雨の日には昔話を(2)

 凶獣から助けた礼にとエリスから貰ったのは、人間が信じている神の姿が刻まれたペンダントだった。エリスによるとその神は「慈愛と再生の神」だという。


「このペンダントはお守りよ。命はいつか尽きるけど、魂は神様のところへ行って生まれ変わるの。生きてるうちに報われなくても、神様はちゃんと見ていて、その魂が幸せになれる場所へ導いてくれるの」


 だから辛くても頑張れるんだ、と彼女は自分を励ますように笑った。


 俺には必要ないものだ、別に辛いことも何もない、と言うと、エリスは「そうだよね」と苦笑しながらも、持っていてと譲らなかった。

 温和な顔でよく笑うのに、なかなか頑固な奴だった。

 その理由は何度も話すうちにだんだん分かってきた。


 人間の中では珍しい、強い力を持つ魔法使いだったエリスは、その力で国境を守ることを当然のように命じられていた。

 だがエリス自身は、村も村人も大切に思う一方で、結界に頼りきりの村の行く末を心配していたのだ。


「もし私が居なくなったら、あの村はきっと保たないわ。他の国がどんな風なのか全然知らないし、結界があるから大丈夫だって言うばっかりなんだもの」

 エルフの魔法すら破るドワーフの武器がある、という噂をエリスに話した時、彼女はそう言ってとても不安そうな顔をした。


 図らずもその不安は的中した。

 エリスは村人たちに頼まれる形で、修行のために旅に出ることになった。

 旅立つ数日前にいつもの場所にやって来て、泣きそうな顔をするエリスに、

「安心しろ、お前がいつでも帰って来られるように村は守ってやる」

 と言ったのは、半分は気休めだったが、エリスはそれを聞いて微笑んだ。


 彼女との出会いが足枷になったのか、と訊かれれば、そうだろうなと答えるしかない。

 同族を殺されたというのに、俺は人間に肩入れして裏切り、結局その人間達も救えずに、断罪されて死んでしまった。


 とんだ情けない男だ。そして親不孝な息子でもあった。

 もしエリスの言うように、生まれ変わりというものがあるなら、二度と人間には心を許すまいと思った。


 だというのに、目を覚ましたこの世界には人間ばかりで、オークなど空想の生き物でしかないという。


 一体何の冗談だ、と思った。


 折角生まれ変われたのに、もはや人間の国で生きていくしかないのだ。

 人間を憎んではいなかったし、無残に焼かれた村の光景に、嘆くエリスの顔が浮かぶようで、それが哀れに思えてならなかった。

 が、だからと言って人間を愛せるかと考えたらよく分からない。


 だがそんな俺の内心を知ってか知らずか、ユキエは当然のように俺を側に置いた。他の人間はまず俺を見て、家に置こうなどと考えないだろう事は、周囲を見ていれば分かる。

 つまり何か望みがあるのだろうと思った俺は、とりあえず無難に生きていけるようになったら、ユキエの望みを叶えてやって、その足で出ていこうと決めていた。


 だから何度も「何かして欲しいことはないか?」と訊いたのだが、

「じゃあ洗濯物畳んでおいて」

「このジャガイモつぶしてくれる?」

「お風呂洗うの頼んでいい?」

 と頼まれるのは家事ばかりだった。


 言われるまま用事を片づけると、

「ありがとね、助かった」

 と言って本当に嬉しそうに笑うので、俺はついそれが癖になって、出ていくのを先延ばしにし続けてしまった。


 たぶん、いや絶対にそれが原因なんだろう、自分で出かけろと言っておきながら、ユキエがいないと妙に寂しい。

 エリスと会うのは7日に1度だけだったが、もっと会いたいなどと考えたことはないし、旅立った後も「少し暇だな」と思っただけだった。


 二人のどこが違うのかは俺には分からない。

 俺の顔を見て笑うところも、人間の生活を教えてくれるのも、時々物思いに耽るように遠くを見る横顔も、よく似ている。

 ただ一つ違うところがあるとすれば、エリスには思いを寄せる男が居た事くらいだろうか。


 ユキエの側には誰もいない。だからこそ自分が追い出されないのは分かっていたが、それは寂しいことではないのか、と気になってしまう。


 だから考え方を変えることにした。

 どうせこの世界に腰を据えるしかないなら、ユキエに出て行けと言われない限りは、このまま一緒に暮らしてみよう、と。

 人間そのものを愛せなくても、ユキエが居ないのは寂しい。それに彼女を一人にするのは心配でもある。

 なら、居られるだけ側に居れば良いだけの事だ。

 そう考えると不思議と気分が楽になった。


 生まれ変わりの話をした時、エリスも言っていたはずだ。

「魂が幸せになれる場所へ導いてくれるのだ」と。

 今はそれを信じて、成り行きに任せてもいいかもしれない。


 などと考えていたら、突然スマホが光り出して大きな音を立てた。

 思わず飛び上がって目をやると、真ん中にユキエの名前が書かれている。

 これはユキエからのデンワだ、と気づいた俺は慌ててその下の丸いところを触った。




「もしもし、ザグ?」

 通話が始まったとたんに、なぜか「ガリッ!」という音がした。

 それから「うわっ、あ、やべっ」と小さく聞こえた後、今度はゴツッと何か重いものがぶつかったような音がする。


「ザグ大丈夫?焦らなくていいからね」

 何か用事の途中だったのかな、と思いながら声を掛けると、

「ユキ!ユキか!?俺だ、ザグルだ!!聞こえてっか!?」

 と今度は耳が割れるような大声が入って来た。


「や、ちょっと落ち着いて。そんなに大きな声出さなくても聞こえるから」

「あ!?そ、そうか!……えーと、これくらいか?」

「うん、そうそう。普通に喋ってくれればいいよ」


 こちらの反応を確かめるように喋るザグルに、そう言えばスマホの使い方は教えたけど、通話するのは初めてだと気が付いた。

「さっきの物音は何だったの?」と訊くと、急に鳴り出したスマホに焦って取り落とした上に、拾おうとしてテーブルの角で頭を打ったと言う。


「大丈夫?たんこぶできなかった?」

「分かんねぇけど痛ぇよ、はぁ。でもお前の声聞くと安心するな」


 電話越しに涙目になっている顔が見えるような声で、ザグルが溜息を吐くのが聞こえた。

「どうしたの、何か不安だったの?」

「ははっ、まぁちょっとだけな。ヒマだったから余計な事思い出してたってだけだ」


 安心するって何だろう、よほどの心配事でもあったのかと気になるけれど、彼の声はいつになく小さくて、そのことは話したくなさそうだった。

「ははっ」と誤魔化すように笑う声は、なんだか落ち込んでいるようにも聞こえる。


「何があったのよ、急にそんな事言い出すなんて。相談できないようなこと?」

「いや、そんなんじゃねぇから大丈夫だ。それより早く帰って来てくれよ」


 帰って来てくれ、というその言葉に、心臓が奇妙な音を立てた。

 ここは私の実家で、むしろ今帰って来ている筈なのに、その言葉の方がしっくりきてしまう自分に、何とも言えない気分になる。


「何言ってんの、自分で行けって言ったくせに」

「ああ?んなこと言ったか?」


 ちくりと意地悪を言うと、開き直ったようなザグルの声がした。

 ショウガツは家族と過ごすもんだ、というあの名言はどこへ行ったのか。

 よっぽど寂しかったのかな、と思いつつ、それは訊かないでおく。


「はいはい、じゃ明日の朝には帰るから。何か困った事とかあるなら電話してね」

「おう、分かってるって!……て、やべぇ」

 威勢よく返事をしたかと思えば、いきなりその声が尻すぼみになった。


「なに、どうしたの?」

「い、いや……洗濯物が……ほら、朝は晴れてたんだが」

 言われてちらっと窓の外を見て、なるほどと納得した。

 距離が離れているとはいえ、向こうも今頃ひどい雨だろう。


「すぐ取り込んでくっから!すまん、切るぞ!デンワありがとな!」

「あ、ちょっと!慌ててたらまたケガするわよ……って遅かったか」


 通話を切り忘れてそのまま行ったのか、床を踏み抜きそうなドスンドスンいう足音に続いて、ゴンッといい音がした。


 今度はどこにぶつけたんだろう、て言うか床に新聞紙くらい敷いたのかな、と私は急に部屋の状態が気になりだした。

 一応子供じゃないし、本人が背中を押してくれたから出てきたけれど、留守番を頼むにはまだ早かったのかもしれない。


 明日の朝はなるべく早く帰ろうと考えながら、私は暫くそのまま、電話の向こうから聞こえてくる音に耳を傾けていた。

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