雪の日(2)

「狭間さん、体調悪いの?今日は手が止まってるみたいだけど」

 背後から不意に掛けられた声に、私はハッと現実へ引き戻された。

「えっ、あっ、すみません!少し寝不足で」


 普段なら仕事中に他の事に気を取られたりしないのに、うっかり窓の外を向いたまま考えに耽ってしまっていた。

 慌てて振り返ると、隣のデスクの氷室先輩が心配そうな顔で私を見ていた。


「もう休憩時間よ。甘いものでも口に入れて切り替えたらいいわ」

 そう言って熱いココアの缶を渡された。

 私が時々飲んでいるのを知っていたのか、ちょうど今欲しいと思っていた物で、受け取って少しほっとする。


 会社内ではほとんど事務的なことしか喋らない私に、先輩はこうして頻繁に声を掛けてくれるのだ。

 私とそう変わらない歳の小柄な女性だけれど、さっぱりとして明るく、こうしていつも周りの面倒を見る人でもあって、男女問わず好かれている。


「ありがとうございます」

「無理はしちゃだめよ。今日はこの寒さだし、体動かないもんね」

 言いながら窓の外に視線を移すと、先輩はその場でカシュッと缶コーヒーの蓋を空けた。

 つられて私も貰ったココアの蓋を開け、両手で包むように握って手を温める。


「何か心配事でもできた?」

「えっ、あ、え?」

 不意の問いかけに、私は頭の中を見透かされたようでドキッとした。

 そんな私の反応を見て、先輩はくすっと笑うと、細い指でデスクの上を指さした。


「スマホ。狭間さんは仕事中いつも鞄に入れてたでしょ?一昨日から机に出しっぱなしだから」

「あっ、うそ!?私そんな、使ってたわけじゃなくて」

「うん、触ってないのは見てたから。ただ何か気になってて集中できないのかなってね」


 ここ数か月は元気そうだったのに、一昨日から急に元気がなくなったし、と言われて私はかーっと顔が火照ってしまう。


「すみません、気を散らしてしまうなんて……」

「そりゃ仕事には集中した方がいいけどね。でも狭間さんがそんなになるなんてよっぽどの事でしょ?もし話せることなら相談してみない?」

 私の顔を覗き込んできた先輩は、ココア缶に自分のコーヒー缶をコンと軽く当てた。それから背中を反らして一気に飲み干すと、にこっと笑って私の前に缶を掲げて見せる。


「ありがとうございます。あの、今はまだ色々分からないことが多くて、心配って言っても何が心配かもよく分からなくて」

「それ全部でもいいわよ?」

「いえ、相談するならもう少し整理してからにしたいです。まだ確かめないといけない事もありますし」

「そっか。頑張ってね」


 本当のところは、少しでいいからこの先輩に相談したい、という気持ちが強かった。

 明るくて誰とでも良く喋る人ではあるけれど、先輩は誤解を招くような噂を立てない人でもある。相談相手としては信用できる人だ。

 けれどまだ分からないことが多すぎて、本当にどこから話していいのかも分からない。


「あの、お昼食べてきますね」

「うん、行ってらっしゃい。腹が減っては何とやら、よね」

 鞄から弁当を出して立ち上がると、先輩はひらっと手を振ってデスクに戻った。

 私には休憩するように言ったけれど、自分はもう少し作業するつもりらしい。



 休憩室に着いてから、私はふーっと大きく息を吐いた。

 一昨日から、という先輩の指摘は正確だ。

 それほど自分が動揺しているとは思っていなかった。


 弁当と一緒に持って来たスマホを開いて、ラインを覗いてみる。

 新着のメッセージは特にない。一昨日から何も追加の連絡は来ていない。


 一昨日の昼、いつものように昼食をとりに休憩室に来た時、そこに3年ぶりにメッセージが入っていた。

 しかも朋也からのメッセージだ。

 ドキッとすると同時に、今更何を言うつもりだろう、と訝りながら開いた。


 そうしてメッセージが目に飛び込んできた瞬間、急に耳が詰まったように周囲の音が遠ざかっていき、私は軽い眩暈を覚えた。


「この男、雪江の彼氏じゃないの?」

「駅前のファーストフード店で見かけた。結衣さんの頭撫でてて親しそうだったよ」


 その下に添付された写真には、初めて見るスカート姿でお洒落をした結衣と、向かい合って座り、結衣の頭に手をやっているザグルの姿が写っていた。

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