第17話 分かり合えない思い(1)

 僕は雪江と初めて会った時、くるくる動く人懐っこい小動物を連想した。


 新歓コンパの席で、隣に座った2年の先輩に食堂でバイトしたいと話したら、それなら同じ学部に食堂で働いている先輩がいるよ、と教えてもらった。それが雪江だった。

 優しい人で、他の先輩と違って面倒なことは言わないし、いつも忙しそうで学部棟にあまり居ないのに、ちゃんと後輩の顔を覚えていて、食堂に行くと声を掛けてくれる、という。


 そんな風に聞いたから、つい「しっかり者のお姉さん」というイメージを抱いていたのだが、実際に対面してみた彼女は真逆の印象だった。

 「先輩」と呼びかけるのに違和感すら覚えるような、小柄な体に黒い目が印象的な可愛らしい人だったのだ。


 そしてその隣には、正体を隠して一般人のように生活している、春野結衣という人外の稀人がいた。




 幼い頃の僕、多野朋也おおのともやにとって、稀人は憧れの存在だった。


 ほぼ都市伝説と言われる稀人の存在を信じ、各地を旅して歩く両親は、当時としてはかなり変人の部類だったと思う。

 だが両親は、稀人は必ず存在すると信じていたし、僕にもよくその話をしてくれた。


「私達は稀人に会ったことがあるんだよ。まるで絵の中から抜け出してきたような綺麗な女性でね。でも彼女は自分の故郷にはもう行けない、って寂しそうに話すんだ」

 外国人でもないし、廃村になった地方の出身などでもなく、ただどうしても故郷には戻れないと語るその女性が、ずっと忘れられなかったという。


 やがてそれが、時折人々の間で存在を囁かれる稀人だと気付いた時、2人の研究が始まったのだ。


 そんな話を寝物語に聞いて育ったから、その存在を証明して彼らの居場所を作りたいという両親の願いを、僕は素直に応援していた。

 本当にそんな人達がいるのなら、自分も会ってみたいという、何か特別な存在に憧れる気持ちもあったし、実を結ぶかどうかも分からない研究を、ずっと続ける両親の苦労が報われて欲しいとも思っていた。


 しかし無邪気にそう思えたのは、家にいない両親の代わりに祖父がいてくれた頃までだった。

 僕が8歳の時に祖父が倒れ、ほとんど自力で動くことも出来なくなると、両親は祖父をホームに預けた。


 小学生になっていた僕は、もう自分の事も家事もできるからと、鍵を渡されて一人残される生活になった。

 がらんとした家に毎日帰るようになって、僕は初めて両親が居ない寂しさを知った。


 なのにそう両親に伝えることは出来なかった。

 ゆっくり話す時間が無かったというのもあるが、その頃はまだ、両親のために我慢しなければと、どこかで自分を抑えていた。


 いくつの時だったか忘れたが、ある授業参観の日に、同級生に両親のことを聞かれた。

 両親どちらも来なかったのはクラスで僕だけで、その子はがっかりしている僕を気にして声を掛けてくれたらしい。

 僕は2人を悪く言うつもりはなかった。しかし何度も訊かれてつい、稀人の研究で両親はいつも家にいないと、今日も県外に出ていて来られないと話してしまった。


 その時は「ふうん、君んち大変なんだね」と言われただけだったが、それからしばらくして僕は、「両親が存在もしない稀人に夢中で、愛されずに放置される可哀想な子」と言われるようになった。



 あんな話を同級生にしてしまったのがいけなかったんだ、と気が付いた時には遅い。

 いつの間にかその話は広まり、僕がいくら否定しても理解してもらえなくなっていた。

 当の両親にさえうまく自分の気持ちを言えないのだ。他人に分かって貰えるように話すのはなお難しい。


 誤解を解こうと必死に話をしたが、

「そんな親でも朋也君は大好きなんだね」

と的外れな同情をされるばかりだった。

 更には噂が一人歩きして「親に見捨てられるようなどうしようもない子」という、ひどい尾鰭がついた話に変わっていった。


 相談したくても、できる相手は居なかった。

 両親に思い切って打ち明けても、人の噂など当てにならないもので、すぐに忘れられるから、と軽く流された。

 稀人の研究に夫婦揃って没頭しているせいで、嫌な噂を立てられる事など、両親にとっては日常茶飯事だったのだ。


 今思い出してみれば、確かに噂をネタに声を掛けられたのは半年ほどだった。

 しかし表立っては噂されなくても、腫れ物に触るような扱いは続いた。


 高校に進学して同級生のほとんどと別れるまで、僕にとって学校生活はひたすら苦痛だった。



 転機が訪れたのは高1の終わりだ。

 その年の3月、春休みに入る直前の頃に、誰の目にも稀人だと分かる人気ゲームのキャラクターが現れた。

 ユウイというその少女のお陰で、稀人の存在は公になり、一時はメディアでかなり騒がれ、両親もその稀人と保護した人に会いに行った。


 2人が求めていた「稀人は実在する」という証明が、とうとう現れたのだ。

 僕はようやく両親が認められ、家にも帰って来られるだろうと嬉しくなった。


 けれど帰宅した両親は、家に落ち着くどころか、その稀人の保護者だという人と話し合った末、保護機関を一緒に立ち上げると言い出した。

 やっと思うような活動ができる、と嬉しそうに話す2人の様子を見て、僕は目の前が真っ暗になった。


「子供を放置するようなひどい親」「親に愛されない可哀想な子」と言われることも確かに辛かったが、一番苦しかったのはその言葉そのものではなく、心の中でそれを否定しきれない自分が居る事だった。


 けれどその苦しみも、稀人が実在すると証明されればきっと終わる。

 ずっとそう信じて耐えていたのだ。

 これでやっと解放されると思っていた、その期待は粉々に砕けてしまった。


 一体どうすれば両親は僕を見てくれるんだろう?

 何をすれば稀人を探すのと同じ情熱で、僕を求めてくれるだろう?

 そう考えて思いついた方法は1つだった。

 稀人と近しい人間になる事。あるいは自分が稀人の保護者になること。

 両親が関わらずにはいられない稀人と、切っても切れない関係になることだ。


 思い立ったら情報集めは簡単だった。

 まだ稀人に関する情報が完全にシャットアウトされていなかった頃で、特にユウイの姿は写真や動画であちこちに出ていたし、両親に保護機関はどうなったのかと訊ねれば、ユウイの保護者が会長となって地方都市に拠点を置いたと教えてくれた。


 以前にも増して家に帰らなくなった両親には相談もせず、僕はその町の、ユウイが通っていると思しき大学に進学した。



 初めて対面したユウイは、本当に美しかった。

 透き通るような白い肌に、ほっそりとした長い手足、小さな頭に華奢な肩。

 写真で見た時とは違って短く切られた髪型は、邪なものを寄せ付けないようなきりりとした面差しに似合っていた。


 声を掛けようとして食堂で向かいの席に座ったものの、気後れした僕はろくに喋れず、彼女も不審そうにこちらを見るばかりだった。

 学年の違う彼女とどうやって話す機会を作ろうか、と考えた僕は、食堂のアルバイト募集に気が付いた。

 彼女がここで日常的に食事をするなら、カウンターに入って少しでも顔を覚えてもらえばいい。

 そんな理由でバイトを決め、僕は雪江と出会うことになった。



 最初に雪江に会いに行った時、その隣に結衣ユウイがいて、更に2人はとても仲の良い友人だと聞いた僕は、内心で小躍りした。

 雪江と仲良くなれば結衣の事も色々聞けるだろうし、好きな物や共通の話題でもあれば話しやすくなる。

 それにバイト中以外はいつも結衣と一緒にいるという雪江は、親しくなればそのまま結衣とも仲良くなる切っ掛けになると思った。


 だが雪江と親しく話をするようになって、割とすぐにその目論見は外れたと分かった。


 頼りなさげな見た目に反して、とてもしっかりした彼女はプライバシーに敏感だった。

 僕には結衣の話を、結衣には僕の話をそれぞれ聞かせているらしいのに、住んでいる場所、好きなものや場所、趣味、出身地など、他人に勝手に話して欲しくない事は一切口にしない。


 あるいは結衣に好意を持っているんだと話せば、それとなく教えてくれたのかも知れない。

 しかし雪江は、自分と親しいからと言って僕と結衣を一緒くたに考えることはしなかった。

 そのうえ彼女は、あれだけ有名になったはずのユウイを知らず、結衣が稀人だという事も知らない様子だった。


 ただ、だからと言って雪江を疎んだわけではもちろんない。


 仕事を丁寧に教えてくれて、楽しい話をしてくれて、大勢の客をてきぱき捌きながら僕のフォローもしてくれる、最初に聞いた通りの先輩は憧れの存在になった。

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