稀人がやって来た(2)

「どうした?腹でも悪いのか?」

 出会った時のことを思い返してボーッとしていたら、いつの間にか目の前で赤い顔が真横に傾いていた。

 少し俯いていた私の顔を覗き込もうと、背中を丸めて首をひねっていたらしい。


「ううん、大丈夫。ていうかザグ、心配してくれるのは嬉しいけど食事するところでその訊き方はちょっと…」

「なんだよ、元気ならまぁいいや」


 苦情は適当に流して彼は一人で頷くと、私の頭に軽く手を乗せて、まるで子供にするようにぽんぽんと叩いた。

 巨体に反して十分に力加減しているのか、叩かれて痛いと感じたことは無いけれど、子供のような男に子ども扱いされるのはちょっと微妙な気分になる。

 デリカシーとか言葉の選び方とか、もう少しどうにかならないか、と思うのは望み過ぎなんだろうか。



 突然現れたその日から、ザグルは私の部屋に居候している。

 10歳年下の彼は成人したばかりで、見た目に反してかなり若々しい。


 元々暮らしていた世界とは全く異なるここで、恐慌状態に陥るでもなくすんなり馴染んだ―とは言え何にでも興味を示してはしゃぎ、逆に私が見慣れたものを極端に怖がったりはしたが―のは、その若さゆえの柔軟さなのだろう。


 私とも出会ってすぐは多少遠慮がちに喋っていたものの、一月も一緒に生活していると歳の差も忘れかけているようだ。

 私の方も最初は「ザグルさん」などと呼んでいたのが、「ケツがかゆいからザグと呼んでくれ」と頼まれて、今ではすっかり定着してる。

 乙女の前でケツはどうかと思うけれど。



 改めて周囲を見回してみると、日曜日のファミレスはひどく混んでいた。

 それなのに私とザグルの座る席の周りは、まるで結界でも張られたかのようにぽっかり空いている。

 こんなことももはや日常になっていて、最初のうちこそ気にしていた彼もすっかり諦めたらしい。


「なんだかなぁ……」

 テーブルに肘をついて溜息交じりに呟いたところで、「お待たせしました!」と元気な女性の声が降って来た。


「ゴロゴロステーキセットをご注文のお客様は……」

 と、そこまで言いかけて伝票から顔を上げたウェイトレスさんの顔が、ビシッと硬直した。


「おう、肉はこっちだ!」

 嬉しそうに片手を振って返事したザグルの頭には、すでに肉のことしかないらしい。


 次の言葉が出てこなくなったのか、彼女は無言のまま私の前にピラフを置いてしまってから、ハッと思い出したように口を開いた。


「鉄板熱くなっておりますのでお気を付けください、こちら海鮮ピラフでございます、セットのスープはドリンクバーにございますのでご自由にお選びください、ご注文は以上でお揃いでしょうか?」

「はい、ありがとうございます」


 まるで呪文だ、と思いながら返事をすると、彼女は愛想笑いを浮かべて素早く立ち去った。


「すげー早口の姉ちゃんだな、何て言ったんだ?」

「ごゆっくりどうぞ、って感じのことだよ」

「ふーん?」

 いまいち分からないという顔をしながらも、ザグルはすぐにステーキにかぶりついた。



 大人ですら外見でこれだけ引かれるのだから、子供ならなおさらだった。

 以前一緒に買い物に出掛けた時、遠目に迷子の子供を見つけたザグルは、放っておいたら危ないと言っていきなり駆け出した。


 しかしそれに気づいた子供は、予想に違わず泣きながら逃げて行った。

 当然の成り行きだと思うけれど、慌てた彼は必死になって追いかけていき、子供は更に必死で逃げて行った。止める暇もなかった。


 やっとのことで捕まえた彼は、泣きじゃくるその子をあやしてやろうと抱き上げたのだが、むしろそれが原因で泣き声は激しくなり、ついには絶叫に変わってしまった。

 ようやく追いついた私が引き受けるころには、困り果てたザグルの方も半泣きになっていた。



 出会ってから一月以上は経ち、いかつい顔にも遠慮のない態度にもすっかり慣れて、私の感覚はもう麻痺しているのか、彼のことはただの若い男にしか見えない。

 けれどこうして毎日一緒に過ごしていると、ザグルに対する周囲の反応を見るたび思うのだ。

 どうしてあの時、自分は何の躊躇もなく助けたんだろう、と。

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