約束の前夜に(2)
「ユキ、大丈夫かぼーっとして?スマホ鳴ってんぞ」
宙を見つめて物思いに耽っていると、いきなり大きな手のひらが突き出されて、私は飛び上がりそうになった。
「えっ、ほんと?たぶん結衣からだわ」
周囲の音に全く気付いていなかったのを、ザグルは見兼ねてベランダに出てきたらしい。
洗濯物を纏める手も止まっていたようで、いつの間にか指先が痛いほど冷えている。
「後はやっておくから中に入りな、ほれ」
言うが早いか腕を引っ張られて部屋に入ると、一気に体温が戻ってきて手足がじんじんした。
「ごめん、ありがとね」
「ちったあ気をつけな。また風邪引いたらふん縛ってでも医者に連れてくぞ」
冗談のようにも聞こえる言葉は半ば本気なのか、ザグルは眉間に皺を寄せていた。
コタツに座ってスマホを取って見ると、着信の履歴とメッセージが入っていた。
開くと「明日10時に駅前で会おう、少し買い物に付き合ってほしいけどいい?」とある。
明日は約束の日だ。今まで引っ掛かりを覚えても詳しく聞かなかった話を、いよいよ聞くことになる。
誰にだって他人に言い辛いことはあるし、言わなくたっていい事もあると思ってきた。
けれどたった一つの秘密が明らかになることで、大事な親友を失うかも知れない、そう感じたときの不安感を、私はまだ飲み込めていなかった。
秘密はできてしまったのなら、ずっと秘密のままの方が多分幸せなのだろう。
だから結衣が言いたくないのなら言わなくてもいい、と思いながら、ザグルが出会ったその日に看破したほどの秘密に、10年近く気づけなかった自分が情けなくもあった。
私は友達面して彼女と過ごしていただけで、その実面倒を避けてばかりで本気で心配もしていなかったのかも知れない。そう思うとたまらなかった。
「おい、しっかりしろ。明日はユイに会うんだろ」
今度は返事を打ちかけて手が止まっていたらしく、ザグルに背中を叩かれた。
「何がそんなに気になってんだよ、俺に話してみな」
そう言うと彼は、スマホを私の手から取ってコタツに置き、体をこちらに向けて腰を下ろした。
胡坐をかいて両膝に手を乗せ、腰を据えて話をしようと言うその体勢に、私も反射的に彼の前に座っていた。
けれどいざ何が、と訊かれると咄嗟にどこから説明していいのか分からない。
何も気付けなかった私自身の不甲斐なさは、人に話してどうなるというものでもないし、これまでの私と結衣との関係が壊れるかも知れない、という不安もあるけれど、それは彼女の話を聞かなければ分からない事だ。
黙っていたのは理由があるだろうけれど、それも本人に訊く前にあれこれ詮索しても仕方がない。
とそこまで考えて、一つ聞きそびれたことがあるのを思い出した。
「ザグはさ、どうして結衣が人間じゃないって思ったの?」
「おい、それ今さら訊くか?気になるならすぐ聞けよ」
全くその通りで返す言葉がない。
考えてみればずっと一人で悶々としてばかりで、今週はザグルとまともに喋った覚えがなかった。
「あの時ほら、なんだか当たり前の事みたいに言ってたから……」
当然私も知っている事だと思ったから、ザグルはあんな風に声を掛けたのだ。
何か容易に分かる特徴があって、私の注意力が無いせいで気付かなかっただけなのだと、そう思っていた。
「いや、確かに注意してりゃ分かんだろうけどな。1つ目は声だ」
「えっ、そんなに幾つもあるの?」
「ああ、全部で……えーと4つくらいか。おいこら、だから落ち込むなっての」
指を折って数えてから、私の顔を見てザグルは慌てたように肩を叩いた。
確かにそれだけあれば気付かないはずがない。
「いいか、1つ目は声だ。ユイの声、お前どっちに聞こえてる?男か女か」
唐突な質問に、一瞬固まって結衣の声を思い出してみる。
けれどそんなのは言うまでもない。
「どっちって、あれは女の子の声に決まってるじゃない。男の声になんて聞こえないよ」
「だろ?けど俺には男の声に聞こえてんだ。ユキには女友達って聞いてたのに、男の声がしたから警戒してたんだよ」
あれじゃ不審がるって分かりそうなもんだと思ってな、とザグルは口元を掻いた。
「だってそれじゃ…ザグには結衣のこと、女装した男性に見えてたってことなの?」
「ああ、女みたいな喋り方する体もほっそい妙な男、って感じだな。胸もねぇだろ」
それはセクハラだよ、と突っ込みそうになったけど、声がまるきり男のものに聞こえるなら、そう思うのも無理はない。
結衣は出会ったときからずっとショートボブで、背も高くスレンダーなモデル体型だ。
男の声で結衣のような喋り方をしたら、いわゆるオネェに見える気がする。
「で、2つ目はニオイだな。これはお前ぜんぜん気にしねぇけど、ユイは最初に俺の顔見て鼻つまみそうな顔しやがったからな。けど俺からすると向こうも似たようなもんだ、生き物っつうよりエルフが連れてる妖精みてぇなニオイがする」
「な、なにそれ?妖精って臭いするの?ていうかザグって臭いの?」
「イズワス・エピック」の中での妖精は、様々な場所や物から発生する魔法生物の一つで、魔法を扱うときにそれを補助する存在として登場する。
言葉を交わすことはないものの、それぞれに意志をもち、エルフとは大抵セットで出てくる存在だ。
その妖精が臭う、というだけでも意外なのに、結衣にとってはザグルが臭い、というのは驚きだった。
「それを俺に訊くか?つぅかそれなら自分も臭ぇかもって思わねぇのか?」
「ええ!?私って臭かったの!?」
ジト目で頭に人差し指を向けてくるザグルに、びっくりして反射的に自分の体を抱いた。
今まで生活に何の支障も無いと思っていたけれど、密かに彼が私の臭いを我慢していたのか、と思ってその顔色を窺うと、彼は片手で顔を覆って何故か照れたように目を逸らした。
「だから違ぇって言ってんだろ……。変なニオイがすんのはユイだ、少なくとも人間のニオイじゃねぇな」
「そうなんだ、そんなの感じたことなかったけど」
そもそもそんな変な臭いがするなら、出会ったときにすぐ人間じゃないと気付いたはずだ。
けれど私にはザグルも結衣も、体臭こそあれ、特に異様な臭いは感じられない。
そうなんだろうと思った、とザグルは不意に表情を緩めて息を吐いた。
「ユキには臭くねぇみたいだが、大抵の人間にとっては俺も臭ぇらしい」
「それは私の鼻が悪いってこと?」
「つぅよりは、自分にとってやべぇ奴かそうじゃない奴か嗅ぎ分けてんだろ。ユキにとっては俺もユイも怖くねぇけど、俺にとっては魔法の元になる妖精はヤバイ。ユキだって腐った食いもんには顔顰めるのに、ナットーってやつ平気で食うだろ?」
そう言われれば納得した。
納豆は苦手な人には耐えられない臭さだと言うけれど、私の鼻には何ともない。
うっかりザグルに出した時は「何でこんな腐ったもん食わすんだよ」と涙目になっていた。
実際にどんな臭いかは置いといて、危険ではないと分かっているから悪臭だと感じないのだろう。
「で、3つ目は目玉だ。なんか色のついたもん被せて隠してんだろ、目にちっこい点がいっぱいあったぜ」
「点がいっぱい?カラコンのこと?」
「何だカラコンって?」
「あ、えっとね、瞳を違う色にしたり、大きく見せたりする化粧道具みたいなものがあるの。小さい点で色が付いてて」
説明しかけて、見せた方が早いと思った私はスマホを取り出した。
検索するとすぐに通信販売のサイトが出てきたので、その中から見やすい画像を表示してザグルに見せる。小さすぎて見辛いけれど、彼はすぐに頷いた。
「多分これだ。化粧の一つなら使っても変だとは思わねぇだろ?けどありゃ、元の目の色とか隠すのに使ってんぜ」
「でもそれって、単にお洒落か変装の一つじゃないのかな?よく人に騒がれて困ってたみたいだし」
「ならそれも理由かも知れんな。けど人の心配してる時に、そこまで化粧はしねぇと思わんか?」
「確かに……私はあんまりきちんとしないから分からないけど、急いでる時には省略するね」
だろ?と言われてあの日の結衣の言葉を思い出した。「50秒で支度する」は言いすぎだけど、それくらい急ぐと言ったのだ。
服は部屋着の延長のようなものにコートをひっかけて来たのに、度が入っているわけでもないカラコンをわざわざ入れてくる理由はない。
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