私と結衣と、そしてザグル(5)

 ゆず茶で体が温まって人心地が付いたのか、結衣はふうっと大きく息を吐いた。

 それから両手で握っていたカップを置くと、コタツの中に手を引っ込めて私と目を合わせる。


 本題に入るんだ、と気づいた私は同じようにカップを置いて、温まった指先をそっと机の上で重ねた。

「今日の買い物はさ、あたしが登場してたゲームと、それに関連するものがないか探してたのよ」

「え、あっ!そういう事だったの!?先に言ってくれれば一緒に探したのに」

「だってゆっきー、その作品のこと全然知らないでしょ?知ってたらあたしの正体も気が付いてたはずだし」

「あ、あー……、申し訳ない……」


 返す言葉が無かった。

 結衣が登場する作品がファンタジーだとしたら、ほぼ100パーセント知らないだろうし、仮に参考になる画像を見せて貰ったとしても、私では他の作品と区別がつかないだろう。


 結衣と知り合ってから、彼女の部屋でそれらを目にすることはあっても、苦手意識の方が先に立って、まともに読んだのは必要に駆られて読んだ「イズワス・エピック」が初めてだ。

 その「イズワス・エピック」ですら、キャラクターのイラストだけでは他作品と区別がつかない。


 ザグルがエリスに気付いて足を止めなければ、今日最初に行ったお店でもグッズがある事すら知らずに帰ったはずだ。


「でももう、本当になんにもなかったわ。びっくりするくらい見つからなかったの」


 結衣は媒体を問わず色々な作品を集めているけれど、自分の出てくるゲームに関わる物だけは、一切手元に置いていないらしい。

 ネットで探せばまだあるのかも知れないけれど、今現在どれくらい人の目に入るのか、それを知りたくて店を回ったのだと言う。


「それで今日、あんなに溜息ついてたの?」

「分かんないわ。もう街を歩いても誰も気づかないんだって、実はすごくホッとしてたのよ。でもすっかり忘れられてるんだなって思ったら、それはそれで虚しくてさ」


 結衣が稀人として現世に現れた当時、彼女が登場していたゲームはかなりの人気作品だったという。

 「ディアマンテ」というそのゲームは1つのタイトルでソフトが2つあり、同じ世界と時系列で別々のシナリオが進行していくというものだった。

 人間の国の王都から始まるAサイド、未開の森の奥から始まるBサイドに分かれていて、主人公ヒーローのマリウスがAサイド、女主人公ヒロインのユウイがBサイド、結衣はそのユウイなのだと言う。


 かいつまんで説明してくれた話によると、「ディアマンテ」のストーリーは互いに対立しあう勢力の、それぞれの側面が描かれていくものだという。


 未開の土地を開拓していく王国の人々と、森の奥深く大樹の元で、自然の恩恵に与りながら暮らす森の民。

 彼らは長い間広い森によって分かたれていたが、とうとうそこにまで開拓の手は伸びていく。


 王国の民でありながら森近くの辺鄙な土地に暮らしていたマリウスは、病で幼い妹を失い、もっと食料や薬が手に入りやすく、物資の行き来も盛んになることを望む。

 一方森の奥深くで暮らすユウイは、自身が何者なのかも知らないまま森の民に育てられ、慎ましく自然に感謝する生活を大切にしていた。


 しかしその世界では、2人が幼いころにはなかったはずの様々な異変が起きるようになっていた。

 狂暴化した生物が人間を襲い食料を食い荒らし、植物は枯れ、疫病が蔓延し、余裕をなくした人々の間で揉め事が増えていく。

 王国では異変の原因は森の民の呪いと言われていたが、森の民は王国の行き過ぎた開拓が原因だろうと探っていた。共に異変を止めるために旅立った2人は道中で出会い、互いの考えを知るようになる。


 最終的にマリウスとユウイは、それぞれを尊重し合う道を考えようとするが、王の目的はもとより開拓ではなく、森の民が守る大樹に隠された、強大な魔力を持つと言われる宝石を手に入れることにあった。

 王が差し向けた兵によって森の民は追い立てられ、大樹は切り倒されて宝石を奪われてしまう。


 しかしその宝石は、かつて世界中に広がった災厄を封じたもので、動かすと同時に封印が解けてしまった。

 溢れだした災厄を止めるため、2人は宝石を取り戻して再び封印しようとしたものの、既に力をなくしていた宝石は砕けてしまう。


 その時切り倒された大樹の記憶から、自分が何者なのかを知ったユウイは、その身を宝石に変えて災厄を封じ、仮初めの命を終えた。

 ユウイの正体は、森を守り人間を止めるために生まれた、森の意志と力そのものであったのだ。

 マリウスはユウイを弔い、王となって彼女と共に考えた道を進んでいくことで遺志を継ぐ。



「ユウイのイメージってさ、なんか綺麗で儚くて最後は身を捧げて世界を救う聖女、とかそういう感じなんだよね」

 説明し終えてから、結衣は少し目を細めて視線を落とした。


「うん、まぁ……今の話だけ聞いちゃうとそうだね。実際人間じゃないけど、何て言うか、生身の人間じゃないみたいな」

「そうなのよ。しかもあたしの顔を知ってる人はみんなその話も知ってるし」


 「ディアマンテ」が売られていた当時は、テレビコマーシャルも頻繁で関連グッズもあちこちで作られて、中でも印象の強かった彼女は、稀人として現れたことで更にそのキャラクター像も広まったらしい。


「こっちに来てしばらくはそれで結構助かってたの。この世界のことはよく知らないってすぐに察してもらえるし、みんな好意的に迎えてくれるし」

 この世の者ならぬ美しさと聖女のようなイメージは、多くの人を惹きつけたし、好奇心が大半であっても好意を向けられるのは嬉しかったと言う。


 けれど広く知られているという事は、全く知らない人たちからも一方的に知られているという事だった。

 隠すことなど考えなかった当初は素の恰好だったため、見知らぬ人から頻繁に声を掛けられたらしい。


「でもさ、あたしはあの時自分の生まれた森と、それを守るって言ってくれたマリウスを助けたかっただけなのよ。ゲームの中では『命と引き換えに世界を救った』なんて話になってるけど、そんなご大層な事なんて考えてなかったしさ」


 結衣はそこで少し口を閉じると、コタツから両腕を出して頬杖をついた。

 当時のことを思い出したのか、憂鬱そうな顔をしてふっと息を吐く姿に、諦めとも苛立ちとも言えない感情が籠っているように見えた。


 人の行動の動機と結果なんて、自身と周囲の目には落差が起きやすいものなのだろう。

 より多くの人の目に触れれば、より理解しやすい解釈をされて、現実とはかけ離れた話になる事だってある。

 現にザグルとエリスの関係も、一般的には「悲恋」と解釈されていたのだ。

 実際に「ディアマンテ」をプレイしたことのない私は、それがどんな風に描かれていたのか知らないけれど、誤解を生むには十分だったのだろう。


 人を好意的にさせてくれるはずのイメージは、次第に彼女の重荷となっていった。

 誰とどんなに話をしても、彼女の思いは素直に届かないし、広められもしないのだ。


「ゆっきーも覚えてない?あたしと最初に会ったとき、キャラ違うとか言われてたでしょ」

「そうだったね、なんでそんな話になるんだろって思ったけど、あれってそういう意味だったんだ」


 結衣自身は普通の女の子として生きたいと思っているのに、現代的なお洒落をすれば似合わないと言われるし、少し怒っただけでひどく恐縮されてしまう。

 かと思えば知り合いでもないのに知ったような口を利いたり、馴れ馴れしい態度をとる人も多く、それを拒否すれば「そんな人だったのか」と見損なったような顔をされるのだ。


 一年と経たず人と話すのが苦痛になった彼女は、自分がユウイだと悟られないように変装するようになったと言う。



 その話を聞いたところで、私は少し前に稀人についてを調べた時のことを思い出した。

 緑色の長い髪に白い肌、幻想的な白と薄緑の衣装の少女。

 人気ゲームのキャラクターで、当時誰もがその本人だと気付き、稀人の存在を世に知らしめたという少女。

 

 けれど髪を短く切って黒く染め、衣装はありふれた洋服に着替え、肌の露出を減らして顔に化粧をしてしまえば。


「もしかして……結衣ってあの、最初に発見されたっていう稀人、なの?」

「そう、私の保護者にはそう言われてるわ。稀人の保護機関を作ろうって言いだしたのも、人に知られ過ぎて私が困ってたからだしね。春野結衣って名前をくれたのもその人だったの」


 初めて声を掛けた時の、その場の全員が呆気にとられていた光景が頭に浮かんだ。

 既に変装はしていたけれど、転学の不自然さは私ですら感じていたし、ニュースで何度も見ていれば顔の印象や肌の白さは目についただろう。

 テレビもないような過疎地ならいざ知らず、あの頃は全く気付かない人の方が珍しかったのだ。


 それが今や、ソフトも関連するグッズも全く売られておらず、中古品の一つも見つからない。

 ゲームそのものは別の媒体に移植されたらしいけれど、少なくとも人の記憶からはほぼ消えている。

 変装せずに街を歩いたところで、今も彼女に気付く人はそれほど多くないだろう。


「あっけないよね」

 一言そう呟くと、結衣は自分の手のひらをじっと見つめた。

 ホッとしてもいるけれど、過去を思えばとても虚しい。


 同じ立場になったとしたら、やっぱりそう思う気がして、何と言葉を掛ければいいのか分からなかった。

 今は望んだとおり平穏に暮らせているのだから、それでいいじゃないと言われればそうだろう。

 けれど苦しんだ時間も記憶も決して結衣の中からは消えないのに、その原因だった人々はもう彼女を思い出しもしないのだ。

 なら覚えていて欲しいかと訊かれれば、やっぱり忘れていて欲しい気がする。


「ずっとゆっきーには甘えてたの。あたしを普通に友達と思ってくれるし、家の事情とか根掘り葉掘り訊いたりもしないしさ」

 正体を知られて変な印象を与えてしまうのが怖かったんだ、と結衣は泣きそうな顔をして言った。


「うん、私も同じ立場なら言わないと思う。結衣を信用してないとかじゃなくて、自分の気持ちと違うのに、わざわざ『皆にはこう思われてます』なんて言って、それで誤解されちゃうと困るし」


 もっと早く話してくれれば良かったのに、と思わないわけじゃない。

 そうすれば結衣は一人で悩まずに済んだかも知れないのに、とも思う。

 けれどそれは今だから言えることなのだ。


 どこの誰とも知らずに出会い、どんな人かをたくさん知って、友人として理解し合って、そのうえで明かされた秘密だから、こんな風に心配できるのだ。


 もし出会ったあの時、すぐに私の勘違いを訂正してくれる人がいたら、自分に余裕のなかった私はたぶん面倒になって、彼女と積極的に関わろうとすらしなかったはずだ。

 一緒に笑い合って、思い出を共にして、喧嘩しながら超えて来た10年が、彼女の秘密を私の中で軽くしてくれている。

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