稀人ってなんだっけ(2)
「で、稀人の出現条件は何かって話だよね」
確認するように言いながら、結衣は立ち上がってデスクに向かった。
「そう、危険はないって言ってたけど、ザグのあの物言いだと放っておいたら危なかったと思うの」
「そーだねぇ、もし武器持ってたら人間襲うよって言ってるようなもんだしね」
多分そこまで考えてなかったんだろうけど、と背中で返事をしながら回転椅子を引き寄せて座ると、結衣は画像をいくつか出しながら説明してくれた。
この世界に現れる稀人には大きな特徴が3つあるという。
1つ目は架空のキャラクターであること。
つまり物語の舞台が現実世界だとしても、現れるのは創作のキャラクターだけということだ。歴史上に実在した人物などは、仮に史実と違う話だとしても、稀人として現れることは無いという。
2つ目は人に愛されるキャラクターであること。
この愛される、というのは現実的に「好かれる」という意味で、例えば文字通りの悪役が大人気の物語があったとしても、実在すれば危険だと思われるようなキャラクターは現れないらしい。
そして3つ目は、物語の中で死んだと確定していること。
いくらでも書き換えてしまえる創作の物語から稀人が現れるのに、世間が混乱しないのはこれが一番の理由らしい。
これは逆もまた然りで、キャラクターが稀人として現世に現れた場合、その元になった物語では決して生き返らせることはできなくなるという。
今までこの3つの条件から外れて現れた稀人はいないし、この条件に当てはまること、特に3番目が重いためか、現世に稀人が現れること自体が本当に稀だという。
世間ではさほど知られてもいないし、現れても大抵は人間なので一般人と区別がつかないらしい。
「要するに、いいキャラなのに不憫な死に方したら稀人になるってこと?」
「うんまぁ、身も蓋もない言い方すればそうなるかな」
回転椅子をキィと軋ませてこちらを向くと、結衣はちょっと思案顔で頷いた。
もちろんそれだけで全てのキャラクターが稀人になるわけではないだろうけれど、大雑把に言えばそういう認識らしい。
「でもその割に、ザグって見た目だけでもう怖がられてるんだけど…」
「そこだよね、普通オークなんて実在したら危険だって思われるから、まず稀人にはならないはずなんだけど」
言いながら見せてくれたのは、何やら不穏な色合いの画像の数々だった。
一般的なオークのイメージというのは、基本的に知能が低く、好戦的で、人間に対しては様々な意味で非友好的な存在とされているという。
大抵のファンタジーでは悪役で登場し、ゲームにおいてはそもそも会話のできないモンスター扱いになることが多い。
ただし最近の創作物では、必ずしもそうとは限らず、文化的で意思疎通のできる種族の一つとして描かれることもあるらしい。
「ザグル君の場合はどっちかって言うと後者だね。典型的なオークの性格でもあるけど、人間にもフレンドリーだし」
彼の登場する『イズワス・エピック』の中でもオークは悪役寄りだが、独自の文化を持ち、ザグルのエピソードを起点に人間との関係も変化するという。
「問題は死んだときの状況っていうか、理由かな」
「て言うと、人間を助けて死んだとか?」
「そんな感じ。ヒロインと子供の頃から関わりがあってね、最終的にそれが原因で死んじゃうんだけど」
そう言って結衣が示したのは、栗色のロングヘアで薄い青の衣装を纏った少女のイラストだった。
どこか見覚えがある気がするのは、人気作品だと言うから、本屋で見かけたか関連するグッズを街中で見ているせいだろう。
「ひょっとしてそのヒロインの名前が『エリス』?」
「あ、うんそうよ。もう調べてたの?」
意外そうに眉を上げた結衣に、私は顔の前で手を振った。
「ううん、ザグが最初に私を見たときそう呼んだの。似てるのかと思ったけど全然違うのね」
まるで泣いている子供を宥めるような、ひどく優しい声で呼ばれた名前だった。
自分が呼ばれたわけではないと分かっても、あの時の声は強く印象に残っている。
「そりゃ似てたからって言うより、自分に近寄ってくる人間なんて他にいなかったんじゃないかな」
そもそもザグルが生きていた時点では、人間とオークは敵対していたので、心配して近寄る人間なんてまず居なかっただろうから、と結衣は言う。
「でも本筋と外れる脇役じゃなくて、かなり中心人物じゃない? なのに死んでるの?」
「ちょっとね、世界観と主人公の目的とか、その辺は色々あるの」
肩を竦めて微妙に寂しそうな、どことなく皮肉っぽい笑みを見せると、結衣は書棚の一つに手を伸ばした。
きちんと説明しようとすると長くなるから、あとは件の小説を読んでみればいい、と結衣は書棚の中から一冊のライトノベルを引き出した。しかしかなりの長編で、既刊されているものだけですでに10巻に及ぶという。
さすがにそれを一気に読むのは骨が折れるし、そもそも苦手なファンタジーだ。渋っているのを見て取ったのか、
「読みにくければ漫画版もあるよ、内容はちょっと大雑把になるけど」
と言って結衣は背後の本棚を指さした。
「それ読んでもザグルのこと分かるの?」
漫画版というのは大抵細かいところを端折っていて、原作を知っていると大事な部分が大幅にカットされている、という事も多い印象があった。
そんな言外の意味を察したのか、結衣は少し考えた後頷いた。
「世界観とかは説明不足なとこあるけど、ザグルのことはまぁだいたい」
両方読んでいる結衣がそう言うのなら、多分その通りなのだろう。
説明不足というのは困るけれど、文字だといきなり想像力を要求されて困るので、漫画というのはありがたい提案だ。
「じゃあそれ、ここで読ませてもらっていい?」
「いいよ! ていうかゆっきーになら全巻貸してあげる!」
嬉々として立ち上がった結衣は、早速本棚のカーテンを引き開けた。
とにかく読んでみるのが早い、ということで袋詰めしてくれた漫画本を脇に置き、その後は逆に結衣からの質問攻めに遭った。
人間に慣れていない異世界人と同居して、問題なく生活できるのかどうか、私の方が困っていないかと、彼女はずっと気にしてくれていたらしい。
そもそも電話をした時、稀人の保護機関があるからと連絡を取ってくれたのも彼女だった。
しかしザグル自身が保護されることを極端に嫌がり、自分は人間には手を出さないから自由にさせてくれ、と平伏して頼まれてしまった。
そんな要求が通るだろうか、と心配しながらも結衣に伝えると、彼女は一言「分かったわ」と言って一度電話を切った。その後どんなやり取りがあったのか、ザグルの居住地の固定と連絡先の共有を条件に、一定期間監視するものの、保護施設への収容はしない方向に話をまとめてくれたらしい。
「だからって一緒に住むとは思わなかったけどねぇ」
「仕方ないでしょ、もう一部屋借りるような余裕なかったもの。うちは元々単身用には広い部屋だし」
この件はよほど予想外だったのか、結衣には度々そのことを突っ込まれてしまう。
しかし一か月一緒に寝起きしても、着替えの時に気を遣う程度で問題は起きていないし、むしろ一人で放っておいたら料理すらできずに苦労していたはずだ。
なにせ初めてコンロに火をつけた瞬間、彼は飛び退っていきなり私の腕を掴むと、部屋から逃げ出そうとしたのだ。爆発するとでも思ったらしい。
「なんかそう聞くと、ただの異文化に触れた若い男の子って感じよね、若い男にしては自制心あるけど」
若干呆れたような顔になった結衣は、ちくりと私を刺すように流し目をくれた。
「確かにいい歳だけど10も年下の子よ。こんな年増に興味なんか沸かないでしょ」
結衣が言っているのは多分そういう話なのだろうと思うけれど、それに関しては最初から危機を感じるレベルですらなかった。
出会った初日、まだ寝具がなくホテルに泊める余裕もないからとベッドを譲ろうとしたら、ザグルはさっさと私に背中を向けて床に横になってしまったのだ。
せめてコタツで寝てよ、風邪ひくよ、と言ってもそのまま動いてくれないので、客用布団を持って行った時には、彼はすでに鼾をかいて眠り込んでいた。
しかしその話をすると、結衣はハァとため息をついた後、椅子の背で頬杖をついて私の顔を覗き込んできた。
「ゆっきーのそういうとこ、やっぱり年下の彼氏に振られたのと関係あるの?」
「いきなりなんでそう話が飛ぶのよ! だいたい彼は年下にしてもたった2歳よ。同年代だわ」
「とか言って、何かあると年下だから仕方ないんだよーとか言ってたじゃん? ぶっちゃけあたしから見たら結構やな奴だったわよ」
「もう、どっちにしたって今は関係ないでしょ!」
私には3年前まで一応付き合っていた恋人がいた。けれど別れ際の頃の私の様子を知っていて、共通の知り合いでもあった結衣は、この話題になるといつも妙に絡んでくる。
私としてはあまり思い出したくない話だし、正直もう過去の事でしかないのに、彼女は今でも気にしているらしい。
「はぁー、あたしの前にもかっこいい男が現れてくれないかな。この際オークでもゴブリンでもいいわ、紹介してくれない?」
追及を諦めてくれたのか、今度は頬杖をついてそんなことを言う。
けれど私の知る限り結衣は、学生時代から今までモテなかった訳ではないのに、誰とも付き合おうとはしなかった。
「いや結衣…あれかっこいい部類だと思うの? 私からしたら手のかかる子供みたいよ」
この一か月を思い出すと、ザグルは確かに真面目で優しい性格なのは良く分かった。けれど同時に若い男でもあって、その未熟さは時にフォローが大変だった。
だからと言って保護機関に引き取ってもらおう、という気にはならなかったのは、単に私もそろそろ一人での生活に飽きていたからだと思う。
「いいじゃない、稀人なんてそう滅多にお目にかかれないのよ。しかもまず現世に現れない珍種! オーク! 若くて頑健な!」
「絶対美化しすぎよそれ、だいたいそれじゃ彼氏が欲しいって言うより稀人に会いたいだけみたいじゃない」
熱弁をふるう結衣にジト目でそう言ったとたん、彼女は不意を突かれたような顔をした。
普段は余裕のある態度を崩さない結衣が、珍しく素の顔に戻って目を見開いている。
そんなに驚かれるようなこと言ったかな、と考えてみてもよく分からなかった。
以前にも一度そんな顔を見たような気がするけれど、いつ何を言った時かは思い出せない。多分その時も、私には理由がよく分からなかったせいだろう。
まじまじと見ていると、彼女はふっと眼尻を下げて頭を掻いた。
「あはは……憧れてたのよねぇあたし。夢みたいな話なのは分かってるんだけど、会えるものなら会ってみたいってずっと思ってたのよ。」
言いながら、どこか遠くを見るような目をして結衣は膝を抱いた。
少し寂しそうなその顔に、理由は良く分からないながらも何か事情があるのだと思って、私はそっと彼女の肩に手を乗せた。
「……分かった。期待に添えるかは分からないけど、今度は連れてくるわ。本人がいいって言えば、だけど」
「ほんと⁉ ありがとゆっきー!」
ぱっと嬉しそうな顔になった結衣は、既にいつもの笑顔に戻っていた。
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