めにしようなんて、あたしが許すと思うの?」

 一体こいつは何様のつもりなんだ、と吐き気がするような台詞だった。


「許すもなにも、オーケーしてくれたのは狭間先輩です。友達が決めたことに勝手な口を挟んでいるのは春野先輩の方ですよ」

 そこまで言って、ようやく結衣はハッとしたように口をつぐんだ。


 雪江と僕の事は2人で決めた事だ。

 僕が勝手に決めた事ではなく、そこには彼女が執着する雪江の意志がちゃんとある。

 ただそれだけのことにすら、その時まで思い至らなかったというのか。

 僕にとっても、雪江にとっても、結衣はきっとろくでもない存在でしかない。


「たかが稀人のくせに、これ以上僕の人生を振り回さないでくれますか?」

 最後にそう言って睨み返すと、結衣は真っ青な顔になってその場に立ち尽くしていた。

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