語られなかった舞台裏(3)
朋也が仕事に馴染んだ頃から、雪江は頻繁に彼から聞いた話を聞かせてくれるようになった。
それまでは講義とバイトを行ったり来たりの生活で、それ以外の話題はあまり出てこない彼女は、私と喋る時はいつも聞き役だった。
それが朋也というもう一人の話し相手を得て、彼には私の話を、私には彼の話をするのを楽しんでいたらしい。
「この前ね、すっごく風が強かったでしょ?あの時多野君のレポートが飛ばされて、2階の屋根に落ちちゃったんだって。それでね、近くのクスノキに登って取ろうとしてて教授に怒られたんだって」
「去年の秋にさ、ちっちゃい博物館が図書館の横にできたじゃない。多野君たちあそこに行ってみたらしいんだけど、中にこんなおっきなゴキブリの標本があったんだって。そんなのうちの食堂に出たら大騒ぎよね」
などと楽しそうに話す雪江の顔は、それまで一緒に過ごしてきた中でも見たことのない、活き活きとした顔だった。
そんな彼女の変化は嬉しい反面、少し歯痒くもあった。
雪江を笑顔させているのは、半分は朋也の力だ。
雪江は私を稀人とは知らず、他の人間と同じように、そして友人として接してくれる恩人のようなものだ。
だから彼女と一緒に過ごす時間は、なるべく楽しませてあげたいと思っていたし、自分ではそれが出来ていると思っていた。
それが私の思い込みだったと、朋也によって気付かされたのだ。
本当なら、彼女を笑顔にしてくれる朋也の存在は、喜ぶべき事だったのだと思う。
けれど私が感じたのは、自分一人では駄目だったのだという無力感と、朋也に対する小さな嫉妬だった。
そんな私の内心を知らない朋也は、雪江から聞いた話をネタに、私が一人の時に声を掛けてくるようになった。
もちろん彼に悪気は無いのだろう。
入学直後から私と関わりたがっていた彼にしてみれば、共通の友人が居る事も、聞かされる話題の数々も、私との関係を改善するいい切っ掛けだ。
でも私からしてみれば、何も知らない雪江の好意をダシにして、私に近付こうとする彼の態度が気に入らなかった。
そもそも彼は、私が稀人だから興味を持っている様子だったし、それが私にとって嬉しくないことだとは分からないようだった。
そんな気持ちが重なって、どうしても笑顔で応じられないは私は、朋也に素っ気ない態度を取り続けた。
雨が続く6月に入ったある日、サークルの資材を買いに出た私は、帰りに荷物を濡らさないよう運ぶのに一苦労して、食堂のオーダーストップ直前に駆け込むことになった。
人気のない時間に行くのは初めてのことで、食器を洗うザーッという音がカウンターの前まで聞こえてくるほど静かだった。
雪江と朋也はもう仕事が終わる直前のようで、カウンターで何やら楽しそうに話しながら片付けをしていた。
疲れていた私は雪江に構って欲しい気持ち半分、楽しそうな朋也への羨ましさ半分で声を掛けた。
「すっかり仲良しじゃん、妬けるわー」
待機している2人の顔を見比べながらそう言うと、雪江はおかしそうに笑った。
「はいはい、何食べたいの?」
と私がいつも注文するご飯のSサイズをよそい、残っているおかずを並べてくれる。
そんな雪江とは対照的に、朋也は揶揄ったのを真に受けたのか、顔を赤くして俯いた。
ちょっと言葉が過ぎたかな、と思ったけれど、私の軽口に慣れている雪江はさっぱり気にしていない様子だ。
てきぱきとメニューを揃えると、もう閉まる直前で誰も来ないからと、こっそりおかずを余分に盛って「お疲れ様」と手を振ってくれた。
雪江がこの調子なら朋也も冗談だと分かるだろう、と思った私はそのまま立ち去った。
けれど朋也にとってはそれが引き金だったのか。
翌日いつものように夕食を摂りに食堂へ向かっていると、中庭を通りかかったところで朋也に呼び止められた。
「あの……春野先輩、いいですか?」
なにやら大きな紙袋を握り、おずおずとそう声を掛けてきて、人気のない温室へと案内された。
何だろう、と思いながら付いていくと、彼は手にしていた紙袋からセロファンで包まれたテディベアを取り出して、私に差し出した。
「僕は春野先輩が好きなんです。確かに一緒に働いてるんで狭間先輩とはよくお話しますけど、その、誤解して欲しくなくて」
勢いよく差し出されたテディベアを、反射的に受け取りかけた私は、それを聞いて固まってしまった。
意外だった、と言えば確かに嘘になる。
彼は稀人だから私に興味があるのだ、と思っていたけれど、それだけにしては辛抱強く、私と仲良くなろうと努めている様子だった。
親しくしている雪江の友人だから、という理由にしても、そもそも滅多に会わないのだから気を遣う必要もない。
にも関わらず、何度も熱心に話し掛けて来たのは、私自身に興味があるのだろう、という程度には察していた。
けれど私が素っ気なくあしらうせいで、ろくに話をしたこともないし、私も正直なところ彼の事は何も知らない。
仲良く喋っていた雪江にならともかく、私に好意を持っているとは予想外だった。
「ごめんね、あたしは誰とも付き合う気はないの。もしそういう意味で好きって言うなら、これは受け取れない」
そう言って差し出されたテディベアを押し戻すと、朋也は複雑そうな顔になった。
「誰ともって……ずっと一人でいるってことですか?」
「うん、そうよ。あたしにはもう心に決めた人がいるから」
「それってもしかして、狭間先輩なんですか?」
「いやいや、どうしてそうなるのよ!全然別の人。ゆっきーのことは大好きだけど、彼女は友達よ」
思えばこの時、初めて他人に心の底からの正直な気持ちを話した気がする。
私にはこの世界に来てから大切に思うようになった人達が確かにいる。
それは私の保護者である仁史であり、一緒になって心配してくれた保護機関の人たちであり、この町に来てから仲良くなった友達や近所の人たちでもある。
なかでも雪江は私の救いだったし、とても大切な人なのは確かだ。
けれどそれでも、私は自分が生まれ育った世界と、大好きだった人たちを忘れることは出来なかった。
その愛しい記憶は、例えもう行けない場所、会えない人だとしても、思い出せば心安らぐものなのだ。
何より、最後に宝石になるまで私の名を叫び続けてくれたマリウス。
彼は私が去った後も約束を守ってくれている、と知った時から、私の心は完全に彼のものになった。
「私を好きになってくれてありがとう。でも応えてはあげられないから、ごめんね」
寂しくないわけじゃないし、好きだと言われて心が揺れないわけでもない。
それでもいい加減なことは言えなくて、きっぱり断って頭を下げた。
顔を伏せたせいで朋也の顔は見えなくなったけど、差し出したままの彼の手は少し震えていた。
「そうですか……」
ひどくがっかりした声が落ちて、顔を上げて見ると、朋也は泣きそうな顔で唇をぎゅっと閉じていた。
最初から分かっていたなら、早いうちに私の気持ちを伝えることもできたのに、よりによって私は雪江と仲良くしている彼に嫉妬していたのだ。
そんな事はもちろん口には出さなかったけれど、間が悪かったとしか言いようがない。
泣くのをこらえている朋也が、それ以上我慢しなくていいようにと、私は急いでその場を後にした。
ところがその翌日、私は目玉が飛び出るほど驚くことになる。
講義の合間の休憩時間に、恥ずかしそうに目を伏せながら話し始めた雪江は、昨夜のバイトが終わった後、朋也に告白されたと頬を染めていたのだ。
「こんなのもらったの。可愛いでしょ?」
とスマホで見せてくれた写真には、前日に私が受け取らなかったテディベアが写っていた。
それを目にした瞬間、カーッと頭に血が上った。
「どういうつもりなの、多野君!?」
その日の昼休憩に朋也を捕まえた私は、怒りのままに彼を詰問した。
「どうもこうも、狭間先輩に付き合ってほしいと頼んだだけです。春野先輩には関係ないじゃないですか」
しれっと嘯くその顔に、思わず平手が飛んだ。
自分で自分を抑えられないほどに腹が立っていた。
『誰かに好きだって言われたのは初めてなの。すごく嬉しかったなぁ』
幸せそうにふにゃりと笑った雪江に、朋也はその直前に私に告白してきたんだと、プレゼントも私に贈ろうとした物だと、そう伝えることはとても出来なかった。
ここでもし朋也が自分を騙したと知って、それが私への当てつけなんだと分かれば、彼女はどれだけ傷つくか。
受け取ったという事は、雪江も少なからず朋也に好意を持っていたのだろう。
ずっと仲良くしていたのは私も知っている。
そんな相手からの告白が嘘なのだと、そう伝える勇気は無かった。
「関係無いわけないでしょ!?ゆっきーのこと誤解されたくない、なんて言っといて!好きでもないのに何で付き合おうなんて言ったのよ!?」
「そんな事、あなたにに言う義務はないですよ。狭間先輩のことはただの友達だって言ったんですから、口出す権利なんて無いはずです」
片頬を赤くした朋也は、それでも淡々と反論してくる。
表面上は正論とも言えるその言葉に、私は奥歯を噛んで朋也の肩を掴んだ。
「恋人じゃなきゃ心配する権利はないとでも言うわけ?ふざけないで!昨日の今日でこんな事になったら怒るの当たり前でしょう!?」
「だったら断らなきゃよかったじゃないですか!僕の気持ちはどうでもいいくせに、狭間先輩には気を使えとか、ただの自己中ですよ!」
まるで駄々っ子のように滅茶苦茶な理屈を叫ぶと、朋也は身を捩り両手で私の手を払いのけた。
「とにかく、僕とは付き合えないと言ったのは春野先輩です。だからあなたにはもう関係ないことです」
「よくもそんな事言えるわね……。ゆっきーをあんたなんかの慰めにしようなんて、あたしが許すと思うの?」
思い切り睨みつけても、朋也はもはや顔色も変えない。
その両目に侮蔑の色が浮かんだのが見えて、不意に背筋がぞっとするような感覚を覚えた。
「許すもなにも、オーケーしてくれたのは狭間先輩です。友達が決めたことに勝手な口を挟んでいるのは春野先輩の方ですよ」
とうとう開き直った朋也に、私は開いた口が塞がらなかった。
けれど同時に、事情を知らない雪江から見ればそういう事になるんだ、とハッと気が付いて、咄嗟に何も言い返せなかった。
そんな私をどう思ったのか、朋也はくっと顎を上げて睨み返してくると、口元を歪めて吐き出すように言った。
「たかが稀人のくせに、これ以上僕の人生を振り回さないでくれますか?」
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