確かめたいこと(2)

 ザグルのバイト先のホームセンターに着いて、その裏の通りに立ったのは3時50分頃だった。

 もう少し早く来るべきだったかな、と思いつつも、寒風が吹き抜ける中で待つのはちょっと辛い。

 学生街に当たるこの辺りも、大学が冬休みのこの時期はどこか閑散としている。


 通りがかった従業員らしき女性に「どうしました?」と声を掛けられたので、同居人がもうすぐ帰る時間だから迎えに来たと言うと、裏口の中で待てばいいと通してくれた。


 それからほんの5分後に、長身の若い男性がこちらへ向かって歩いて来るのが見えた。

 肩にトートバッグを提げ、スマホを片手に歩くその人には、どこか見覚えがある。

 防寒着を着込んでいても分かる細い体は、ザグルを見慣れていると女性的に見えるくらいだ。

 薄く垂れた眉に丸いフォルムの眼鏡をかけ、とても柔和な顔立ちをしている。

 一言でいえば優しげなイケメンだ。


『いじめるなよ、あいつヒョロくて人のいい奴だからな』というザグルの言葉がふっと浮かんだ。

 時計を見るとまだ4時前だ。ザグルが出てくるのはもう5分以上後だろう。

 従業員の退勤時間はだいたい同じの筈だから、来る時は時間が疎らでも、帰る時は残業でもしない限り一緒の筈だ。

 となるとやっぱりこの人が私の探している人だろうか。


 人違いだったらどうしよう、と緊張で心臓がバクバクする。

 私はコートの袖の中でぎゅっと両手を握り締めた。



「すみません、マサオカさんですか?」

 目の前に来たところで声を掛けると、男性は初めてスマホから顔を上げた。

 私が戸口に立っていることに気付いていなかったのか、いきなり名前を呼ばれて驚いたのか、彼は顔を上げた瞬間に目を見開くと、持っていたスマホをポケットに押し込んだ。


「はい、私が正岡ですが……ええと、どちら様ですか?」

「あの、突然すみません。私は狭間と言います。ザグがいつもお世話になっていると聞いたんですが」

「ザグ、というとザグル君の同居人の?あっ、それじゃあなたが雪江さんですか!」

「そうです!よかった、ご存知でしたか」


 やっぱりこの人だ。


 心臓が一気に早鐘を打ち始めて、息が苦しくなってくる。

 落ち着け、まずは本当に予想が合っているか確かめなきゃ、と自分に言い聞かせて、私は口を開いた。


「最近のザグの様子はどうですか?彼、仕事のことは全然話さないので……。1度だけクレームで呼ばれたことがあるんですけど、あれからトラブルはありませんでしたか?」

「あはっ、あの時は大変でしたね。確かに彼は悪くないですから、運が悪かったとしか言いようがないです」

 正岡さんはそう言って、胸の前でぶんぶん手を振りながら笑った。


「それにあなたが来た途端、嘘みたいにお詫びし始めた、って店長が驚いてましたよ。彼に何を言ったんですか?」

「いえ、大したことは言ってないんです、全然!」



 私が呼び出されるに至ったのは、子供が店内を駆け回っていて、棚にぶつかったはずみで見本の家具が落ちた時の事だ。


 咄嗟に近くにいたザグルが受け止めて、幸い誰も怪我はせずに済んだけれど、彼は当然のように子供を𠮟った。

 それだけなら問題はなかったのだが、泣き出した子供を見た母親は、ザグルの態度だけではなく、そんな危険な商品の置き方をしていたのが悪い、と文句を言いやすい女性の店員さんにクレームをつけ始めたのだ。


 嫌な客だけどそういう事は割とあるし、実際に当たったら落ちたという事は置き方が悪かったのかも知れない。

 だからクレームをつけられた店員さんは素直に謝っていたのだが、そういう態度を取られる事に慣れていないザグルは、割って入って母親を怒鳴りつけてしまった。

 文字通り鬼のような形相で怒鳴り合う2人に店内は大騒ぎになり、常識が通じなくて話にならないと店長さんから電話が入ったのだ。


 駆け付けてみると、ザグルは「自分は悪くない、どう考えても客の方が悪い」と廊下で腕を組んでぶつぶつ言い続けていた。

 事情を大まかに聞いていた私は、ひとまず彼の気持ちが落ち着くまで待とう、と思って声を掛けに行った。


「遅くなってごめん、ザグは悪くないよ」

 背中に腕を差し入れて軽く撫でながらそう言うと、頑なだったザグルの表情が少しだけ緩んだ。

 それを見届けてから、お客さん達が待つ部屋に入った。


 母親は頑なに怒っていたし、子供はすっかり怯えた顔になっていて、私は「保護者ならちゃんと謝らせろ」と怒鳴られた。

 むっとしない訳では無かったけれど、ザグルに助けられたという子供の方は反省している様子だったし、その場の全員が疲れ切った顔していたので、私はひたすら低姿勢に謝り続けた。

 すると突然ザグルが硬い表情で入ってきて、驚くお客さんと店長さんの前で、床に両手をついて頭を下げたのだ。


 母親と店長さんは揃って呆気にとられた顔になり、子供は「僕が悪かったんだよ」とザグルに謝りだして、ようやくその場が収まった。



「なるほど、そういうことですか!彼も意地になっていただけだったんですね」

「あそこまでしたのは予想外でしたけど……。彼は真面目ですから、それを認めれば落ち着いてくれると思ったんです」


 素直に感心したように頷きながら、正岡さんは肩越しに廊下の方を振り向いた。

 同じ勤務時間の従業員が出てくる時間になったようで、裏口に近づいてくる人の声がし始めている。

 そのまま戸口で話し込んでいたら邪魔になりそうなので、私達は外に出て裏口の横に移動した。


「でもちょっと恥ずかしいです、私の事まで知られてるなんて」

「ああいえ、雪江さんの話が広まったわけじゃありませんよ。ザグル君はあなたに恥をかかせた、って随分気にしていましたから、皆にもその話はしないように頼んだので」

「そうだったんですか、お気遣いありがとうございます」

「いえいえ。こういう性分ですから、何か仲間内で困ってる時は自分が動くようにしているんです」


 頭を下げてお礼を言うと、正岡さんははにかんだように笑った。

 実際そういう立ち位置なのだろう、裏口に立っている彼に気付いた従業員は、皆にこやかに彼に声を掛けて帰っていく。


 けれどやがて出ていく人の姿が消えても、ザグルが現れる様子はない。

 本当は彼が来てから話をしようと思っていたけれど、このまま大した話もなければ正岡さんも帰ってしまうだろう。


 運良くと言うべきか、もう他の誰かに聞かれる心配もないので、私は本題に入ることにした。


「あの実は、ちょっと正岡さんにお聞きしたいことがあったんです。ザグとよく話してるなら、もしかしたらと思って」

「あっはい、どうしました?」

「ちょっと待ってください……。あの、この写真の人なんですけど、見かけたことはないですか?」


 私はスマホを取り出して、学生時代に撮った朋也の写真を開いた。

 もう8年は前のものだけれど、彼とはろくに写真を撮らなかったので、一番新しいものがそれなのだ。


 こんな古い写真じゃ分からないかも、と思いながら正岡さんに差し出すと、意外なことに彼はサッと真顔になった。


「最近……どこかで見たような気がしますね。その方と何かあったんですか?」

「それじゃやっぱり、ザグの周りで見かけたってことですか?この人、私の昔の知り合いなんです」

「えっと、すみません、どういう事でしょう?私は雪江さんの事はザグル君から聞いた話でしか知らないんですが」

 困惑した顔になった正岡さんは、おろおろとスマホと私の顔を見比べた。


 そりゃそうだ、いきなりこんな事を言われたら普通は混乱するよね、と思いながらも、その言葉が私にとっては大事なポイントだった。

 スマホを下ろして、彼の目を真正面から見据える。


「正岡さん」

「はい?」


 背筋を伸ばした私に同調するように、屈んでスマホを覗いていた彼も体を起こした。

 私は人差し指を自分の顔に向け、聞き違えられないようにしっかりと声を出す。


「ザグは私の名前を雪江と呼ばないんです。もちろん外でも。あなたの事もマサオって呼ぶんですよ」

「あっ、え、えっと?」

 目に見えて動揺した彼に、もう1つ追い打ちをかける。


「私がお店に呼ばれたのは1回きりですし、その時は狭間としか名乗ってないんです。ですから正岡さんが知ってる私の名前は『狭間』か『ユキ』のはずなんです」

「えっ、いやその……、ああっ!」


 しまった、という顔を咄嗟に隠せなかったらしい彼は、誤魔化しきれないと悟ったのか頭を押さえて天を仰いだ。



 最初に挨拶をした時から、正岡さんは私を「雪江さん」と呼んでいる。

 もちろん私は自己紹介したことはないし、ザグルも昨夜言っていた通り「ユキ」としか呼んでいないはずだ。


 例の呼び出しの時に顔を見かけたことはあるだろうけれど、彼の口振りではその時のことを詳しく知ってはいないようだった。

 現に今も、私の話はザグルからしか聞いていない、と言ったのだ。


 それが本当ならなぜ彼は、私の名前を「雪江」と呼んだのか、という話だ。


「くっそ、マジでやらかした!あーもう嘘だろ……」

 どうやら人の好さそうな雰囲気は意識して作っているのか、これが正岡さんの素の顔らしい。

 さっきまでは落ち着いた大人の男性、という雰囲気だったのに、一気にザグルと同じ年ごろの青年の顔が覗いた。


「あなたが稀人の保護機関の方なんですね」

「すみません、ほんと勘弁してください……」

 確認すると、その場にへなへなとしゃがみ込んだ彼はスマホをポケットから取り出した。

 すぐさま電話をかけようとしているので、まだ聞きたいことがあると言おうとすると、彼は顔の前で手を振った。


「あの、これ以上はちょっと私の口から話していいのか分からないんで、本部に相談します」


「ってぇことはマジなのか、マサオ?」

 裏口の戸が勢いよく開いて、いきなり掛けられたその言葉に、正岡さんは文字通り飛び上がった。

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