約束の前夜に(3)

「で、4つ目はちょっとユキには分からんと思うが……」

「なに、私に分からないことって?」

 珍しく言い淀んだザグルは、私の耳元に顔を寄せると小声になった。


「ユイはな、たぶん刃物持ってたんだ。コートの裏っかわにポケットあんだろ?」

「は、刃物!?なんでそんなもの!?」

「あいつ脱いだ上着を丸めてその辺に置こうとしたから、ハンガーにかけろって言って持ち上げたんだ。そしたらこの辺が膨れて重くてな」


 言いながらザグルは自分の左胸あたりを指さした。

 実際に中を見たわけではないけれど、大きさと重さから想像できるのは刃物なのだという。


 刃物に関してはザグルとひと悶着あったので、気にする理由はハッキリしている。

 彼が日常用に使っていた刃物は、こちらに来る前に取り上げられたので、代わりの物が欲しいと言われた事があった。

 「カッターナイフならうちにもあるよ」と言って見せると、「それじゃ頼りなさすぎる」と言う。それで具体的な話を聞くと、持ち歩ける大きさの作業用のナイフという事だった。


 ネットで調べてみると、確かに彼の欲しい大きさや目的のナイフはあったが、主にレジャー用に当たるそれらは、迂闊に理由なく持ち歩くと犯罪になってしまう。

 山で生活しているならともかく、こんな街中ではまず必要ない物なので、当然持ち歩けない。


 それを説明すると「こんなもんで人を攻撃するかよ、無い方が困るだろ!」とザグルは少し怒ったようだった。

 この国では刃物を持ち歩く習慣がないから、持っているだけで疑われても仕方ないんだよ、と宥めた後に、仕事用にカッターが必要になって、ペンケースに入れて持ち歩くことでようやく落ち着いた。


「確かに穏やかじゃないね……。でもそれが人間じゃないって思う理由なの?」

 護身用に刃物を持ち歩くのは確かに違法だけど、それでも持つ人はいると聞く。

 けれどザグルは、結衣に関して言えばそれはおかしいと感じたらしい。


「あいつは冷静だし頭はいいやつだろ。身を守りてぇってんなら、刃物なんざ持たない方が変に疑われる心配がねぇ。攻撃される方が珍しんだからよ」

「ああ……そっか、確かにそうだね。自分が犯罪者にされるリスクの方が、犯罪に遭うリスクより高いんだ」


 どうしても万が一を考えてしまう心配性の人ならともかく、結衣はいつも態度に余裕がある人だ。そんな彼女なら、刃物を持つかどうか考えた時点でそれに気付くだろう。


「そういう事だな。でもユイにはそれが逆に思えてる。その訳は俺も心当たりがあんだ」

「ザグにも?」

「ああ、俺の同族はこの世界にはいねぇからな。なんもしねぇのに怖がられるのは正直怖ぇよ」


 さらりと言われたその言葉に、私はどきりとした。


 同族が居ないと寂しいだろう、とは考えたことがあったけれど、怖いとまでは想像してみたことがなかったのだ。

 姿が違う、考え方が違う、価値観が違う、そういう違いだけでも人はあらぬ疑いを掛けられることがある。

 人間同士ですら稀なこととは言えないのだから、そもそも生物として違うザグルは、いつ不当に害されないとも知れないのだ。


「ごめん、ザグ。何となくザグなら強そうな気がして、すごく呑気に構えちゃってた。よく考えたら怖い事だよね」

「いや、ユキが気にすることじゃねぇよ。そうならねぇようにお前は何でも教えてくれてんだろ?これ以上は俺自身の問題だ」


 きっぱりとザグルはそう言ったけれど、結衣はどうだったんだろうと思う。

 10年ずっと身近にいて、自分の正体にちっとも気付かない友人なんて。

 本当は苦しんでいたかも知れないのに、それを打ち明けることもできなかったとしたら。


「だから落ち込むなってんだ!そんなのユキが後悔するような事じゃねぇんだよ」

 下を向いていると、いきなりザグルに両手首を掴まれた。

 容易に指が一周してしまう大きな手には、いつにも増して力が籠っていて、そのままぐいっと上に持ち上げられてしまう。


 こっち向け、と体を引き起こされて視線を戻すと、ザグルの顔は真剣だった。


「気付かなかったのが悪くねぇとは言わん。けどな、秘密を守んなきゃいけねぇのは隠し事を作った方だ、バレたのは隠しきれねぇ方が悪い」

 いつかバレることくらい考えておくべきだったんだ、とザグルは穏やかな声で続ける。


「バレたらユキがこうやって傷つくのも、あいつが考えないといけねぇ話だ。隠してる方はそれっくらい分かってる。お前は怒っていい事なんだぞ」

「いや、怒るってそんな、結衣だって困ってるかも知れないのに」

「だったらユイは悪くねぇんだよな。隠し事が悪くねぇってんなら、された方はもっと悪くねぇ。そうだろ?」


 言いながらザグルは握っていた手を緩めて、私の右手を取ると両手で包むように握った。そのまま壊れものに触るように手の甲を撫でられる。


 いくら息を吹きかけてもすぐ冷える指の先が、それだけであっという間にほこほこ温まっていった。

 私を励まそう、慰めようと思ってくれている事が、言葉よりずっと確かに伝わって来て、腕を伝って体の芯まで届くようだった。


 胸の奥まで温められるようなその感覚に、ああ、彼は私が寝込んでからずっと心配してくれてたんだ、と今さらのように思う。


「ありがとう、ザグ。明日ちゃんと結衣と話してくるよ」

「おう、そうしな。早いとこ返事してやれよ」


 もう一度ザグルと目を合わせて微笑むと、彼はすっと片手を放して、スマホを取ると私の手に握らせた。

 それを両手で受け取って、返事の代わりに大きく頷き、私は了解のメッセージを打ち始めた。

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