第2話 稀人ってなんだっけ(1)
老若男女問わず、人種も様々で、大抵は登場する物語が書かれた国に、同じ言語を話せる存在として出現する。
また出現条件がいくつかあると言われており、性格は様々であるものの、現世の人間にとって危険な存在ではないとされている。
……という話を教えてくれたのは、オタクを自認する学生時代からの友人、
稀人の知識など、それこそ都市伝説扱いで全く知らない人の方が殆どで、「存在する」という事だけが一般に広まっている程度だ。
ザグルが出現した時、結衣にならどんなキャラクターか目星が付くかも知れない、と当てにはしたものの、稀人そのものに詳しいとは思っていなかった。
とりあえずは安心して、と一通り話を聞かされた時は「なんでそんなに詳しいのよ」と思わず突っ込んだけれど、その答えは単純明快だった。
「稀人なんてオタクの夢そのものでしょう? 調べないわけがない!」
実際には世のオタク全てが推しに会いたいわけじゃなくてむしろそれは少数派で別に交際したいわけでもないしそもそも稀人になるという事は不幸な事だから望ましい話でもなくて、と息も継がずにあれこれ言い訳していたけれど、要するに興味があるから自力で調べたという話らしい。
その結衣の部屋を再び訪ねたのは、ようやくザグルが一人でも問題を起こさなくなってきたからだ。
「どうしたの? 夕べ寝られなかったの?」
事前にメールしていたにも関わらず、玄関に現れた結衣は寝間着のままだった。
体調が悪いのかと心配して訊ねると、昨日の深夜から明け方3時までネットゲームをプレイしていたという。
「金、土の夜はねー、次の日休みだからPT必須のイベとかIDとか固定で一気にやるの。ウィークリーとかも全部」
などと略語だらけの説明をされてもゲームをしない私にはさっぱり意味が分からない。
首を傾げていると、結衣は顔の前で手を振りながら苦笑した。
「ゆっきーはほんとそういうの興味ないもんね。スマホゲーもしないんだっけ?」
「仕方ないでしょ、子供の頃に親からそういうの禁止されてたんだもの。訳が分かんなくて楽しめないの」
こればっかりはどうしようもなかった。
私の元々の性格もあったのかも知れないけれど、幼少期からファンタジーに馴染む機会を失った私は、今でもその手のものが苦手なままだ。
両親は子供にゲームをさせると馬鹿になる、という価値観の持ち主で、ゲーム機を家に置かなかったのはもちろん、子供向けの小説や漫画も私から遠ざけようとした。
それでも好きなら自力で読んだかも知れないけれど、取っ掛かりもないものに興味を持てるわけもなく、気が付いたらそのまま成人していた。
そのせいか、現代を舞台にしたものや歴史ものなら、多少変わった設定があっても違和感なく読めるのに、ファンタジーとなると大抵初っ端から躓いてしまう。
いきなり出てくる武器や魔法、そして頻出する謎の生物は、それがどんなものなのかもあまり書かれていなかったりして、資料が無ければ読める気がしない。
一番馴染めないのは人間以外の種族の性格や価値観が、種族によっておおよそ決まっていて誰にでも分かる、という異世界ファンタジーのセオリーだ。
国が違えば人の性格や考え方も変わるというのは分かるけれど、共通認識として決まっているというのが甚だ疑問で仕方ない。
などと説明すると結衣はケタケタ笑いだしてしまった。
「そんなんでよくザグル君と一緒に暮らせるわね、あからさまに人外なのに!」
「だって目の前にいるんだもの。作品の中ではどうかって事と、目の前で生きて動いて意志がある人にどう接するかはまた別の話でしょ」
反論すると「あはははは」とますます結衣の笑い声は大きくなった。
ひとしきり笑ったあと、ようやく落ち着いた結衣は服を着替えに寝室に入った。
改めて見回すと、そこそこ広いはずの結衣の部屋は、大小さまざまなケースや書棚で埋め尽くされていて、コタツの周辺と寝室以外は腰を落ち着ける場所もない。
学生時代にはまだ余裕があったけれど、今やいつ座が抜けてもおかしくないような有様だ。
そのうち断捨離を提案した方がいいかな、とぼんやり考えていると家主が戻って来た。と言っても着て来たのはゆったりとしたルームウエアで、寝間着との違いは暖かさくらいのような気がする。
「それで、そのザグル君はどうしたの? 今日こそ会えると思ってたんだけど?」
興味津々といった顔で、結衣はコタツの向かいに座るなり身を乗り出してきた。そのきらきらとした瞳に不意にザグルの顔が重なってしまう。
この一か月で幾度となく、同じような顔をする彼の相手をしてきたのだ。
「今日は仕事行ってる。だいたい、女の一人暮らしの部屋になんてさすがに連れてこれないでしょ」
呆れ半分にそう答えると、結衣は心外だとでも言うように片眉を上げた。
「なにわけわかんない事言ってんの、ゆっきーだってそうじゃない」
「それはそうだけど……」
言われてみればそうだ。年下とは言え、妙な気を起こされたらひとたまりもない相手なのに、不思議と彼に対して警戒心は起こらない。
咄嗟に返す言葉に詰まると、彼女は大げさにため息をついた。
「ま、とりわけ困ってないならいいわ」
思い返してみれば、最初にザグルを家に上げた時は、落ち着いてから対処に困ったのだ。
「とにかく体を温めて」とシャワールームに押し込み、替えの服がないためシーツを渡そうとしたところ、彼はかなり困惑した様子で、両手を顔の横に上げて降参のポーズで首を横に振った。
「すまんが一文無しなんだ。荷物も金になる物もねぇし、稼ごうにも斧もねぇ。こんな綺麗な宿だと金かかんだろ? すぐ出てくから見逃してくれ」
やや焦った顔でそんな事を言い出して、もはや着て歩くなどありえないようなボロボロの服を着直してしまった。
そのままさっさと玄関に向かって行くので、私は慌ててその手を掴んだ。
「ちょっと待って、どこ行く気? そんな恰好で表を歩いたら警察に捕まるわよ!」
ギリギリ局部が隠せる程度の布切れを纏ったような状態で、恐らく行く当てもないのは分かっていた。
どこへ行くでもなく街中をうろつけば、あっと言う間に通報されるだろう。
むしろ私が通報すべきだったのかも知れないけれど、理由も分からず拘束されれば彼が混乱するのは分かっていて、敢えてそうしようという気にはどうしてもなれなかった。
「ケーサツ? なんだケーサツって?」
怪訝な顔をして私を見下ろす彼に「警察っていうのは……」と説明しかけて、そもそも犯罪とか法律とか、そういう概念が彼にあるのかどうかも分からない事に気が付いた。
一瞬迷ったのち、思いついたのは小学生並みの説明だった。
「悪いことしてる人を捕まえるのが仕事の人だよ」
「なら心配すんな、さすがに素手で人間を襲ったりはしねぇから」
私の説明も色々端折り過ぎていたけれど、彼の返事はまるで明後日の方向で、思わずぽかんとしてしまった。
しかもその返事は、何やら聞き捨てならないものだった気がする。
けれど硬直している暇もなく出ていこうとする彼を見て、咄嗟にその太い腕にしがみつくようにして止めた。
「そうじゃなくて、そんなほぼ裸みたいな服で表を歩いたらダメなのよ!」
「なんでだよ⁉ 服は着てるだろ!」
「えーっと……だから……えーと……」
またもや要点のずれた返事に、一体何をどこから説明をすればいいのか分からず、私は返答に窮してしまった。
落ち付いて聞いてさえくれれば、順序だてて状況を説明できるけれど、彼は何か思い込みから焦っているようで、ゆっくり話をできる雰囲気ではない。
その時スマホの着信音が鳴ったのは、まさに天の助けだったと思う。
突然の大きな音に驚いて目を丸くした彼は、びくっと体を固くして身構えた。その隙にスマホに飛びついて着信を見ると、電話してきたのが結衣だったのである。
その後の私の行動は、ザグルにはわけが分からないことばかりだっただろう。
どう見ても人間じゃない何かが現れた、と電話で結衣に伝え、すぐさま彼にカメラを向け写真を撮って送った。
さほど待つこともなく数分後に、これだろうと送られてきた画像をチェックしたところで、ふと視線を戻すと彼は床にへたり込んでいた。
「今のなんだ……? お前誰と話してる……? 俺どうなるんだ……?」
カメラのフラッシュをまともに見てしまったのか、彼は両目をこすりながら泣きそうな顔で私を見上げていた。
その時の何とも言えない情けない顔は、今思い出してもちょっと笑ってしまう。
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