語られなかった舞台裏(2)

 風が強まってきたのか、近くの街路樹の枝がガサガサと鳴る音が大きくなってきた。

 カーテンを極力閉めて、表から中を窺えないようにしているけれど、そうするとこちらからも外の様子が分からない。

 買い物は昨夜のうちに済ませていたから、今日一日籠り続けるくらいは何でもないけれど、出て来るのを待ち構えている奴がいると思うと食欲も湧かなかった。


 そっとカーテンの端に隙間を作って外を窺ってみる。

 アパートの前の通りを隔てて、塀に囲まれた大学の敷地のその角、こちらからはやや死角になる場所に、若い男の人影が見えた。

 

 灰色の丈の長いダウンジャケットを着込み、つば付きのニット帽を被っていて、通りの方を向いた顔は見えない。

 けれどその姿を見たのはこれが初めてじゃないし、今朝からずっとそこに立っている事からも、それが誰なのかは分かっていた。


 多野朋也おおのともや。かつての雪江の恋人で、同じ大学の2歳下の後輩でもあった男だ。

 9年前にこの町にやって来て、4年前に故郷へ戻った筈の、見かけはどこにでも居る普通の青年だ。

 けれどこの町にいた5年の間に彼がしたことを、私は今でも許していない。


 それでも縁は切れたと思っていたが、去年の11月には再び舞い戻って来て、私の周辺に現れるようになった。

 雪江の目のないところで私に見せる彼の執着は、恐らく私が稀人だという事に起因している。


 10分前の仁史からの電話で、とうとう雪江にも朋也からのアクションがあった事、そしてそれを切っ掛けにして雪江が正岡の正体を見破った事を聞かされた。


「あいつやっぱり雪江に連絡してたの!?それに雪江もあたしには何も言わなかったのに……」


 そもそも雪江がそれ程の行動力を発揮するとは予想外で、私は何重にも驚いた。

 彼女は自分の苦しみを表に出さないと同時に、優しいけれど他人と深く関わるのをどこかで恐れていた。

 それなのにザグルが現れてからは、私や彼の事を知ろうと自分から踏み込んで来るようになった。


 そんな親友の変化に、もちろん気付いていなかった訳ではない。

 けれど、私の手を借りずに秘密を探ろうと、はったりまで掛けて正岡の正体を暴いたと言うのだから、もはやまるで別人のようだ。


「結衣、狭間さんにはもう本当のことを知らせた方がいいと思うよ。彼女が君に黙って動いたのは、これは自分の問題だと思ったからでしょう?」

「それは分かってるけど……。でも今この場には、雪江に来て欲しく無いのよ。元々雪江はあたしたちの問題に巻き込まれただけなんだもの」


 これ以上、優しい彼女に辛い思いなんてさせたくない。

 出来れば関係のない揉め事で悩まないで、早く幸せになってほしい。

 そう思っているのに、朋也はいつも雪江を巻き込んでいく。

 それもただ、彼女が私の近くに居るというだけの理由で。


 そうと分かっていても、私は雪江の側から離れられなかったし、彼女に累が及ぶ前に止めることも出来なかった。

 だから朋也も憎いけれど、それ以上に自分自身が恨めしくもある。



 朋也と私の最初の出会いは、大学3年の年度初めの頃、雪江がバイトしている食堂の中でだった。


「すみません、ここ失礼しますね」

 言うが早いか、目の前に食事の乗ったお盆が置かれた。

 大テーブルについていた私は、咄嗟にしまったと思ったものの、自分も食事を始めたばかりで立ち上がれなかった。


 そういう事は入学直後から頻繁にあった。

 自分で言うのもなんだけれど、私の外見はかなり目立つ方で、人間から見れば美人の女性に見えるらしい。

 長時間一人でいると、その気もないのに視線を集めてしまうし、いきなり声を掛けられることもある。


 食事中に近くの席に座る、というのも声を掛ける常套手段のようだった。

 少人数用の座席と違って、不特定多数の人と一緒になるのが前提の大テーブルは、「ここ座ってもいいですか?」と訊かれても断りにくいし、近くに座った相手が嫌だからと言って、途中で立ち上がるのもちょっと失礼な気がする。

 立ったままなら「他が空いてますよ」と断ることもできるけど、お盆を置かれてから断るのは「あっち行け」と言わんばかりで言いづらい。


 多分それを分かっていて、有無を言わさず座る彼に、警戒するなという方が無理だった。


 しれっとした顔の彼は、しばらく無言で食事をした後、

「あの、ここってバイトできるんですね?」

 と近くの広告板を指さして唐突に訊いてきた。

「書いてある通りですよ」

 と素っ気なく答えると、彼はそれ以上何も言わずに食事を済ませて立ち上がった。



 彼の名前が多野朋也で、自分の後輩だと知ったのは、その2日後にあった学部の新歓コンパの時だった。


 名前と自分の好きなもの、という程度の軽い自己紹介が続く席で、

「僕はこの町のとある施設で働きたいと思っています。そのために東京から来ました」

と発言し、周囲の視線を集めたのだ。


 その施設が具体的に何なのか、という質問には「内緒です」と言って答えなかったけれど、その時ちらっとこちらに視線を寄越したのが見えて、私はそういう事か、と気が付いた。


 その日はそれ以上の接触は無かったものの、彼は私が稀人だという事に気が付いてる。

 それで翌日には保護者である仁史に相談しに行った。


 私がこの町に移り住んだことは伏せられているし、顔を見てそれと気づく人はいても、その情報がそうそう出回るわけではない。

 ましてや保護機関の会長が住んでいるのがこの町だなんて、よほど関心がなければ知る由もないことだった。


 仁史は話を聞くと、すぐに「ああ!」と納得した顔になった。

「東京出身で多野というのなら、たぶん多野ご夫妻の息子さんじゃないかな。後で確認してみるけれど、あのお2人のお子さんなら稀人にも詳しいと思うよ」


 説明してくれたところによると多野夫妻というのは、仁史が私と出会う前から稀人について調べていた研究者でもあり、保護機関を立ち上げた際の最初のメンバーでもあるという。

 様々な情報媒体を集め、実際に足で探すため各地を転々とし、保護機関への情報提供がない稀人を見つけ出す重要な役割を受け持っているらしい。


「なら最初っからそう言って声掛けてくれればいいのに」

 無駄に警戒しちゃったじゃないの、と思ってぼやくと、

「いきなりそんな話をされたら結衣だって固くなっちゃうでしょう?もっと自然に仲良くなりたいんだろうし、彼だって緊張してるんじゃないかな」

と仁史に窘められて、それもそうかと頷いた。



 次に朋也と出会ったのは、雪江と一緒に講堂を移動していて、学部棟に入った時だった。

「狭間先輩、すみません」

 彼は雪江に声を掛けてきて、立ち止まった彼女に何か言いたそうに口を開いたものの、私と目が合うとさっと顔を伏せてしまった。


 どうやら、初対面の時にもコンパの時にも、私が意識して無視した事に気が付いていたらしい。

 好意的とは言えない私が側にいると、話がしにくい様子だった。

 仕方なく「先に行ってるわね」と雪江に声を掛けてその場から離れた。


 その後に聞いた話では、彼は雪江のバイト先が食堂だと聞いて、紹介を頼みたいと言ってきたそうだ。

 初対面の時にもそんな話をしてたっけ、と思い出して、あれは本当にバイト先を探してたのかと納得した。

 長く働いている雪江の紹介だったので、朋也はすんなり入れたらしく、それからは頻繁に食堂で顔を合わせるようになった。


 バイト仲間としてよくお喋りするようになった雪江からも、彼は真面目で仕事もできる人気者だと聞かされ、私は少し安心した。

 話題に困って捻り出しただけのバイトなら、そこまで身を入れて働くと思っていなかったけれど、暇さえあればバイトしている雪江が褒めるくらいなら、彼は本当に熱心に勤めてるんだろう、と思ったからだ。


 けれど今思えば、そこで安心してしまったのが間違いの始まりだった。

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