第14話 保護機関へ
稀人の保護機関と聞いて想像していた建物と、そこはずいぶん印象が違っていた。
1階に不動産屋があり、2階に事務所、それより上3階分が住宅になっている。
一言で言えば雑居ビルだ。
私は正岡さんから渡された地図をもう一度確かめてから、建物の横の階段を上がっていく。
人気のないビルの階段に、トントン、トントン、と自分の足音が響くのがうら寂しい。
不意にどっと強い風が吹いて、踊り場に吹き残された枯れ葉をカラカラと鳴らした。
思わず後ろを振り返ってみたけれど、そこには誰もいない。
本当にこの場所で合っているんだろうか、と心配になるような雰囲気のビルだ。
これから会う保護機関の会長とはどんな人なのか、会えば分かると正岡さんには言われたけれど、正直なところ心当たりがなかった。
私と正岡さんのやり取りに、ドアの向こうで聞き耳を立てていたらしいザグルは、正岡さんが「本部に連絡します」と言った途端に飛び出してきた。
飛び掛かっていくのかと思うような勢いで、私は咄嗟に止めに入ろうと足を踏み出したけれど、ザグルは正岡さんのすぐ前まで来るとぴたりと立ち止まった。
「本当なのかよ、マサオ?」
驚いて身構えていた正岡さんに対して、そう訊ねる声は切羽詰まっている。
彼は目線を合わせるように腰を落とすと、真剣な顔で正岡さんの前に立った。
「ごめん、このことを伝えるつもりはなかったんだ。私は監視の仕事のためでもあったけど、君と仲良くしたかったんだよ」
答える正岡さんも、真っすぐにザグルの目を見つめていた。
同時にすっと目を細めるその顔は、少し寂しげに陰る。
「だったら、だったらよ……」
言いかけたザグルはその顔を見て、何も言えなくなったのか腕を組んで黙り込んだ。
正岡さんにはきっと、ザグルの行動をただ見守るだけでなく、友人として思う気持ちもあったのだ。
けれどそれも、最初に監視という立場に置かれたからこそ生まれた関係なんだろう。
保護機関に所属しているなら、ザグルに対して何の先入観もなく出会った、なんてことは無い筈だ。
何を思って監視を引き受けたのか、それは周囲の反応を見れば予想できる。
私は結衣との間にあった出来事を思い返していた。
もし結衣が稀人だと最初から知っていたら、今も友人でいるかどうか分からない。
そして彼女は、自分が何者かを告げることで、私との関係が変わってしまうと恐れていた。
私自身、ザグルと出会う前だったら、彼女をどう思ったか分からない。
彼女の気持ちとは裏腹に、全く違う誰かを見る目になっていたかも知れない。
それが分かっていたから、結衣は何も言わないままだったのだ。
ザグルと正岡さんの間では、どんなやり取りがあったのか全く知らない。
けれど正岡さんが、ザグルと私との関係を好意的に見守ってくれているのは感じていた。
クリスマスのこと、正月の帰省のこと、バレンタインの贈り物こと。
それらを教えてくれたのは、彼をこの世界の習慣に馴染ませるだけでなく、私との生活がうまくいくように、という願いがあるように思えた。
「あんたは俺の友達か?」
ようやく口を開いたザグルは、ただ一言そう訊ねた。
その言葉に正岡さんの瞳が揺らいで、みるみる苦しそうな顔になる。
それを見せまいと思ったのか、彼は下を向くと胸の前で両手を握った。
「……そうだね、私は友達として話しているつもりだった。ずっと見張ってるのも本当なのに、君と話すと楽しくてさ。話を聞いてると時々心配になるし」
自分の両手に視線を落としたまま、ぽつぽつと呟くようにそう話すと、彼はザグルの顔を見て頭を下げた。
「申し訳なかった」
「そうか……。ならいい」
こくんと頷いたザグルは、ハァと軽く息を吐くと、正岡さんの頭に手を乗せた。
一瞬びくりと体を強張らせた彼の頭を、ザグルはポンポンと優しく叩いた。
私に対して「安心しろ」といういつものサインだ。
その仕草に、戸惑ったように顔を上げた正岡さんと目が合うと、ザグルは後ろ頭をコリコリと掻いた。
「マサオの役割が見張りだとしてもだ、俺が誰かに手ぇ出すとかそういう事だけじゃなくて、俺自身も心配してくれたんだろ?それが嘘じゃねぇならいい」
あんたにも立場があんだろ、と正岡さんの顔を覗き込んで、ザグルはニッと笑った。
「俺もマサオは友達だと思ってんだ。お互いそう思ってんなら、どんな奴だって友達でいいんだよ」
その言葉に、正岡さんは泣きそうな目をしたまま破顔した。
「うん、うん、ありがとう」
と何度も頷く彼の頭を、ザグルは落ち着くまでポンポンし続けた。
やがて気を取り直して本部へ電話をかけるという正岡さんに、私は「これを見てもらえますか?」と朋也からのメッセージを見せた。
途端に彼は目を丸くして「うっわ」と顔をしかめた。
「これはひどいですね……本部にこれも伝えます。あ、そうだ、この画面のスクショを僕のスマホに送ってもらえますか?」
「分かりました。よろしくお願いします」
言われた通りスクショを撮って、正岡さんのスマホに送る。
受信して画像を確かめた正岡さんは、一旦私たちの側から離れ、会話が聞こえない場所まで電話をかけに行った。
そのまましばらく待っていると、彼は緊張した顔になって駆け戻ってきた。
「何かあったんですか?」
心なしか青い顔をしているので声を掛けると、彼は「いえ、大丈夫です」と首を横に振った。
「理由は後で説明します。本部に連絡したら会長が雪江さんと直接話をしたいということでした。ただお2人で話したいそうで、ザグル君にはちょっと私の用事を手伝ってほしいんですが」
何か火急の事態なのか、今すぐにも動き出したそうに足踏みする様子に、私とザグルは顔を見合わせた。
話をしてくれるというなら聞きに行く方がいいし、あちらが私だけにと言うなら、無理にザグルも一緒にとは言えない。
それに正岡さん1人では手に余る何かが起きているなら、丁度手が空くザグルが一緒に行けば話が早いのだろう。
多分同じようなことを考えて、私達は軽く頷き合った。
「よく分からんが急いでんだな?なら俺はいいぞ」
「私も構いません、会長さんというのは、結衣の保護者なんですよね?」
「そうです。詳しいことは会長から話すそうなので、この地図の場所に行ってください」
返事を聞くや否や、正岡さんは地図のついた名刺をくれると、挨拶もそこそこに踵を返した。
ザグルも慌ててそれを追い、大学の方向へ向かっていった。
保護機関の本部が置かれているビルの2階は、外観に反してむしろポップな印象だった。
壁は淡いクリーム色にランダムな水玉模様が散らばり、受付は学校の図書館を連想するような明るい色の木のカウンターだ。
声を掛けると「狭間さんですね、お待ちしてました!」と言われ、応接室のようなソファとテーブルの並ぶ部屋に通された。
その応接室の壁紙もソファもパステルカラーで、木目の床にはオフホワイトのふわふわしたラグが敷かれている。
壁際の棚に並んでいる食器も日常使いのようなものばかりで、ティーセットの代わりにカラフルなマグが見えた。
暖房もほどよく効いていて、事務所と言うよりはどこかの家のリビングにお邪魔したような気分だった。
「ふふっ、会長の趣味なんですこれ。びっくりしました?」
案内してくれた女性は無邪気な人なのか、私の反応を見て悪戯っぽく笑った。
「よかったらどうぞ。今日は冷えますよね」
「あっ、ありがとうございます」
淹れてくれたお茶を受け取ると、指先がジーンと痛くなって今更のように体が冷えていたのを感じた。
今日の気温はさほど低くないらしいけれど、昼から風が吹いていて寒かったのだ。
頭の中でずっと考え事がぐるぐる回っていたせいで、冷えには無頓着になっていたらしい。
素直にお茶に口をつけていると、正面に座った女性から熱い視線を感じた。
何か変なことをしているだろうか、と思って顔を上げると、彼女はどういう訳か照れたように笑った。
「あの……何か?」
「あっいえ、すみません!実は狭間さんは私たちの間では有名人なんですよ、お会いできて光栄です」
頬を染めてそんな事を言う彼女は、まるでアイドルにでも会ったかのような顔だ。
けれどこっちは全く身に覚えがない。
保護対象の稀人そのものなら分かるけれど、その同居人がそんなに好かれるものなんだろうか。
「ど、どうも」
どう対応していいか分からず困っていると、コンコンとノックの音がした。
すると女性は「はい!」と返事をして、すっと立ち上がるとドアに向かった。
「会長です、では失礼しますね」
そう言って彼女が軽くお辞儀して出ていくのを見て、内心ちょっとほっとする。
悪意は無さそうでも、理由の分からない視線に晒されるのは落ち着かない。
ザグルや結衣が人から浴びる視線ってこんな感じなのかな、と思いながらその背中を見送ると、入れ替わるようにして中年の男性が入ってきて、私に軽く会釈した。
「お久しぶりですね、狭間さん。覚えているかな?」
「えっ……あれ?春馬教授?」
結衣の保護者であり、彼女のために稀人の保護機関を作ったというその会長は、10年前に見知った顔と声だった。
にこっと温和な目元を緩ませて微笑んだ男性は、私のいた学部の教授の1人である。
2年の時に臨時の講師としてやってきて、卒業するまで何かとお世話になった人だ。
そして春馬教授は、私が結衣と会った時に講堂にいて、騒ぐ学生を止めに入ってくれたあの教授でもあった。
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