語られなかった舞台裏(4)

「朋也君のことは、保護機関の関係者の息子だから大丈夫だと思い込んでいた私の落ち度でした」

 静かに語る春馬教授の視線は、膝の上できつく握った両手に落とされている。


「自分の子を持ったことがない私には、子供を育てた経験がありませんでした。結衣のことは娘のように思っているつもりですが、親としては殆ど何もできていません。朋也君のことも、多野夫妻の仕事ぶりを見ていれば想像できたはずなのに、私は何も気付こうとしませんでした」


「そんな……でも結衣は、教授の事を『保護者』って呼んでますよ。結衣には親ってものがそもそもいないですし、それって一番信頼してる人って意味なんじゃないですか」

「そうですね、もしそうなら嬉しいです。でも私が親として未熟なのは変わりませんよ」


 寂しそうに少しだけ微笑むと、教授はその後の顛末を痛ましそうに話し始めた。




 怯えたような顔で帰宅した結衣の顔を見て、教授が理由を訊くと、

「朋也はたぶん稀人を憎んでるんだと思う」

と言って、その日はアパートに戻らず保護機関の仮眠室に泊まったという。


 慌てて多野夫妻に電話をかけると、例によって他県に出ていた2人はもう少し調査したいと言って、翌朝母親だけが本部にやって来た。

 その時点で教授は嫌な予感を覚えたものの、実際にやって来た母親の話は予想より更に酷いものだった。



 多野夫妻は殆ど息子の動向を把握しておらず、この町へ進学することも直前まで知らなかったらしい。

 稀人の存在がまだ明らかにされていなかった頃から、2人は調査のためにと度々家を空け、朋也はいつも一人暮らしの祖父の家に預けられていたという。


 幼い頃にはその祖父に可愛がられていたものの、彼が8歳の時に祖父が倒れ、寝たきりの状態になってしまった。

 それでも夫妻は当然のように出掛けて行き、朋也は実家に放置されるようにして過ごしていたそうだ。


「しっかりした子だから、家のことは何でもできたし、寂しいとも言わなかったんです。思春期になっても非行に走ることもなかったですし」

 困惑したように話す母親に、教授は2人に仕事を任せきっていた自分の責任だ、と頭を抱えた。


 親が自分を放り出してやっている仕事が稀人の保護だ、と朋也が理解していたのなら、いずれ稀人を恨むかも知れないとは容易に想像がつく。

 自分を構ってくれない親ではなく、その原因である稀人を責めることで安定を保っていた、その危うさに誰も気づかなかったのか。

 それほどまでに彼を顧みる余裕のない生活を、自分は多野夫妻に負担させていたのか、と。


 責められるべきは自分だ。ただこの世界にやって来ただけの結衣にはなんの非もない。


 ましてやその復讐心に巻き込まれただけの私は、本当に何の事情も知らず、朋也にとっても全く罪のない人だった。


 唯一の救いだったのは、復讐に利用された私に、朋也が本当に恋人として接し始めたことだったという。

 無関係の他人である雪江には恨みも無いからなのか、結衣が慕う友人と交際する振りを続ければ、彼女が傷つくと分かっていてのことなのか。


 朋也の内心は分からないままだったが、それ以上は何も起こることなく日々が過ぎた。

 やがて就職して帰郷した彼は、そのまま雪江と別れたのだ。




「ずっと狭間さんにはお詫びしなければと思っていたんです。でもそのためには本当の事を話さなければいけません。それだけはやめてほしい、と結衣に止められていたんです」

「そんな、それじゃ今まで結衣はずっと、自分を責めてたんですか」


 もしザグルが現れなければ、そしてあのメッセージがなければ、彼女はずっと黙っているつもりだったのだろうか。

 私が傷つくかも知れないからと、自分の胸に留めて。


 10年間、彼女は自身が稀人であることも隠し続けて来た。

 それは私のためと言うより、彼女自身のためだった。

 それでもそれを隠している事で、打ち明けられず苦しかったことは沢山あっただろう。

 その上私を守ろうとして、こんな大きな秘密まで抱えて、彼女は私の前で笑っていたのだ。


 一体私は何をしているんだ、と自分を殴りたくなった。

 結衣はいつも余裕のある人ではあったけれど、いざという時は私が支えになりたい、と思っていた。

 なのにこれでは、一方的に彼女に甘えていただけだ。



 落ち込んでいる暇も無く、教授の言葉は続いた。

「彼はおそらく稀人に恨みを持って動いています。このメッセージも、あなたを傷つけることで2人を孤立させるのが目的でしょう。彼の復讐がまだ終わっていないなら、2人と一緒にいる限り、あなたももう無関係という訳にはいきません」

 そう言って教授は、プリントアウトされた朋也のメッセージを私に示した。

 3年間何も言ってこなかった彼が、私がザグルと暮らしていると知って送ってきたそれは、確かに私達を仲違いさせる意図があるように思う。


 けれど春馬教授や結衣が考えている朋也の姿は、私の記憶の中の彼とは一つだけ大きく違っていた。


 朋也はあれきり何も連絡してこない。

 もし本気で私と2人を引き離すつもりなら、返事をしなくても何度も同じように送ってきただろう。

 なのにたった1度の連絡で、それきり何も言ってこなかったのだ。まるでメッセージの内容を、どう受け取っても構わない、とでも言うように。


 そして今の話が本当なら、彼は結衣やザグルに敵意はあっても、私を傷つけようとは思っていない。

 付き合っている間もずっと、彼は素っ気なくても優しかったのだ。

 発端が結衣への当てつけで、私への告白が嘘だったのだとしても、彼は確かに私を大切にしようとしていた。少なくとも、この町を離れるまでは。


 あのメッセージは確かにショックな内容だった。

 けれどそこには「お前の彼氏が浮気してるぞ」と私を嘲笑って傷つける意図は無かったように思う。

 むしろ「こんな奴とは縁を切った方がいい」という忠告か、文面の通り「この男は恋人じゃないのか」という確認のメッセージだったのだ、という気がする。


 少なくともかつては恋人だった私に、彼なりの思いやりから「これを見て冷静に判断しろ」と送ってきたのだと、私にはそう思えるのだ。

 自分の復讐のために、私を巻き込む事を望んではいない、と思う。



 それを話すべきなのか迷っていると、教授は姿勢を戻して真剣な顔になった。


「今日の昼過ぎに、結衣から連絡がありました。彼がアパートの部屋の近くにずっと立っていると」

 思わぬその一言に、私は反射的にソファから立ち上がっていた。

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